大会開催中は敢えて
それほど批判的なことは書きませんでしたが、
チームが解散した今、
考えていることを忌憚なく述べたいと思います。
メンバー選出における反町監督のコメント↓
「ひとつは当然ハートの部分。
これはチームを立ち上げたときから話をしてきたが、
サッカーに対する情熱、日の丸に対する誇り。
日本らしい最後まであきらめない粘り強い気持ち、
ひたむきさなどを考慮した。
あとは戦術的な部分もあるが、心技体と言われるように、
心という部分を大切に選んだつもりでいる。」
-日本サッカー協会公式HPより-
一見、もっともらしいコメントに思えます。
しかし僕にはとても違和感のある発言でした。
心(ハート)などという言葉を持ち出すのは、
ピッチ上で何が起きているかを理解していないからです。
ボールは100%物理の法則に従い動きます。
ならばそれを理解するのは科学です。
代表監督は「心という部分を大切に」などという
物差しでは計れない基準で選手を選考することではなく
選考した選手のメンタルコンディションを如何に
高く保つかが仕事の筈です。
ボタンの掛け違いは既にそこから始まっています。
精神力を90分間走りきれる能力と仮定するならば
"全て"の試合で日本の運動量は相手を上回っていました。
結果は全敗でした。問題はそこにはないのです。
何処に走るか、何を目的にして走るかが問題なのです。
かつてチェルシーを率いたモウリーニョ監督は
カップ戦もリーグ戦もほぼメンバーを固定して戦い、
「チームが消耗するのではないか?」という疑問に対して、
「ウチは疲れるようなサッカーをしていないから大丈夫」
と答えたことがありました。
つまり、チェルシーのサッカーはポゼッションを重視して、
無理に攻撃を仕掛けないで相手がずれた所を突く。
結果的に試合のテンポは非常にスローになる。
無理をして危険地域でボールを奪われることもないので、
カウンターを受けて戻る為に走ることもない。
又、相手ボールになった際には、全員一旦リトリートして
守備体制を整えた上で相手を待ち構える。
相手を追い回さないので疲労も少ない。
モウリーニョ監督は自分のサッカーを
「確率」と表現したことがありました。
サッカーにおいては勝つことも負けることもありえる、
監督の仕事は、その確率を1試合ごとでなく全体として
捉えた上で1%でも上げること。というのが彼の哲学です。
僕もこの考え方に全面的に同意します。
1年中、選手を指導できるクラブチームの監督と
時間に限りのある代表チームの監督を一緒には出来ません。
そこでもう1人の監督を例に上げます。
代表監督として、低迷していたドイツ代表を建て直した
クリンスマン前監督のアプローチはアメリカ流の科学的な
メンタル/タクティクスの概念を取り入れることでした。
ご存知のようにドイツといえばメンタルの強さで有名です、
しかしEURO2000/2004では惨敗を喫しました。
メンタルが如何に強くとも、明確な方向付けを与えられ
なければ選手は上手く動かないという好例でしょう。
誤解しないで頂きたいのですが、
僕は「精神力が必要でない」と言っているのではありません。
そのような明確に形に表れないものを基準に
物事を判断は出来ないと言っているのです。
つまり分析-評価-応用という科学的なプロセスに
合致しない物を機軸に強化することなど不可能だと
申し上げているのです。
解説者の方が良く「気持ちを出せ」と仰りますが、
僕には他に言うことを思いつかないので
言っているように聞こえます。
戦術/個/フィジカルコンディション全て言及した上で
最後に気持ちというのならば分かります。
しかし最初から「気持ち」というのでは
理解不足の逃げ口上にしか聞こえません。
Jリーグが発足して10数年、日本リーグ時代を知る
僕には隔世の感がありますが、まだまだ未熟です。
サッカーが文化になるまで時間が掛かるでしょう。
ブラジルでは国民全員が監督という言葉がありますが、
自分の意見を持つということを重視しているようです。
その国の政府はその国の民度を反映すると云いますが、
サッカーにおいても同じだと思います。
「僕らの理解が深まれば、僕らの代表が強くなる。」
この言葉をもってコラムを終えます。
毒気の強い文章でしたが、
最後まで読んで下さって有り難うございました。
サッカーコラム
「反町康治監督を批判する」
2008 8/13記 flowinvain