先だって友人たちと雑談する中で『若きウェルテルの悩み』が話題になったところ、読書家のHさんから、「ならば日本版ウェルテルを読んでみたら?」と奨められたのが夏目漱石の『それから』だった。
ほぼ1週間掛けて22日(水)、それを読み終えた。

難しい論理とか時代背景を別とするなら、主人公が友人の妻に恋し、彼女を奪う代わりに親からの援助を断ち切られ慌てふためくストーリーである。
超一流の大学を出て30歳にもなりながら働きもせず、親からの援助でなんの不自由も無く生活を送る主人公代助は3年前、恋しく思っておった女性三千代を友人平岡に譲って結婚させた。 その平岡、銀行での仕事に行き詰って退職し、代助の近所へ転居してくる。
当然平岡は金銭的にも不如意となり、三千代は代助の元へ借金を申し込みに訪れる・・ そんなこんな経過があって代助、かつての恋心を再燃させるのだ。
一方手広く商売する代助の父親は、一刻も早く結婚させるべく(商売上の政略もあって)何人かの女性を紹介するも本人は一向に煮え切らない。
人妻三千代との結婚希望を告げられた父親は怒り心頭、遂に代助への経済援助を断ち切ると宣言し、代助の兄も絶縁を言い渡す。 労働になどとんと関心の無かった彼は三千代との今後を危ぶみ、一種狂乱の状態へ陥るであった。。。。
世界の文豪が愛とか恋をメインに据えた本を書いてるところからすると、それは人間の本質に迫る部分なんだろう、今も昔も似たような展開になって当然かも知れない。 そんなとこは別とし、我々が若い時分に戦わせたのと極めて近い議論が代助・平岡の口から発せられ、思わず微笑んでしまう。
代助「つまり食う為の職業は、誠実にゃ出来悪(にく)いという意味さ」
平岡「食う為だから、猛烈に働く気になるんだろう」
代助「猛烈に働けるかも知れないが、誠実には働き悪(にく)いよ。食う為の働きと言うと、つまり食うのと働くのと何方が目的だと思う」
平岡「無論食う方さ」
代助「それ見給え。食う方が目的で働く方が方便なら、食い易いように働き方を合せてゆくのが当然だろう。 だからさ、衣食に不自由無のない人が、言わば、物数奇にやる働きでなくっちゃ、真面目な仕事は出来るもんじゃないんだよ」
平岡「そうすると、君の様な身分のものでなくっちゃ、神聖な労力は出来ない訳だ。
じゃ益々遣る義務がある」
今にして思えば、かなり恥ずかしい議論を平気で声高に交わしてたものだが、まあ文豪漱石だって似たようなものと思えば救われるか・・
今ひとつ、魅力的な女性が登場する。
代助の嫂(あによめ)で実に気風が好く、映画にするなら杉村春子や淡島千景が適役じゃなかったろうか。
と思ってDVDで検索したら、どうも草笛光子がその役演じてるみたい、借りに行かねばならぬ。