15日(月)は左膝にも違和感あって完全休養日と決める。一昨年あたりから、丸一日休んでも疲れは抜けぬ傾向が続き、これが歳というもんかと嘆かわしい。
さあ、まだノビル(ヒガンバナ科)に拘ってる。
1週間ばかり前にノビルの花を摘んで帰り、花が終わった後も放置してたのは、種子の充実を待とうという目的あったからだ。
花の部分をつまんでみたら、受粉せずに種子が出来ていないのと、少し堅くなって種子の入っていそうなのがある。虫もいない、風も吹かない洗面所の片隅に置いてるから、受粉機会無かったった花もあってそれは当然だ。
その薄っぺらい果皮に包まれた種子を取り出そうとして、実はなかなか難しいことに気付かされる、とにかく小さいのである。1個のムカゴと較べたら、如何に小さいかがよく分かる。
長径は1.5mm、短径は1mmに満たないように思える。
さて、こんなに小さな種子に、果たして発芽・生育する能力があるんだろうか、イタドリみたいに殆ど発芽しないのではなかろうかと思うのは当然だ。
そこで、暇に任せてネット検索したら、
「筑波大学」では“種子は出来ない” 「岡山理科大学」には“種子は稔らず(と思う)”と記載ある一方、「松江の花図鑑」には不規則な形した種子の写真が載っており、
Wikipediaは種子に触れていない。
その他に“鱗茎・ムカゴ・種子でふえる”とか、“花は咲いても種子は出来ない”、“種子は確認出来なかった”などの他に、明らかにムカゴを果実と思い込んでる記述もあり、これってひと月前の私ではないかと苦笑する場面も出てくる。
私の写真は「松江の花図鑑」の種子とは姿も大きさも異なるから、これって種子じゃないのかな、或いはシイナに過ぎないのかなという不安も拭えなくなってきた・・
今一度機会を捉えねばならん。
先日Yさんから回して貰った黒岩重吾の『天の川の太陽』
「これ読み切ったら、頭もカラダもへとへとになるよ」と言われたけど、壬申の乱前後を扱った小説とあり持ち帰ってた。
さて3~40頁くらい読んだだろうか、二段組みの小さな文字は“疲れ目”なんて範疇を飛び越え、目頭・コメカミまでもが痛くなる。これは実際カラダに悪いと諦め、次の人へ回すことに決めた。
30年前の発行、その頃なら対応出来たに違いない。
今日は鉢伏山のコクランに再挑戦しよう、Dストックで。




