12日(土)は以前下見した須磨浦公園から始まるコースの本番で、参加者は40数名である。
先ずは公園内に建つ敦盛塚に立ち寄り、一の谷の戦いの説明を受ける。
その敦盛塚の脇に「敦盛そば」と書いた蕎麦屋さんがあるのだが、なんとここには、江戸時代から蕎麦屋があったらしい。
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その昔、須磨の地は大変淋しい場所であった。
一方、芭蕉や蕪村が訪れる風光明媚な土地でもあったのだろう。
芭蕉の句碑  蝸牛角ふり分けて須磨明石
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蕪村の句碑  春の海終日のたりのたりかな
蕪村直筆だという。昔の人はどうしてこんなに字が上手かったのか?
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シャシャンボ(ツツジ科)の葉の裏側。よく見えないが主脈上にポツポツした出っ張りがある。実は美味しいらしいので、今年の課題になった。
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これがヤマモモ(ヤマモモ科)の葉だとは思えない。萌芽の時代の葉はこんなに鮮やかな黄緑色で、大きな鋸歯がある。
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この境川が播磨の国と攝津の国を分かつ。
ちなみに、奈良時代の首都圏を意味する「畿内」とは、東は名張、南は紀ノ川、北は逢坂山、西はこの須磨までを指していて、ここから更に西は赤石(明石)と呼ばれた。よって須磨は畿内の最西端(隅:すみ)に位置し、これが須磨に変じたという。
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須磨のり(兵庫のり)の刈り取りをする船。のり網を持ち上げ、その下へもぐり込んで20cmばかりに成長したのりを機械で刈り取るそうだ。
もうひとつ、網に着いたのりは結構成長が速いようで、1つの網で複数回の収穫が出来ると知った。
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網の下へ入り込む船。自然案内人は歴史・文学に絵の素養も必要・・・ぞっとする。
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モッコク(ツバキ科) 葉柄は短く赤い。葉は肉厚で毛が無い。
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鉄拐山(テッカイザン)  いったいどんな意味なのか理解出来ていなかった。
拐とは枴で杖という意味、鉄の杖だから武器なんだろうか?
帰宅後ネットで調べてみると、拐=枴で、拐は枴の異字体だとある。
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勢揃松   集結した平氏10万の軍勢に、搦め手から義経の軍勢がこの一の谷を駆け下った。「逆落とし」と言えば鵯越(神戸電鉄)だが、この一の谷(山陽電鉄)の方が逆落としぴったりの急斜面、案内人さんは後者をとった。すると「案内人さんは山陽電鉄の回し者?」と合いの手が入るから面白い。
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須磨寺で解散。
1月16日・17日、困った時の神頼みで神戸七福神を訪ねた。結果はOKだったから、お礼の参拝。
ただそれだけじゃなく、思いもしなかった幸運にまでめぐり合うことになった。
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そうなると黙って家へ帰るわけにはいかない。
知る人ぞ知る立ち飲み屋さんへ。このお店の人の奥様も、野鳥や山野草を趣味とされていて、私みたいにデジカメ持参で歩き回ってられるらしい。
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実に収穫の多い自然観察会だった。有難い事である。