毎日毎日同じ言葉に辟易だが、この「暑さ」だから一日おきでしか外出できない。
そこで26日(木)は読み始めてたツルゲーネフの『はつ恋』を読み終えた。
実は先だって、昔の職場仲間と居酒屋した折に本が話題となり、私が「異邦人」 「ペスト」に「月と六ペンス」や「賢者の贈りもの」といった最近読んだものを挙げたところでKさんやTさんから、「普通そんなの高校時代から大学生時分に読む本じゃないの?」と笑われた。 でも読んでいないんだから仕方ない、今回もその覚悟でもって『はつ恋』――
19世紀のロシア文学を代表する文豪ツルゲーネフ、その彼が自作の中で最も気に入ってるのがこれらしいから、それは一度読んでみねばと買ったもの。

16歳の主人公ウラジミールは、別荘の隣へ引っ越してきた5つ年上の女性ジナイーダに恋心を抱き、苦心して彼女に近づこうとする。 しかしジナイーダは何故か何人もの男性をコケティッシュにもてあそぶ風変わりな性格であった。
にも拘わらずウラジミールの心は彼女の虜になるばかりで、彼女の相手となりそうな者であれば刺殺してやろうとナイフまで準備ようになる。
そしてある夜、ジナイーダの部屋へ忍び込もうとする男、それが自分の父親のペトロ―ヴィチであることを知る。 まあそこまでは世の中に無い話しとは言えないからいいとして、その後が理解に苦しむのだ。
ウラジミールはそんな父親でありそんなジナイーダであるとみとめた後も、父親への敬愛の念はさして変わらず、ジナイーダをも慕い続けるのだ・・
息子のジナイーダに対する気持ちを知りつつ、数年の後父親は死ぬんだが、彼が息子に残した手紙には「女の愛を恐れよ。かの幸を、かの毒を恐れよ」と書かれてあった。。。そんな部分も理解に苦しみ、ああこれは1800年代帝政ロシア貴族階級のジョーシキだったんかと思わねば次へ進まない。
ただ最後の最後の数行は理解出来ぬでもない。
別の男性と結婚したジナイーダの死後(お産がうまくゆかず若くして死去)、ウラジミールが近隣のアパートに住む貧しい老婆の死に立ち会う場面があって、“老婆は死の間際まで「主よ、わが罪を許させたまえ」とささやき続ける。そして、これを名残の意識がすっと消えると共に、彼女の眼の中の末期の恐れや怯えの色がやっと消えたのを見る” “私は思わずジナイーダの身になって、父のためにも、ジナイーダのためにも、そして自分のためにもしみじみ祈りたくなるのである”
今も昔も変わらぬ死の尊厳を表現する場面だろうか。
ジナイーダが愛したのはウラジミールの父親ペテロ―ヴィチだったから、この初恋はウラジミールのじゃなくジナイーダのものと受け取れぬものでもなく、言い慣らされた表現になるが『恋は盲目』で、それは誰にだって経験あるのだ。
物語はツルゲーネフの実体験に基づくものだとされ、この経験によりツルゲーネフは生涯独身を貫くことになったそうだから、それは物語に出てくる以上の怨念に苛まれたことであろうに。
いずれにしてもこの本、よく解らなかったから、結果論だが時間のムダだった。