11日(日)、武田尾のシライトソウ観に行こうと思ってたところ、昔の職場仲間から、14日(木)に“同窓会”開こうとの連絡が入ってきたので、お酒飲むだけじゃ詰まらんから、武田尾で花を探した後にしては?と提案した。
日頃歩いてる人たちじゃないので、断られると思ったら意外にも、その程度ならみんな歩けるわとの返事貰って一件落着となる。
そうこうしてたらTさんから電話が入り、「重いの持ってきた、リュックで取りに来い」
単行本の今昔物語集をドカッと持参してくれたのだ。
しまった! 申し訳無いが、これを読むの断念したのが数日前、連絡が後手に回ってしまったのだ・・・そんなこと言える訳もなく、当分の間借りる体にした。
しかも『本朝部』の4冊だけにして、残りは持ち帰って貰わねばならなかった。
1週間ばかり前にも書いたが、東大教授の保立道久センセが青年たちに向け、「今昔物語集」を原文で読みなさいと呼び掛けてるの知り、オイラも一丁と意気込んだまでは良かった。
そこで、原文の本を持ってると仰るHさんから借りようとしたところ、こんな写真の添付と共に、「限られた人生の残り時間の多くを費やすことないと思う。でもその気になったらいつでもどうぞ」なるメールが届いた。
その画面に目を凝らしてみるに、読めぬことは無いにしても、意味を把握するのは煩わしく、不明点も沢山出て来る。そこで、今昔物語って何者かと調べてビックリ、天竺(インド)部・震旦(中国)部に本朝部の三部構成で、「今は昔」から始まる説話が1,000以上載ってるのだ。
これは個人が通読するような代物じゃなく、何か創作してやろうという場合にそのネタ探しする倉庫みたいなものと判明したのだった。
確かにHさん仰る通り、こんなのに時間奪われるって考えもの、諦めるに到ったのだが、そんなところへTさんから4冊、
折角だからと注釈付きのページを捲る。
そこで気付いたのは、出て来るお話の順序は年代を無視してるだけじゃなく、主語がどの部分なのかさえ判じ難く、文章のルールなど無いに等しい。
暫く本棚に立てておき、その内「手に負えぬ」と返却するしかない。
何編か読んでる内にアタマがおかしくなってきた。気分転換に表へ出て、“今日の一輪”ハルジオン・ヒメジョオンにハナゾノツクバネウツギを摘み取った。
さてこれからは、日陰の多いルートを選ぶ必要がある。
久し振りで逢山峡でも歩いてみようか・・



