1日(水)、本来なら掛かりつけ医の診察日で、予約も入れてたのに、blog記事書いてる内にすっかり抜け落ち、慌てて「済みません、来週月曜日に・・」と電話する始末。 午後、好い天気だからちょっと散歩でもと家を出はしたが、やはり疲れが残ってるのか足は自然に図書館へ向いてしまう。
あまり日時が無いから長編は駄目だし、しち難しい本にも気は向かわず、南木佳士の『先生のあさがお』を引っ張り出した。 本ていうか活字読むのは昔から好きで、面白そうなのは手当たり次第に読んできたのに、小説とエッセーを区分して読むなど意識の外だった。
小説とは虚構の物語であり、エッセーとは思索・思想をまとめた散文を指すという。では南木佳士の作品がどっちに相当するのかその判別は難しく、私の感想からすれば圧倒的にエッセー或いはエッセー風のものが多い。
この『先生のあさがお』もエッセーと捉えておかしくはなく、大体両者に区分すること自体が無意味ではないかと思われる。 いずれにしろ、彼の情景描写は峻烈で、削ぎ落とせる部分が全く見い出せない感じがして快い。

三篇から成ってて、「白い花の木の下で」が2009年、「先生のあさがお」が2010年、「熊出没注意」は2012年の作品だから、彼もいよいよ老境に入りつつある時期の作品と言え、先日読み終た「陽子の一日」が2015年だから、恐らくそれが最新作になるんだろう。
『先生のあさがお』の終わり部分に、畑の物置の前で、村人と一緒になってサンマ焼きながら焼酎を飲んでる場面があって、「浄土だなあ。」 「浄土ですね。行けるも行けないも、いまが浄土ですね。たぶん、ね。」
私もそんな心持ちで、残された年月を生きねばならぬと、いたく心動かされたのである。