根津神社で“根津かいわい浪漫ちっくマップ”を貰う。昔この地域に住んでいた華族や文豪達の似顔絵と共に描かれている地図を見ていると、程近くに大名時計博物館があるらしく、訪ねてみる事にした。
慣れない土地で少し迷い、道行く二人連れのご婦人方に訊ねると「目的地までお連れしましょう」との事。「今日はやっているかしら、お休みも多いのよ。この坂道を登って……」。坂道を登ってまで案内してくれるという。割りと強引な体で断り切れず、その後何がしかの勧誘でも待っているのだろうかと思いながら、その親切に付いていった。実際そうではあったものの、丁寧にお礼をして別れた。
推理小説はよく読むが、その中でも綾辻行人やクリスティーなど“館”ものシリーズを選んでいた頃、芦辺拓の推理小説『和時計の館の殺人』を読んで大名時計の奥深さを知ったのもあり、一度来館してみたかったのだ。
勝山藩下屋敷の跡地に建ち、背の高い棕櫚と白い小手毬の花が撓わに咲いていた。門構えは朝ドラロケにも利用されたらしい。少し荒廃した感じがしないでもないお庭の中に展示室はひとつ。
重要文化財の数々と不定時性のからくり時計が居並ぶ。斗景、斗鶏、自鳴鐘、土圭、図景、土計……。皆、“とけい”と読む。
時計という当て字は明治初期から使っているとの事。大名時計には掛け時計から始まり、櫓時計、御駕籠時計(大名が駕籠の中で使用した)、印籠時計(印籠に施された)、歩度計(腰に着けて南里何町歩いたか測る江戸時代の万歩計)など様々。
そうした、からくり時計に魅入っていると、受付の方が詳しく解説してくれ、更に面白さが増した。
不定時法を時計に仕上げる江戸最高の技術は世界に例をみない素晴らしさである。江戸時代には10時のおやつを「お四つ」、3時のおやつを「お八つ」と呼んでいた。さあ、これからおやつでも食べに行こうか。
それから上野へ赴く。
不忍池に川鵜がいて、一生懸命羽根を羽ばたかせていた。何故長時間そんなにまでバタバタしているのだろうか、心配になって調べてみた。鴨は浮力と防寒の為に油を羽根に塗るのだが(油はぼんじりの油壺から出る)、川鵜は追い込み狩りをし易くする為に油を塗らないので羽根が乾き辛いのだそう。
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【今日の思い出写真館】