8日(月)、こんこんと眠り続けて10時間後に目覚めた。

そりゃあそうだろ、前夜は咳込んでほぼ眠れてなかったから、睡眠の深さもそれを取り返すものだったに違いないなく、咳込んだ覚えもない。

 

ただ問題は食欲、終日ベッドにひっくり返ってるから当然かも知れぬが、いつもの半部程度しか食べられず、ただアルコールだけは口当たりが良いもんで、この2日間は“ウィスキー濃い目の水割り”で通してきた。

もちろん熱も計る、35.9℃と平熱にまで下がってい、本でも読んで過ごそうという気にさせてくれる。

 

そうそう、スマホ宛て、或いはブログ友さんからも「コロナの変性株では?」「医者へ行け、それはニンバスかも」と有難い連絡頂いた。片や自身それも頭にネット検索したところによれば、「対処法は風邪と同じ」とか「インフルより重症化率は低い」と出てくるので、おまけに掛かり付けの医院はバスに乗らねば行けない場所、とうとう痛み止め1錠と龍角散飲んだだけで終わりそう。

 

熱さえ出なければボーッと過ごす訳にはゆかず、宮尾登美子の『きのね』を読み継ぐことになる。

 

なにぶんの長編小説だったが、風邪をいいことに比較的早く読みおおせること叶った、一言で表せば“極めて良く出来た小説”ということになろう。

私はその昔から、有吉佐和子と宮尾登美子は女流作家の双璧だと思ってい、彼女の作品も一定読んできたように思ってたが(いや、読んだことあるが皆忘れてしまってた可能性も捨て難い)、久し振りに彼女の独特な文体に接し、次はまた宮尾登美子だなと思ったのである。

 

塩焚きで生計立てる極貧の家に生まれた光乃、口入屋の斡旋で当代一番と誉れ高い歌舞伎役者の大所帯へ女中の末端として奉公にあがる。

昭和8年、光乃18歳であった。

貧しい家庭に育った者は骨身惜しまず働き、我慢強い? 口下手で口数も少ない光乃は、後に第十一代市川團十郎を襲名する若き日の雪雄(お坊ちゃま)の身の回りの世話を仰せつかる。

 

宮尾登美子が、この光乃を主人公にした小説を書こうと市川家に持ち掛けたところ、癇癪持ちである雪雄の行跡が世間に漏れてしまうのを怖れ、色好い返事は貰えなかった。しかし作家という存在はそんな壁などものともせず、なんと光乃が産んだ、後の第十二代市川團十郎の産婆の存在まで探し当てたのだった。

 

十一代市川團十郎の前名は、一世を風靡した市川海老蔵、当時海老蔵ファンからは「海老さま~ッ」と崇められておったから、その海老蔵が“綺麗どころ”と一緒に写ったポスターには5寸釘が打ち付けられることもあったとか、思わず吹き出してしまう部分である。

海老さま~ッと呼ばわったり5寸釘打ち付けたのは、きっと大してお金に不自由の無い中年女性だったろう、韓国の何とかいう俳優追っ掛けたのと同じく。

 

この本読んで知ったのだが、歌舞伎界にはこんなのいっぱいあって、雪雄は市川家の長男ではあれど、松本幸四郎がホントの父親、市川家へ養子で入ってるのだった。

つい最近、有吉佐和子にも歌舞伎界描いた作品あると聞き調べてみたら、『連舞』というのが見つかった。何処の出版社か調べようとしたところ、これは歌舞伎界ではなく舞踊の世界を描いたものと判明した。これも読んでみたいから忙しい。

 

寝てばかりおったから、橋幸夫が亡くなったのをこの日に知った、私のすぐ上の年齢である・・数々のヒット曲残しておるが、私からすると『チェッ チェッ チェッ』ということになる。

♬夜更けの外車に乗っていた そっぽ向いてたチェッ チェッ チェッ 

忘れちゃいな、諦めちゃいなと言われても、それが出来る年齢じゃなかったわいな。

その後M・Tさんはどう過ごしてる? ご存命ならば橋幸夫のすぐ下の歳になるが・・

 

そんな前か後かは忘れたが、『潮来笠』というのも大ヒットしたから、当時長い髪を苦手としてた私は理髪店に出向くと「潮来刈りで」 そんなのが通用してたのだった。