5/19に小学校時代のクラス会があって、その時Nさんから、同級生で散策するような機会があれば楽しいだろうなといった提案がなされた。
 
31日(木)はその初回として、須磨区「歴史散策」が実行された。
集合地点へ集まった中に見知らぬ女性が1人。。。なんとまあ卒業以来だから、半世紀以上振りに顔を合わせた I さんである。
 
しかもしかも、彼女植物に随分詳しい。
聞いてびっくり、Y師匠やH池センセの教え子ではないか!
実に世の中、広いようで狭いから、決して悪いことは出来ません。
 
私の場合、集合地点まで歩いても1時間弱なので、そうする。
道端などで雑草化しているオレンジ色の花はナガミノヒナゲシ(ケシ科)。
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名前の通り、実が長い。 この青い実が成熟すると・・・
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こんな風に上部に隙間が生じ、茎が枯れて下を向くと、ここから種子をこぼす仕組みになっている。多分果皮部分が乾燥で縮んだ結果こうなるんだろう。
知れば知るほど、植物の知恵に脱帽だ。
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粉のように小さな種子だから、その数は千の単位になるだろう。
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以上はつい最近、Y師匠から教えて貰った復習である。
 
 
最初の訪問地は、奥須磨公園の南に建つ多井畑厄神で、770年代に建立された日本最古の厄神社のひとつである。元々は京都で流行る疫病を鎮めるお祓いが行われておった。
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次いで「猿田彦神社」。ここで半世紀以上振りに出会った I さんの説明が行われる。
鳥居に注目。左右に位置する縦のは柱、横向きの上の柱は笠木で下のは貫と呼ばれるのだが、この貫が柱から左右へ飛び出していないのは女の神を祀る神社で、飛び出してるのは男の神を祀る神社だと。
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そうするとここは、女の神を祀っていることになると、全員目からウロコといった顔つきになった。
 
これは厄神社の鳥居で、貫が突き出しておるから、男の神を祀っていることになる。
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*ちなみに、笠木のすぐ下の柱は島木と呼ばれるらしい。
 
ただ、猿田彦は男の神だから、その辺りはどうも良く分からない・・・
 
 
須磨の地で、在原行平に見初められた姉妹「松風と村雨」の墓。
平安末期から、墓の基本は五輪塔になったのだろうか?
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下から順に、地輪・水輪・火輪・風輪・空輪と重なっていて、古代インドにおいて宇宙の要素とされたものを表しているそうな。
 
 
その松風と村雨が姿見として利用した「鏡の井」
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覗き込んだ女性に対し、「濁ってて良かったな」と男性Dさん。
 
 
下畑乙姫神社  平清盛が建立したとされる下畑大歳神社で、江戸時代になって龍宮伝説と結び付け、乙姫なる呼称になったらしい。
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旧武庫離宮であったが、今生天皇の成婚記念として神戸市へ下賜された。
このバラ園を見降ろしながらのお弁当、ビールの無いのが残念至極。
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園内のショウブ園
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真言宗須磨寺派大本山 須磨寺。
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須磨寺境内にある「敦盛の首塚」 これも五輪塔である。
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わらべ地蔵
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最後の訪問地は綱敷天満宮
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約6時間かけて巡り歩いた須磨区の「歴史散策」、参加者の満足感が伺える、意義ある散歩になったから嬉しい。
来月は「アジサイ散策」かなあ・・