年末年始のTV番組はドタバタものが多くて観る気が起こらない。かと言ってお酒飲みながら本ともゆかぬので、大晦日はEテレで『N響 第九』を聴く時間をもった。
これが何とも迫力あって、交響曲などに極めて疎い私でさえ少々興奮気味に1時間ばかりを過ごしたのだ。
指揮は井上道義、父親はアメリカ人だそうである。そして新聞によると彼、2024年引退を決意して公表したそうだ。まだ75歳なのにモッタイナイ。
いったい指揮者というのはどんな役割をもってるんだろう、実は高校時代からそんな疑問を持ち続けてたように思う。指揮棒振って曲のテンポや音の強弱を管理するだけなら、ある意味自分にだって出来そうではないかと。ところが以前、少し読み齧った東京藝術大学音楽科に関する本により、指揮者は作曲家の往時のものの考え方・捉え方から、作曲年代の思想・立場にまで立ち入って曲を理解し、作品に個性を与える極めて大事な役割を果たさねばならん云々とあったから、ならば私に届く部分じゃないと納得したものである。
指揮者に演奏者、そして歌う人たちみんなが感情移入して。
いつの日にかまた、第九を聴きに行かねばならん。
2日(月)朝、取り敢えずは高取山から持ち帰ったハラン(キジカクシ科)の根元で見つけた球形(いや、四稜あり:径2.5cm)が何者であるかを確かめねば気が済まない。先ずはブツブツのある球体で、その頂部には窪みがあるので“柱頭の痕跡?”とか“ここから割れて開花する?”なんて期待に弾む。4稜あるのは子房が4室に分かれてるのかな。
縦方向にナイフを入れた、ははん、これは果実なんだわと判明。半透明の種子の中には白い胚もしっかり見えておる。
先端部にもナイフを入れる。果実の表面ぶつぶつ部分は柔らかいけど、内部はかなり堅いから、これから成熟して液果になるんだろうか?それとも“液果状”なる表現が近いのかも知れぬ。4室に分かれてるその境目も十分には分からない。種子は少なくて5~6個かな。
身近なキジカクシ科植物のジャノヒゲやヤブラン、彼らも液果とされるが果皮は早くから剥がれ落ち、液果と呼ぶには抵抗ある。
本来なら次女O家族を迎えるはずだったが、コロナが抜け切らぬとかで暇が出来てしまった。お昼に軽くいっぱい飲んで午後はDVDで『黄金を抱いて翔べ』を見ることになる。高村薫の同名小説を映画化したもので、小説は随分な前に読みはしたが、どうにも意味が掴めず仕舞いだったので、暇潰しにでもと借りてきてた。
あかん、映画も小説同様にゴチャゴチャ入り組み、ちゃんとしたストーリーが追い難いから消化不良。ただし、浅野忠信なる役者は凄い、あくまでクールに役回りを演じ切ってるように思えた。最終場面に出てくる数百億円の金塊・・・あの音は金塊の音じゃなくアルミかなんかの軽金属音でしかない。







