10日(水)、ボーッと生きてきて80年目を迎えてしまった。

若い時分に80歳まで生きるんだと分かっておれば、も少し意義ある人生を模索しただろうに、残念ながらそんなこと知る由も無く、唯々目先のことばかり追ってきただけである。

 

読んではいないが佐藤愛子の本に、『九十歳。何がめでたい』というのがあって、

これがまた馬鹿売れし、映画化もされたようだ。

 

その後の2020年には、『九十八歳。戦いやまず日は暮れず』を出版してるから驚きでしかなく、今も生きてるなら101歳になるはず。

書いてるんだろうか?『百五歳。死んでたまるか』を。

佐藤愛子が書いたモノ、幾つかは読んでるが、圧巻はもちろん『血脈』で、一族の始末記みたいな中身、中心人物はあのサトーハチローなるハチャメチャ男だ。

サトーハチローは佐藤愛子の異母兄にあたり、その私生活たるや凄まじい反面、「ちいさい秋みつけた」や「うれしいひなまつり」といった極めて優しい詩を編み出し、歌謡曲でも「リンゴの唄」「長崎の鐘」に「うちの女房にゃ髭がある」など、一世を風靡した詩を書いておる。

おお、佐藤愛子の『戦いすんで日は暮れて』もなかなか面白かったの思い出した。

 

佐藤愛子やサトーハチローと比較しようなどとは思いもしないが、あと3年ばかり生きると仮定して何かに挑戦・・ほんの片隅でそんな思いする一方、「いやいや、自然体でよろし」だから発展は望めない。

 

カンカン照りでさえなければ、まずまず元気で傘寿迎えたと両親に報告(こう書けば、如何にも親孝行に受け取られそうだが決してそうではなく、ついでの用件があったから)するのも悪く無かろうと、重い荷物背負って墓園へ出掛けた。

 

有難いことに曇り空、おまけに少々風もあって昨日までとは大違いだ。

これなら草引きだって出来るわと、いつもよりずっと丁寧に草を引き抜いたから、

草どもは言い合ってることだろう、「今回はこっぴどくやられたな・・」

 

墓園循環バスは30分待ち。

そんな悠長は許せない、鵯越駅・烏原貯水池経由で湊川公園駅まで歩いたから、この日も冷え冷えビールを喉にぶっつけること出来た。

 

私が利用させて貰ってるAmebaブログ、時として「?年前の今日あなたが書いた記事があります」という表示が現れる。それをクリックしたところ、ちょうど2年前、保久良神社から金鳥山を登り、打越峠から黒五谷を下った書き込みが出てきた。

 

そう、あの酷い痒みが全身に広がり、脂っぽい軟膏を塗りたくってコカモメヅル探ししてたのである。この年2月に皮膚科クリニック受診、以降中央市民病院から大学病院へと渡り歩き、痒みが治まったのは翌2023年7月だった。

いやいや、思い出してもゾッとする。

 

熱中症警戒アラートの心配は無かったのに、今日は降水確率が高く、期待してた『草の観察会』が中止に追い込まれた。

一体全体どう過ごせばいいのか戸惑う7月11日である。