29日(土)、父母の遺骨を合葬墓へ“納骨”した。
実は以前に石材業者から、当社が代理で納骨引き受けますよと言われてたけど、「いや、一旦家へ連れ帰りたいので、納骨は自分でやります」と、白い布に入った遺骨を持ち帰り、何度かその骨を手の平で包み込みながら「孝行したい時に親は無し、それってほんまやなあ」と話しかけた。
合葬墓へ入ってしまえば二度と取り出すなど出来ないから、そこの係員さん「ここでお別れしてください」
まだ若い時分と別な感情湧くのは、“ぼつぼつ来てもええよ”と言ってくれてる気がするのだった。納骨を終え、もう来ることも無いだろう我が家の墓に立ち寄ってみようとする。
途中の道にイチョウの落ち葉が光ってて、道はこっちだと教えて貰ってるよう・・
思えば、この墓建てたのは私なので、撤去するのも私になってしまった。
昭和44年6月、56歳という若さでこの世を去った母親、2ヶ月後に父親の反対を押し切り、ナケナシの貯金はたいて墓石を刻んだ。私25歳だった。
先祖代々の墓と違うから、その点“墓仕舞い”も意のままに運ぶこと出来て良かった。
13時半から神戸駅前のクリスタルビルで班会議、ならば歩いてでも間に合いそうと墓園を縦断して鵯越駅、更に歩いて烏原貯水池へ向かう。
朝方は少々寒かったものの歩けば温まり、貯水池の紅葉と水の色が目を惹く。
歴史ある貯水池の堰堤
13時半から班会議、何とか次期班長さんも決まって駅前の居酒屋へ移動、やんややんやと賑わしく懇親会を終えること出来た。






