17日(木)は「森の観察会・箱館山」だったのに、お昼から『お参り』が割り込んできた。 信仰心に乏しい私ではあっても、“お参り”に誘われれば断るのって難しく、箱館山を犠牲にせざるを得ない(罰当たりな表現である・・)。
そこで半分ばかり読んでたアルベール・カミュの『異邦人』を読み継ぐことにする。
前半は比較的すらすら読めたのに、後半になるといきなり難しくなって理解が進まない。 だからといって、ゆっくり読めば解るような代物でもないから、そこんとこは解らないままに前へ進む。

『母親の葬儀で涙を流さない人間は、すべてこの社会で死刑を宣告されるおそれがある』という主人公ムルソーの言葉 貧相な私の頭が捉えたこの小説の基本のキは、この1行にも集約されてるんじゃなかろうかと思うのだ。
つまり、悲しくなくとも悲しそうな芝居をしつつ(つまりあらゆる場面で嘘をつきながら)暮らしてゆかねば異邦人として扱われるんだという主張・・
欧米においてキリスト教は、一種の権力として作用しかねぬ部分があって、だからムルソーは教戒師を徹底して遠ざけ、異邦人として断頭台へ向かった、のかな?
ムルソーにとって重要なのは、現在のものであり具体的なもののみで、現在の欲望だけが彼を揺り動かす・・ この種の本になると哲学の領域へ入るから、実存主義とか実在主義に加えて不条理の認識なんて部分を意識できる読者じゃないと真髄に迫ることは不可能だ。 けれどまあ、何とはなくムルソーの“生きかた”の一割方には共感、読んで損したとの思いは全く無くて、盛夏を迎えて外出し難い時期に入れば、『ペスト』にも挑戦しようと思ってる。
時々ネットで、無料配信されてる「TED」なるスピーチ番組を見てる。
昨日見たのは松山大耕なる京都の坊さんのお話しで、「日本の宗教観を世界へ広げよう」といった、なかなか面白い数分間だった。
宗教が権力化するのを戒める内容は、異邦人に通底するスピーチだったように思う。
お参りを済ませ、短時間ではあるがビール飲みながら歓談してきたから、私は異邦人じゃない。