元旦は一日中飲んでたようなものとあり、せめて2日(火)は散歩でもしとかねば心身ともにシャンとしない。 好い天気で風も弱いから、午前は海辺を歩きながら綱敷天満宮参拝を決める。 今年は孫の一人が受験で、来週にはセンター試験が控えておるのに、勉強してる様子はちっとも窺えない。 そのくせ望みは高いんだから、いわゆる「一発屋」なんかな?
これがカモメに違いない。嘴は短めで黄色・背中の色は灰色・風切は黒。
ポケットガイドに脚は黄色と書いてあるが、これは肌色に近いみたいだ。

その向こうに群れを成して羽根を休めてるのはユリカモメで、嘴は赤・背中は薄い灰色・風切は黒、脚は赤い。

ならこの斑な背中したのは何かとページめくると、カモメの幼鳥なんだと判明して
すっきりした。

綱敷天満宮は学問の神様で道真公を祀っているから、今沢山の受験生やその親がお参りに来てる。

何度も立ち寄ってる神社なのに、この石碑の文字を読んだのは初めてで、碑文の後に書いてある名を見て半世紀ばかりも前に記憶が遡る。

及川英雄。
彼は長い間兵庫県庁に在職しつつ文筆活動に励み、兵庫県、特に神戸市における文化界の中心を務めた詩人である。 もちろん私などとは何の関係も無い人物なのに1~2度酒席で同じテーブルとなり、一言二言交わしたことがあるのだ。

その昔、筆名K.Aさんに親しく連れ回されてる時期があった。
彼は確か明舞団地で発行する“団地新聞”に、短期間ではあったが神戸事件を扱った文を連載してたし、詩集を自費出版して1冊頂いたこともある。
そのK.Aさん、酒癖は褒められたものじゃなかったから、周囲はそれとなく声がかかるのを敬遠してたに違いなく、時として私のところへお鉢が回ってくるのだった。
阪神元町駅は当時から地下にあって、その狭い地下街に『半どん』という名のこじんまりした居酒屋があった。 その半どん、夕刻ともなれば何処からともなく文人やその卵に、新聞社でモノ書いてる人たちが集まって来、その及川氏を中心にして酒宴の始まるのが常だったように理解してる。
そんな中へ私も詰め込まれたから敵わない、確か読売新聞社だったかの物書きさんから詩文について問われたことがあって、酔っぱらったK.Aさんが口を挟んでくれたから助かったようなものの、今少しのところで酷い目に遭う場面も・・
指折り数えるとあれは1970年頃だろう、及川氏は75年に68歳で死去されてるから、当時の彼は停年直後のお年だったことになる。
及川氏は文化人サークル『半どんの会』の世話人、店の名が先なのかサークル名が先なのか。