アメリカの小説家カポーティ―の代表作とされる『ティファニーで朝食を』を読んでみた。 結論からすると私の理解の範疇外、それも相当遠いところであって、だからすぐさま彼の『冷血』を注文することになってしまう。
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女主人公ホリーはまだ19歳にしかならぬのに、華やかで娼婦然とした生活を送っている。 彼女にそんな生活を許したのは彼女自身の生い立ちに関係しており、兄と共にごく小さい時分に孤児となり、他人の世話にならねば生きてゆけぬ境遇からきたもの。 だから自身の今を嘆いたりせず、男性遍歴を繰り返しつつ奔放な毎日を送ることにしか生き甲斐の見つけようもないのである。

そんなホリーの生活に抵抗感を覚えつつも、男主人公“僕”は次第に惹かれてゆき、一種の庇護者を兼ねながらホリーを愛するようになる。
小説の終盤、ちょっとした事件に巻き込まれたホリーは大金持ちとの生活を夢見つつ、可愛がってた猫も捨てて単独でブラジルだったかへ出国してしまう。
 
その猫だけは気懸りだったのか、“僕”に見届けを依頼する。 
そして僕、探し回ってやっと見つけたその猫が、お金持ちの家に拾われてたのを確認し、お金持ちに巡り合ってるホリーに重ねて満足を得るのであった。
                                   そんな粗筋かいな・・・

ティファニーはアメリカを代表する宝石店だから、ホリーはそのような場所で毎日朝飯喰うのを夢見つつ生涯を送ろうとしたのであろうか?
もちろん当時のTiffanyにレストランなど併設されてる訳でもなかったが、この小説が爆発的に売れたために軽食コーナーをつくったとかそうでもないとか。 行かれた方がいらっしゃれば教えてください。

女性は、或いは男性だって、姿美しく生まれてくればそれに越したこと無いけれど、
それと惹かれ愛することとは別問題・別次元だろうと断じるのは狭量に過ぎる?
広大で豊かなアメリカだからこその展開、であるのかなで終わってしまった。

そして今、ゲーテの『若きウェルテルの悩み』に挑戦中、これまた厄介な読み物であって難行苦行が続いておる。