事前の天気予報では、5月30日(土)曇/31日(日)曇時々雨/6月1日(月)曇という芳しくないものだったが、出発前日の予報では、何とか雨だけは免れそうな感じに変化した。
30日(土)午後1時、久しぶりで耳にする女性のアナウンス「まつもと~ まつもと~」、さて何年ぶりになることだろう。
松本は盆地とあって暑く、30℃もあるだろうか。そんな中で見上げる北アルプスの山々と雪渓は、その昔を懐かしく思い起こさせる。
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松本駅から送迎バスに揺られること約80分、焼岳の麓に建つ「中の湯温泉旅館」に到着。 総勢20名だが、男性7名はちょっと淋しいかな?
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<割り当てられた部屋で荷物整理をし始めた頃、雨が降り始めた。
やっぱりか・・と思う反面、降るなら今の内にたっぷり降れ、前線よ、夜の間に通り抜けろと願う>


31日(日)、早朝までにかなりの雨量を示した。
ところが、朝食を終える頃にはすっかりガスも流れ去り、陽が射し始めたではないか。9:00再度送迎バスに乗り込み、釜トンをくぐって上高地バスターミナルまで約30分。 この空はドーヨッ! 花はミヤマザクラ(バラ科)らしい。
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上高地BTから河童橋は近い。
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奥穂高のピークを探すけど、さてどれやら分からず。
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西穂や前穂も見えて不思議じゃないのだけれど・・・
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清流梓川  雪融けの水を集めている。
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草花に目を遣りつ、小鳥に目を遣りつしながら明神を目指す。
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明神橋を渡る。
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眼前に明神岳の鋭鋒。2930メートル。
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12時JUST 徳沢着。
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河童橋にしろ明神池にしろ、はたまた徳沢園にしろ横尾山荘にしろ、「登山」してる時には見向きもしないままだった。
今こうしてゆったりした気分で眺めてみると、何ともはや素晴らしい。
ニリンソウを眺めながらのお弁当。
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井上靖の小説「氷壁の宿」の舞台となった山小屋。
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そのすぐ脇に、こんな標識が立てられていた。
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この長塀山を越えて蝶ヶ岳、翌日に常念岳を落として穂高の町まで歩いたのは、
2000年7月26日からの7泊8日に亘る山行だった。
7/26(水)の夜行バスで神戸を出たのはOさん、K川さん、O田さんに私と家人を含めた5人だったろう。
7/27日(木)は苗場山頂ヒュッテに泊まった。山小屋は空いてて快適な夜が過ごせた。
7/28(金)、これが辛かった。山頂ヒュッテからフクベ平~赤湯山口館~元橋の8時間を歩きづめ、その長かったこと!
7/29(土)には更に谷川岳を登って、やっと7/30(日)の休息日を得る。
ここで仕事のあるK川さんとO田さんは帰神したが、Oさんと家人の3人は更に上高地へ向かうことになった。

7/31(月)、3人は上高地を出発し、この氷壁の宿徳沢園の横手から長塀山に取付いた。長塀・・長い長い登りが続き、ほうほうの態で蝶の小屋へ倒れ込んだ。
しかし、翌朝の穂高・槍の息をも呑む光景は、苦労の後とあって格別。
8/1(火)、絶好の天気に恵まれ、身近にライチョウを見ながら常念山頂に達し、一ノ沢経由で穂高の町まで降りつき、旅館みさとで気炎上げたものだった。
2000年7月か、あの頃の体調は万全だった・・・


横尾まではとても及ばず、徳沢から上高地へ引き返すことに決まる。
上高地へ近づいたところで数頭の子猿が現われ、草を口に含んだりふざけ合ったり、何とも微笑ましい姿だ。
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午後4時、送迎バスがやってきた。もう「登山」は無理かも知れないが、上高地散策にはもう一度訪ねたいものだ。
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1日(月)、皆さんは焼岳登山道の観察に向かった。私はどうしても読み切らねばならぬ本があって宿舎に残留。
11時頃玄関前が騒がしい。何かと出てみれば、遠くの枯れ枝にオオルリがとまってしきりにさえずってるのだった。
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「中の湯温泉」、宿泊料は10,000円+税という金額だから、朝夕の食卓にのぼる食材は決して珍しいものではない。しかしどれもこれも美味しくて、唯一の不満足は1日目夕食のサーモン刺身だけだった。
イワナの塩焼きは美味しかった、あの豆腐も旨かったし、鴨鍋も良かったぞ。


松本駅前で昼食を摂り、午後3時のワイドビュー16号の人となる。
大阪19時着で解散。
この小旅行を計画して下さったHさんに感謝せねばならぬのは当然として、3日間の好天を与えて下さった天にも謝意を表さねばならない。

      いろいろな花が目の前に現れた。これにはページを改めねばならない。