先日GH当番で一緒頂いてたYさんから、文太郎道を歩いたことがあるかと尋ねられた。 須磨の背山である栂尾山は、これまでに何度も何度も歩いたコースだけれど、そのすぐ南側にあの加藤文太郎が歩いた六甲縦走路の“痕跡”があるなんて夢にも知らなかったから、是非近々の内に歩いておこうと目標にしてた。
3日(木)はお昼から会食予定なので、朝8時に家を出たら間に合いそうと高倉台団地方向を目指す。 高倉台団地から東へ渡る橋、

ここが栂尾山への入口に当り、左(北)へ歩くのが現在の“六甲全山縦走路”で、

アルバイト強いられる通称400階段を登ることになる。

Yさんの指示は逆の右側(南)で、確かに小さな踏み跡はある。

ただまあ歩く人は少ないとみえ、取り敢えず開けた部分を辿る。

2mばかりの堰堤にぶつかる。 赤いテープはあっても踏み跡見つけるのは難しいから進路を変えた。

赤や青のテープが数本もあるのに、更に高い堰堤が行く手を阻んでルートが判断出来ない。 空は暗いし風も強く、木々は擦れ合ってギイギイ鳴ってる・・でもまあここまで来たからには文太郎道を探さずばなるまいとキョロキョロ。

これに相違ない、低い方の堰堤を高巻くような形でロープが張ってある。

暫く上を目指せば「文太郎道」の標識が目に入った。
そうか、これが昔の縦走路だったんだなと、コースを見つけてホッとする。

こんな写真で見たら幅の広い単純な尾根道に映るんだけど、六甲山地特有の風化した花崗岩でザレザレだし、風も強くて体が左右に揺さぶられる。
2~3ヶ所で岩肌を掴んで体を持ち上げねばならぬ場所もあったから、荷は軽いに越したことない。

広い道へ飛び出した。 左は栂尾山だし右は須磨離宮公園へ至る道。

時間的に余裕なので栂尾山の展望台。 降りそうだったけど、それは逃れた。
須磨離宮公園から登って来られた女性、「この風の強さで馬ノ背は大丈夫でしょうか?」 私は言った、「風の息を見計らえば」。 我ながらカッコエエ。

今回の目的は“文太郎道”のみ、須磨離宮公園へ下ることに決めた。
モチツツジって、シャクナゲっぽい姿する。

僅か2日後なのに離宮公園のバラはどんどん開き始めてる。

でも私一番のお気に入り場所では、やっぱりまだ3~4日後だろう。
風が強いから、噴水は低いままに調整してある。

因みに加藤文太郎は大正時代から昭和の初めに掛けて活躍した登山家で、仕事の行き帰りに50kmもの六甲山地を往復したり、単独で積雪期の日本アルプス、特に富山県から長野県への北アルプスを疾風の如く駆け抜けた単独縦走は登山界でも良く知られている。
しかし無念なことに昭和11年1月、北鎌尾根で風雪に阻まれ、わずか30歳で生涯を終えた。 新田次郎の小説「孤高の人」に取り上げられた加藤文太郎、その踏み跡を歩けて満足した一日。
会食を終え、シャワーしてから孫たちとボール投げ、すっかり疲れ果てた。