住み替えた場所のすぐ近くに、神戸市立地域人材支援センターなる建物がある。
15日(金)は朝から冷たい雨が降っているので、時間潰しでそこへ出掛けた。
統廃合により消えてしまった小学校の校舎を利用したもので、そう言えば以前、灘区のこんな場所へ脚を運んだことがある。
ロココ調?の瀟洒な建築物だから、取り壊すのは確かにモッタイナイ。

市が運営する機関や、NPOが運営する団体などが同居してるみたいだ。

入ったすぐの所にいろいろなチラシがあって、これは!と思ったのが「デジカメ活用講座」である。2日間6時間で500円とは驚きのデフレ価格、すぐに申し込んだ。
こんなのって、本当に助かる。

もひとつはこの「デジカメ寺子屋」で、これは月2回、4月から半年間継続される講座だから、結構勉強になる感じがする。事務所で聞いてみると、定員15名に対し現在5名の申込者があるそうで、まだ慌てなくとも良いみたい、前向きに考えている。
月謝は月2回の5時間で2,000円だから、これも格安と言える。

この建物の2階には、源平の合戦模様を表す立派なジオラマが展示されていて、
今まさに、義経軍が逆落としをかけようとしている。

このジオラマの隣には、明治の時代から昭和の中期にかけての、大変懐かしい写真も展示されていて、小一時間も見入っていた。
大正10年、学校における「頭髪シラミ駆除」。わらわれはこんなじゃなくって、DDTを振り掛けられておった。

「眼科検診」。 我々の頃には、トラホーム(トラコーマ)なる眼病がいっぱいあったものだ。

「臨海学校」。私も須磨海岸でこんな体操してから海へ入ったもんだ。

もちろんこうした「チャンバラごっこ」は日常茶飯。

昭和20年代後半の、子どもたちの服装はこんなのだった。

昭和29年の「学校給食」。 ミルク? なんのなんの、アメリカからやってきた脱脂粉乳を湯で溶いた代物だった。 それにしても駆虫剤マクリは最悪だったなあ・・

三輪車、私の周りにそんな贅沢出来る奴はいなかった。

野池・溜池・小川、朝早くから、釣りにはよく出掛けた。釣るのは小鮒が中心で、時として気色悪いイモリがかかり、これには往生した。

「羽根つき」。もちろん男の子も羽根をついて遊んでたけれど、女の子と違ってすぐに飽きたものだ。

「神戸みなとの祭り」ポスター。
この祭りは戦前の昭和8年に始まり、戦時中に中断はしたものの、昭和41年まで続いたそうである。もちろんこんなモダンな姿をしてるのは、花電車(路面電車を花で飾りつけていた)に乗ってる特別な人だけで、日本の経済はまだまだ十分じゃなかった。

「神戸まつり音頭」というのがあって、私は今でも歌える。
そうそう、私のクラス(小学校時代)からミスなんとかに選ばれ、この花電車に乗った人がいる。彼女、どうしてるのかなあ?
神戸みなとの祭りは今、神戸まつりと名を変え、単に騒々しいだけのサンバに明け暮れてる、それがいささか悔しい。