12日(水)は終日掛けて小説『ガラスの街』に取り組んだ。
私の理解では、小説というものはそのストーリーを“楽しむ”要素が無ければならないのにこの「ガラスの街」、出足好調と読み始めたけれど・・・

ある事件を解決すべく行動を始めた作家であり探偵もどきの主人公クイン、犯人?を追う内に自身が何者か分からなくなってしまい、遂には街中へと霞んでしまう・・・
読者である私も同様に、一体誰の行動・思考に注目しつつ読み進めているのかさえ不明になってしまう不可思議なストーリー、これは力量ある読み手でなければ理解が叶わないと思えた。
今ひとつ翻訳物読む折にいつも感じるのは、欧米と日本の文化的背景の相違で、片やキリスト教という明確な宗教的バックボーンがあるに対し、我々にはそんなのが乏しいから、余計に彼らの行動規範やそこからの逸脱がつかみ難いうらみもある。
では何故投げ出さずに、一応最後まで目通ししたのかというと、それは訳者の力量によるとしか思えないから、機会があれば、今一度この柴田元幸の翻訳したものを読んでみたい、そんなところ・・・
読み終えてカバーの絵、上手く出来てるなと感心する。
タダジュン装画。 この小説を十分に理解してなければこうは描けないだろな。
面白半分で単行本の表紙をネットから。

なるほど、ニューヨークなる巨大な街においては、自分が一体どんな存在なのか分からなくなるし、消されてしまつて当たり前なのか。