ちょっと気恥ずかしいのだけれど、8日(土)に開催された「六甲山自然案内人の会」
の総会で、こんな名札を戴いた。
自然に関する知識のその前に、心の研鑽を積まねばならぬと自身に言い聞かせている。
 
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9日(日)、その案内人の会が催す定例の自然観察会に参加した。
もちろんまだ、気持ちはビジターから一歩も出ない。
今回の観察目標は、私が初めて経験する冬芽。小さな冬芽を写真にするのはなかなか困難な上に、寒くて手袋の脱着が煩わしいこともあって、、後日復習に出掛けることにした。
 
さて、神戸大学の北方に、「油こぶし」とか「寒天山道」なる登山道があり、過去何度も歩いている。しかしその名の由来については、知りたいと思いつつも放置したままだった。この観察会の昼食後、案内人さんからその由来の説明があって、大変興味深く耳を傾けた。
 
先ずは「油こぶし」・・・
江戸時代、住吉川流域は灘目と呼ばれ、水車を用いた産業が盛んであったという。
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すなわち水車は酒米の精米・製粉に加え、灯油の菜種油搾りなどに利用されたのだ。灘の酒は良く知られるところだが、菜種油も極めて品質が良く、酒と共に江戸や有馬温泉へと運ばれ喜ばれた。この灯油を有馬へ運ぶには山越えが必要で、この道を経由する際には、少なからず油を「こぼす」ことになった。よって「油こぶし」。
 
 
次いで「寒天山道」・・・
寒天はテングサなど紅藻類の粘液成分を凍結・乾燥させて作る。
寒天ゼリーは私の大好物で、特に甘味を抑えたコーヒーゼリーは最高だ。
住吉川流域でもこの寒天づくりが盛んだったようで、気温の低い六甲山地北側の西宮市山口町では、つい最近まで寒天作りが行われていたそうである。
だから寒天やその材料の運搬も、この山越えで行われていた。
よって「寒天山道」。
麓には寒天橋もある。
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石川さゆりのヒット曲に「天城越え」があり、その歌詞の中に寒天橋が出てくる。
浄蓮の滝近くにあるこの寒天橋の名も、寒天作りに関係しているのだろう。