4日(金)の朝、Nさんの奥さんから、「新生姜の甘酢漬けができたよ」とメールが入った。もちろん頂きますよと返事の電話を入れ、ついでにNさんと少し歩くことにする。
今年こそ、あの須磨寺の古木が、エノキ(ニレ科)なのかムクノキ(ニレ科)なのかを確認したかったので、その樹の下で待ち合わせることにした。
本堂のすぐ下に。
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随分な古木とあって、葉がしっかり見えるような下の方に枝は無く、樹皮とてガサガサに荒れている。見上げて葉を見ると、エノキにしては葉の幅が狭いようだし、実の数はパラパラで大きい上に、熟すと黒っぽく見えるので、2年前から疑問に感じてた樹だ。
枝の張り具合を見ると、建物の2階のバルコニーへ行けば葉っぱが手に入りそうだと分かる。2階へ上がってみると、受付・案内係の婦人2名に若いお坊さんが1名座ってられるけど、バルコニーへ出ることは出来ない。
図々しくも私、その御坊に「葉っぱを1枚取っては貰えぬか」と願い出たところ、快く引き受けてくれた。
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受け取った瞬間、「ああやっぱりエノキだわ・・」
 
 
帰宅後、高い所のを写した画像をのぞくと、やはりエノキ。
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右の方に青い実が見えてるけど、こんな付き方するのはムクノキに近いと思ってしまう。
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須磨寺公園のベンチに腰掛け、Nさんが持参してくれた缶ビールと、奥さんが握ってくれた“鰹とトロロ昆布”入りおにぎりを頬張る。
このカモ、すっかり人馴れしてて、私の足元でせっせと毛づくろい。
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こうなれば、もう歩く気も失せてN家でせっせと水割り。。。
 
 
エノキと言えば一里塚。
徳川三代将軍家光が、「一里塚には余の樹(松平家だからマツ?)を植えよ」と命じたところ、年老いた家来の耳が遠かったためにエノキと聞き違えて・・といったユーモラスな記録もあるそうだが、この木は側方へも大きく枝を張り、夏には広い緑陰を提供してくれるから、当時の旅人にとっては有難い存在だったとは想像できる。
エノキは榎、まさに日陰をつくる樹である。
二代将軍秀忠から受け継がれたこの一里塚構築は、日本橋を起点として、全国に一里ごとに植えさせたもので、エノキの他に「余の樹」も多く用いられたそうだ。
 
一方、一里塚の歴史はもう少し遡るみたいで、
1582年、伊勢周辺を支配していた織田信長が、36町(1町=0.0092m)を1里(3.93km)と定めて樹を植えさせたのが起源であり、その後主要街道に設けられたという。
 
 
エノキの語源==材が堅いところから、各種農具の柄に用いられたから「柄の木」といった説もあるけれど、エノキのエには吉の字が当てられていた時代があって、吉野はエシノと呼ばれてもいた。
その吉が使われて吉木(えのき)とか、嘉木(よのき)が語源だともいう。いずれにしても、エノキはゲンの良い樹木ではある。