その昔、神戸の中心地だった新開地・湊川だが、今では僅かに下町風情を残すばかりとなったこの辺りが私は好きで、そう、週に1度は徘徊している。
その新開地・湊川が、明治時代中期以降まで「旧湊川」の川底であったとは知らなかった。
 
3日(月)K川さんと、その「旧湊川」や現在の新湊川の生い立ちを調べるべく、川を遡ることにした。
長田区駒栄町の駒栄橋を潜って、新湊川の水は瀬戸内海へ流れ込む。その橋から上流を眺める。左の山は高取山。
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川はほぼ一直線で北へと向かい、阪神高速神戸3号線やJR山陽本線などが横断している。これだけ大きな標識でも、車の屋根をぶつける事故は後を絶たない。
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直接線路にぶつけられたらオオゴトだからと、防護工が設けられていて、それには傷がいっぱい。
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長田区役所・消防署の前を流れ、長田中央市場の北側で左からやってきた苅藻川と合流する。
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長田神社の南側からは東方向へ。
三面張りの川だったが、「愛する会」などの奉仕活動によって、動物も生息可能な状態にまでなっている。いかに水質が良くなろうと、三面張りでは不愛想に過ぎる。
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出身高校の前を東へ歩くと「前原町」。どうしてるかなあ・・いや独り言。
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房王寺橋から、2000年に完成した新湊川トンネルの吐口を見る。
「天長地久」なる石版は、「湊川隧道」にあったのが移設されたらしい。
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ここから新湊川トンネルは会下山の下へと潜り込むから、我々もその上をなぞるように歩く。会下山は全体が公園化されていて、春になると桜のピンクに包まれる。
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その会下山を降りたところに「湊川隧道」の呑口があり、月に1回この中でコンサートなどが催されている。一度出掛けてみたいと思いつつ月日が経過して・・
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この「湊川隧道」は、明治34年に完成・通水した日本最初の河川トンネルだが、阪神淡路大震災で大きな被害を蒙ったため、新湊川トンネルを新たに掘削したのだ。
隧道は、文化遺産として丁寧に保存されている。
 
 
新湊川トンネルの呑口坑門。立派な文字で、これも隧道のを移設したのだろう。
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湊川市場近くへやって来た。左から合流するのは石井川、右は天王谷川と名を変えるから、ここが新湊川の源流ということになる。
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旧湊川は、ここからほぼ真っ直ぐ南へ流れ下っていたのだが、神戸が開港されると流出土砂で港が埋没したり、賑やかな福原周辺が度々洪水に襲われたりしたため、地元有力者が明治政府と掛け合って隧道を掘削、川を西方向へと付け替えた訳である。
元の旧湊川は天井川だったらしく、堤防を削った跡地が、今の新開地・湊川へと発展したのだった。こんな散策も楽しい。
 
 
旧湊川の前は「古湊川」と呼ばれる状態で、清盛が付け替えたなんて伝説もあるが、まあこれは伝説の世界。