親の50回忌を行うというのは、「めでたい」と表現するのか「悲しい」と表現するのか考えもしなかったけど、私の母親は「多発性骨髄腫」なる難病を患い、49年前の6月に亡くなった。 当時はまだ鎮痛薬の使用が躊躇われてた時代なもんで、毎晩毎晩痛い痛いと呻きながら横たわる母親に眠れぬ夜を過ごしたから、亡くなった折には『これで楽になれたね』とホッとした覚えもある。

当時の私は社会へ出てまだ3年目、仕事に全精力を注いでる時期とあって家に居る日など殆ど無く、だから病を得た親の側に付いてたなんてことは記憶に無いくらいである。

慌ただしく葬儀を終えた2~3日後だったろう、大丸から“日傘”が届いた。 
ご近所の方の話しによれば、近付く“夏休み”中に私の「お見合い」に同道すべく、大丸で傘を誂えたんだとか。 
当時は癌に対する告知などなされなかったから、ここを乗り越えればと思っておったに違いない。

それから49年が流れ去った。
父親は80歳まで生きたから、一緒にお酒飲んで騒ぐ機会もしばしばあり、それなりに親孝行の真似事も叶ったけれど、母親に関しては全く何もしておらず、高校時代の反抗ばかりが記憶に残ってる。 だからという訳でもないんだろうが50歳を迎えた頃から、この50回忌だけは済ませて死なねばならぬと思い定めていた。

31日(木)。 朝からの雨。
もはや母を知る親戚など殆どいないし、存命ではあっても90に近い方への声掛けも躊躇われる。 姉(先妻の子)からだって脚が悪くて遠慮すると言われてるから、ここは“法要”というより“墓参”の形にならざるを得ない。

予定してた午後2:30、やっとこせ雨も止んでくれる。
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草引きに30分、今回だけは長い祈りをささげる。
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霊位i板って言うんかな? 父親のも母親のもすっかりハゲてしまってみすぼらしいが、それは私が入る時に纏めて修復して貰えばよろしい。
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とにかく一応“静生院釈妙順”の50年忌を済ませ、母親を知ってるからと一緒戴いたNさん・Oさんを無理やり誘ってビールにした。