アーカイブ(英語かな?)の意味を知ったのはつい最近で、今では「記録を整理して保管、未来へ伝達する事」といった意味に使われているようだ。
私が週の半分ほどを過すマンションの近くに、神戸アーカイブ写真館というのがあり、今、昔懐かしい三ノ宮・元町周辺の写真が展示されてるというので、19日(水)お昼からそこへ出掛けた。

想像してたより展示物が少なくていささかガッカリ・・

昭和31年2月。工事中の神戸新聞会館から東方向を撮影してるもので、神戸製鋼所などの煙突がずらりと並んでおり、真っ黒な煙が立ち上っているけれど、誰一人公害なんて言ってなかった。

昭和33年ごろ。そごう百貨店。

昭和40年ころの国鉄三ノ宮駅。もっとすっきりしてたような記憶があるけど、こんなものだったんだ。

昭和40年ころ。
東京から三ノ宮へ帰り着くと、まずこの新聞会館壁面にあるタイルでかたどった富士山が目に飛び込んできたものだ。

昭和31年の元町商店街。まだアーケードは無かったんか。。
そうか、ここも戦争で焼けたから、まだこの頃はバラックも多かった?

我が家にも、こんなのがあった。「へっついさん」と称してたかな?
柿渋塗った大きなうちわとセットだったように思う。

昭和32年。須磨海水浴場で臨海学校。 近い・・

これ、分かりますか? そう、「ええとこええとこ聚楽館」のアイススケート場。
私も何度か行ったけど、全然上手くならないから止めた。

これ、木炭バスじゃないかな?坂道ではよくエンコしたもので、エンジン掛けるのを手伝ったり、後ろから押したりしたものだ。中には大変美しい車掌さんもいたなぁ。
今にして思えば、なかなかカッコ良いバスだと思うけど、夏は死ぬほど暑かった。

このアーカイブ写真館で仕事してる方、大変親切で、いろいろな古い雑誌や記録を紹介してくれる。
これ、私が卒業した小学校の新築現場で、山裾の赤い線は神戸電鉄(親はその当時神有と呼んでおった)の線路。菊水山がはっきり見通せる。

アーカイブ写真館、冷たいお茶までサービスしてくれるから、次々と冊子に目を通す。なんとまあ、昭和8年に印刷された名倉小学校の職員名簿の写しを見つけた。
卒業した小学校の校長M田先生、副校長だったO坪先生、担任だったM本先生、
その他H房先生やM上先生の名前があった。
あっ、S山先生は小学校2年生時の担任だ!

この名簿に載ってる人たちの中には、召集令状受け取った人もいるだろうし、空襲で亡くなった人も混じってることだろう。例え生き残っても、戦後の食糧難はじめ様々な困難に直面しただろうことを思いつつ、ずいぶん長居をしてしまった。