27日(水)、S字結腸ポリープの細胞診結果聞きにKH病院へ出掛けた。
私の父親は脳梗塞で一種の突然死みたいなものだったが、母親は多発性骨髄腫なる当時の難病で、50年前の癌として悲惨な結末を辿ったことになる。
その激痛は終日続いたので、そんな苦しみが続くくらいなら早く楽になって欲しいと願ったりしたのが現実である。 死後暫く後に弟の縁談が持ち上がり、長男の私は父親に頼まれて仲人さんや相手の家族と様々な打ち合わせする役目を担ったことがある。
相手の親御さんから、「お母さんは早くお亡くなりになったんですね、どうされたんですか」と聞かれたから、私は何の躊躇もなく「癌です、多発性骨髄腫という病名です」と答えたところ、父親がえらく怒って「何故そんなふうに答えたんだ!」
当時はまだ一部で癌の遺伝が信じられてい、癌死は一種“内緒”の時代だったのだろうが、私はそんなこと頭から否定してたので、父親とは暫く間を置くことになった覚えがある。
実はそんな経緯も大いにあって、自分のことはたとえ癌であろうが痴呆であろうが(それは無理かな?)、出来ることなら隠したりはしたくない(もちろん自慢にはならないけど)思いが50年後(今年50回忌)の今でも続いてる。
9時、病院の待合室に座って「日の名残り」を読む。 いや、やはり気になって字面を追ってたというのが正しいだろうその証拠に、部分部分の理解が抜け落ちてるから、元に戻って読み返したりもする。
2~3時間待つのは覚悟だったのに1時間ばかりで名前を呼ばれた。
S主治医の今年の診察日は既に終わってるから、彼女に代わってS内科部長の説明を聞く。
「山さん、大きい方のポリープに癌がありましたね。 ただその癌細胞が今回のポリペク(ポリープ切除を言ってる)で完全に取り切れてるかどうかが十分確認できない? そんな細胞診結果です。 そこのところは来年、ポリペクを担当したS主治医の判断をお聞きください」。
もちろん私はそれで納得した訳じゃない。
S主治医の上に立つのがS内科部長だから、内科部長としての判断とか見通しを示す立場ではあっても、内科とは言え幅広い分野であろうし、そこはそれ、医者の世界はなかなか難しい面もあるから、大人(たいにん)としての私はS部長の顔を立てるべしと見極めて、「ならば来年の主治医見解を待ちます」と病院をあとにした。
このS部長はKH病院内科を背負って立つ人気医師だとは私も知ってて、温厚な顔立ちで温厚な言葉掛けられると抵抗し難いのは間違いない。
でも患者にしてみれば、中途半端な診断は心をユラユラさせるし、増して年2度もの癌宣告受けるなんてなあ--
S内科部長さん、こんな表現しつつ私を萎縮させもした。
「血圧がどうこうとか、血糖値が少々高いなんて問題じゃないですから、今診察予約取ればどうですか?」 手帳開いて日程合せ、1/22になったから、ありゃりゃ連続で病院通いになった。
自分の部屋に落ち着いてこの日一日を振り返ると、その昔のアナウンサー(小西徳郎っていったかな)の「何と申しましょうか」が思い浮かんだのだ。
実に何と申しましょうかじゃないか・・・
夕刻次女から電話があって、「それって転移?」なんて言うから、まさか転移なんかじゃないだろ、「多発性かな?」と苦笑せざるを得なかった。
夜、またまた I Dr.から電話を貰い、「切除断端に癌細胞があるか無いかだけの問題なのに、何が不明なんか俺には良く分らん。 とにかく主治医のの診断待つより仕方ないから、もしその折に手術云々となった時には“紹介状”で別の・・・」
彼には何から何まで相談に乗って貰え、どれほど心休まってるか知れたものじゃない。