探鳥と歴史散歩を兼ねて須磨アルプスから須磨離宮公園へと下り、「須磨寺」と「綱敷天満宮」
を訪問しました。昨日だったかの新聞に、天満宮で梅が開花してる写真が載っていて、これも
楽しみにして。ところが、高取山奥之院周辺をヘリが飛び交い、小鳥達はサッパリの結果です。

アオジの♂でしょうね。

高取山奥之院へ資材を運び揚げているようで、行ったり来たりを繰り返し、比較的図々しい鳥
(ヒヨドリ・ムクドリなど)しか見かけませんでした。

栂尾山から須磨離宮公園(木曜日は休園)を通り、西方の須磨寺へと向かいました。仁王門。

大本山 須磨寺の本堂 886年創建とされる真言宗の寺

梅が咲いています! 私と同じように写真を写していた御婦人曰く、「これは早咲きのものだから
別に珍しいわけではないのです、でも嬉しいですよね花が咲いてるのは」

三重塔 四国八十八箇寺が取り巻いていて、10分ほどで満願。

敦盛首塚 1184年一の谷の合戦。 敦盛はこの戦で源氏方の熊谷直実に首を取られた、
まだ16~17歳にしかならぬ平家の若武者。悩んだのは直実で、出家して手厚く法要を行った
と言います。が、何処までが真実なのかは・・・? しかし織田信長が謡曲「敦盛」を好んで
舞ったのは有名ですね。「人間五十年 下天のうちに比ぶれば・・・」のあれです。

綱敷天満宮 菅原道真が九州へ左遷の途上、海が荒れたためこの地に上陸したところ、地元民
は漁に用いる綱で円座を作って彼を休ませたのがその由来です。須磨寺の南方300mの地点に。

菅公は丑年生まれで丑年に亡くなったそうです。日頃から牛を可愛がっていたので、棺を引く
牛たちは悲しんで、この通り座り込んでしまったといいます。

綱敷天満宮の梅 新聞の通り咲いていました、これも寒に咲く種類でしょう。幾つもの種類の
梅が植えられていますがこれはもちろん「東風吹かば にほいをこせよ梅の花」にちなんでに
違いありませんよね。