9月8日になってやっと熱帯夜も終了したようで、ここ3日間の我が家における最低気温は24℃だから、朝方には薄い掛物が要るくらいで過ごし好い。
ただまあ10日(月)も朝からの雨なもんで、これはもう本でも読んで遣り過ごすしか方法も無い。

3~4日前から読み始めた佐野洋子のエッセー『神も仏もありませぬ』が中々シビアな内容になってるのは、乳癌の宣告受けてたからかなと思っておった。
ところが読み終えて彼女の経歴や作品を調べてみると、この『神も仏も・・・』はその宣告よりずっと以前のものだと知る。
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佐野洋子は1938年北京で生まれ、1942年と1947年に2人の弟を失くし、引き続き1948には大好きだった兄を失ってる。 また高校時代には父親をも見送ってるから、当然“死”というものと深く交わってきたことになる。
2004年、乳癌が見つかって手術受けるも骨転移、2006年には余命2年の宣告を受け、2010年死去。

『100万回生きたねこ』は1977年出版だし『神も仏も・・・』も2003年の出版だから、乳癌以前のものと考えられる。 なのにこの絵本やエッセー集では頻繁に“死”が命題となってるのは、きっと若き時分に体験した家族の死が重なってるように思えるのだ。

・・・97歳の友達の母親が、「洋子さん、私はもう充分生きたわ、いつお迎えが来てもいい。 でも今日でなくてもいい」と言った。

愛猫フネが癌にかかって瀕死状態になった。「私はこの小さな畜生に劣る。この小さな生き物の、生きる物の宿命である死をそのまま受け入れてる目にひるんだ。その静寂さの前に恥じた。 私がフネだったら、わめいてうめいて、その苦痛をのろうに違いなかった。」 etc.etc.
それにしても佐野洋子なる女性の、性格のキツさも大いにうかがえるエッセーだ。

死をいくら冷静に見詰めようとしても、何の役にも立たないで、ただ生きてるというだけで嬉しいと感じるのが人の生き様(猫にもそんなのあるのかな?)だとしたら、誰だってエラそうなこと言えないのである。

現在図書館へ予約入れてる『死ぬ気まんまん』は2011年出版だから、臨終を間近に控えたものだろうし、『シズコさん』も乳癌発覚を機にして和解した母親との確執を描いてるみたい、ここは連続して読んでやろうと思ってる。