12日(金)は森林植物園でアジサイのイロヅキ具合を見ておこうと思ったが、まだ少し早いとの情報もあって取り止め、借り出してる『地図でスッと頭に入る飛鳥・奈良時代』を読むことにした。

 

最近、この手の本や小説を10冊ばかり読んで、往時の人物相関を頭に入れようとするが、一向に脳ミソに定着してくれずイラつく場面も少なくない、スッと頭に入ってくれたらどれほど嬉しいことか・・

 

百済の聖明王から、飛鳥の欽明天皇にあて、金銅の釈迦如来像や経典が贈られた

538年、これが日本への仏教伝来とされる。そして794年、桓武天皇の時代になって平安京に遷都されるまでの約250年間を、地図や縁戚関係図を用いながら解説してゆくのだけれど、その縁戚関係図は誠に不親切である。

 

例えば天武天皇は(大海人皇子)・聖武天皇は(首皇子)という具合に括弧書きしてくれねば、頭がこんがらがって「スッ」とからは程遠い。

更に言えば、「舒明と皇極の子であり兄は天智」などと書き加えてくれたらもっと嬉しいのに、そんな配慮は全く無い。

 

まあそれでも、丸一日掛けて読み終えた。

さて飛鳥・奈良時代は、天皇が代わる度に都を遷した、いや複数回遷都した天皇もいたのだが、何故そんな必要があったのか知らなかった。

もちろん色々な事情が絡んでるんだろうが、先ずは先帝が亡くなればその地は穢れてしまったという捉え方があったろうし、何しろ陰謀だらけの世相とあり、最も安全そうな位置へ引っ越すという意味もあったようだ。

 

まあ宮殿は茅葺・板葺きという時代で、壊して馬車や牛車に積み込んで運ぶという、今では想像も出来ない“引っ越し”だったろうから、経費の面では大した問題にならなかったのかも知れぬ。

但し、後の平安京ともなれば広大だし屋根は瓦葺、寺院の移築や新築に溝を掘ったり巨大な石も必要なので、人民は苦役に喘いだことになる。

 

前日は丸一日部屋から出なかったので、

今日は少しでも歩いておかねば“何もしない癖”が出そうで怖い(強迫観念かも)。

とは言えどカラダに負担掛ける余裕も無いので迷いに迷う。