9日(金)、どんだけ待たされるか分からないものの、とにかく医師にこの痒みを訴え、少しでも楽になる方策を聞き出さねば泣きたくもなる状況にある。

11時頃に受付を通りなさいと言われたけれど、もう待ちきれず10時には待合室に着いた。幸いにも11時15分に呼ばれて診察室、「どうにも我慢できません。オイラックスは全く効果無く身体中傷だらけ、この通りです」

 

先生、「う~ん、難しい状態ですね。残されてる手と言われても・・一度ステロイド剤を服用してみましょうか、長期間は駄目なので2週間飲んで様子みてみましょう」 そしてステロイド軟膏も1瓶処方して貰い病院を出た。こんな表現したくは無いが、今のような状態が何年も続く中で生き続けられる? 突然そうなったんだから突然治るかもと慰めてくれる人あれど、何らかの見通し立たねば前など向けない。

 

病院で1時間、調剤薬局で40分の待ち時間は毎回覚悟の上、この日はお借りしてる森下雨村の『猿猴 川に死す』を持参して大方読み終えた。

前半1/3程度はアユ釣りの話だったから、全編アユ尽くしなのかと思いきや、ウナギにハゼにヤマメ・アマゴ釣りまでが登場し、雨村は釣りなら何でもこいだったらしい。

彼は朝日新聞社の支局長という要職を惜し気も無く捨て、父親が一人住む高知の佐川町で釣三昧の生活を送る粋人で、森村誠一などの推理作家を世に送り出した器の大きな人物だったらしい。

 

20篇ばかりの短い随筆の全てに、特に「園さんと狸」や「博労の宿」「猿猴川に死す」なんかでは、森下雨村という温かみある人間性が存分に窺えるのだ。

随筆の中身は釣りのみでなく自然に囲まれた高知での、地元の人々との交流がスキッとした文書で描かれておる。私が特に気に入った部分は『釣りは不確実だからこその楽しさ』 ここだ、逃がした魚はデカいのである。

 

四国を良く知る人を別とすれば、四国の川として名高いのは徳島県に注ぐ吉野川に那賀川、高知県の四万十川に仁淀川の4河川ではなかろうか。

大昔、その吉野川流域にある大塚製薬の工場を訪ね、工場長の案内でポカリスエット製造工程を見せて貰った。驚いたのは外でも無い、「この川の水がお札に化けて降ってくるんです」 大儲けしたらしい。

間違ってるかも知れないが、那賀川河口近くの海岸でウミガメの産卵が観察できると聞き、バス仕立てで出掛けたこともある。ところが我々何人かのグループは“カメより宴会”だったから見ず仕舞いに終わった。。。

 

そして15年ばかり前には車で四万十川の河口から北上し、進路をグッと東へ向けて源流域まで走り続けたことがある。途中でゴロゴロ石の道になり、こんなところでエンコでもしたら一体どうなるんと思いながらも走り続けたものだ。ただし当時の四万十川は、言われるほどの清流ではなかったように記憶する。