私とフラワームーンの軌跡 | フラワーエッセンス自然界の恩恵で 前向きに【盛岡 東京田町】

フラワーエッセンス自然界の恩恵で 前向きに【盛岡 東京田町】

自らの中の神性が起動した時 偶然に見える運命が回り始める      エッセンスはその触媒となる 心体魂の統合ケアスクール         ナースセラピストのフラワーエッセンス・アロマ・前世療法

フラワームーン立ち上げの軌跡と
私自身の幼少~現在について・・・・

7か月の早産、トイレに産み落とされ
仮死の状態だったそうですが
心臓が強くて助かったと言われ
保育器で育つ。1500グラムの未熟児。

横浜で育つはずが、生みの親の体調の為
盛岡の親族に所へ・・・・
霊能者の叔母が、この子は盛岡にいくべき子だと。

この辺りの経過は
親のインナーチャイルドのボタンを子供は押す
~親子の絆を知る為の病気~⇒こちら

植物や石と会話するのが日常だった子供時代
変な子供と苛められて、自然が友達の状態で過ごす。
あの時は今は苦手な蛇もお友達。

地球に居場所などない・・・・
そう感じてきた幼少時代。
シリウスに帰りたい・・・何故かそう思い
星空ばかり見上げていました。

やがて中学受験、国立中学入学。
すると、変な子供扱いをされなくなり
ちょっとよい学校にいくと

周囲の対応がこんなに変わるんだ!と
何かがねじ曲がっていった思春期。

夢の中でも、そして目の前の草花の原っぱで広がる
見えない植物のエネルギーの世界に慰められる。
この私を慰めたエネルギーは
いつしか私の目の前には現れなくなったのが
中学後半になった頃・・・・

敏感な体質で、他の人には見えない、
感じない世界に日常いた事もあり
現実の社会とのギャップ、同調できない自分・・・・
看護師を目指して入学した高校衛生看護科時代
食欲不振、意欲低下、激やせ等の症状が出始め
うつ病と診断される。10代からうつの薬を処方され服薬。


うつ病と言われながら当時はバンド&バイトも盛んに展開し
バンド演奏禁止の高校の文化祭初のステージを繰り広げる。
外部の大会では県大会に進んだり
ベストオーディエンスを獲得した事もあり
本当に鬱だったのだろうか?と今は思います。
当時、担当していたパートはサックス、キーボード。
20代、30代とこのバンド活動は継続
未だにシーケンサーやシンセ等自宅にある位。


その後、看護師は向かない!と准看護師資格取得後、
一旦病院の事務職にて就職した18歳。
が、行く末を考え、看護師として22歳で転職。
やはり上の過程への進学を!と夜学の
高看コースへ進学し26歳卒業、国家試験合格。

この頃は小さい頃に友達だった植物、
そして見えない世界は一切否定し医療の世界へ。
神科単科病院に勤務。
その間も、鬱の薬を勤務先以外の病院で
処方されながら、不眠、ストレス、
薬が変える度に気分のアップダウン・・・
データでは測れない見えない心の病で
いつも緊張状態にあった。

見えない物を否定しているのに
見えない物に蝕まれていく。

間もなく結婚、親との絶縁・・・・
この親との絶縁が今思うと親からの制限を解き放つ、
自立という切っ掛けとなる。
その後は行き来をし、親の介護にも関わり

両親を看取りました。

鬱の薬を飲みつつ、不安定さは増し
希死念慮→多量に薬を服用したり
様々な方法で未遂を繰り返す。
この頃は私を愛して!
そう心の中で叫び続けていた状態。
それでも精神科の看護師として勤務。

最後に選んだ場所は自然界の中。
その頃は自然界の声は全く聞こえなくなっていた。
が、自然界は見放さず・・・。
低体温、朦朧状態で発見され
助かったものの言葉がついにでなくなり
社会的入院を内科の病院で引き受けてくれ休養。

そして妊娠を知る。
大きくなった娘が後日、曰く・・・・
向うで見ていて、放っておけなくて
助けなきゃ!と降りてきたのだとか。

入院先のドクターが精神科と産婦人科に紹介。
紹介先の精神科ドクターが君には薬はいらない!
デパスを残し、ばっさりと薬を切る。

この辺りの詳細は
すべての年代において想起すると人生が変わる!
~居場所がない!長いうつの日々~⇒こちら

その後、復職して無事出産。
娘が3歳になる前、車が2つに割れるような
10メートル車ごと落下する大きな交通事故、
寝たきりの入院生活。
間もなく離婚。娘と2人の生活が始まる。

事故後の後遺症で朝目覚めたら
歩けなくなっていて這って生活した事も。
現在もこの時の衝撃で頭頂葉の萎縮があり。
特に空間認識が苦手。ひどい方向音痴・・・。

看護師として勤務しながら
治るはずの病気で亡くなる人、
癌の末期と言われながら生き延びる人・・・
この差は何なのだろう?と疑問を感じ
一番は骨折の後に弱っていき食事をとらなくなり
亡くなった私の祖母や私自身の事故後の後遺症で
医療の限界を感じ、見てみぬふりをしてきた
エネルギー領域の世界に目を向け始める。

その頃、やってみたら?気を読むタイプだから・・
そう勧められた電話を使用した占い師として
看護師と並行し勤務。
複数の会社にも所属していたが
その一つにフラワーエッセンスを
使ってますという方があり、
そこで初めてエッセンスというものを知る。
2000年頃だったと記憶していますが
その時は、へぇ~怪しい水という印象。

事故後の後遺症をどうにか改善したい。
そこでレイキと出会う。
間もなく、前世療法を学び、その後に
再びフラワーエッセンスと出会う。

良く解らないと言いながら
何となくフラワーエッセンスを摂ったり
何度か仲間と会社を立ちあげては潰しを
繰り返したのち、占いではない何か?を考えだし
ヒーリングも取り入れていこうと会社に縛られず
自分の考えで展開したいと独立を決意。

当時予約が一杯だった電話占いの会社を辞め
フラワームーンを立ち上げた2004年3月6日。
間もなく、約12年勤務した病院で
院長死去に伴い全員解雇を体験する。

娘が小学校入学したばかりで
おばけがいる、学校に行きたくないという時期に
一緒にいる事が出来たのもこの頃
看護師の仕事がなくなったから。

看護師の国家資格があるにもかかわらず
全員解雇、組合活動が活発だった
あの病院の看護師は雇うな・・・・
盛岡市内の病院にはそんなお触れが周り
看護師としての再就職は困難で失業保険を受給しながら
この際、今まで経験した事のない
様々な職種を体験してみようと
派遣、アパレル、介護施設の夜勤、レジ等
初体験の仕事にチャレンジ。
介護の仕事に転換した切っ掛けともなり
そして自分自身の適職を再確認する。

クリスタル&インディゴのミックスのような
敏感な娘を育て、逆に育てられつつ・・・
生きる為に色々な経験をしていく。

当方が独立開業した2004年は風水上でも
流れが変わる時と言われているそうです(第8運気)

当時は前世療法等がどちらかというとメインで
フラワーエッセンスはそのサポート的に
セッションに取り入れていました。
その頃はバッチ博士のエッセンスのみ使用。

良く解らないのが何だか悔しくてエッセンスのスクールへ。
バッチ博士の38種類のエッセンスを
1本づつ向き合うプロセス・・・・
が、当時は正直よく解らなかった・・・
なのにエッセンスに引き寄せられる。

やがて2006年に運命のエッセンス
アラスカの3本に出会います。
そこから完全にスイッチが入り、
2010年エッセンスをメインとした活動へ。
たくさんのソウルメイトと出会い、今があります。

2014年、入院、子宮全摘手術を経て
出血量が多く麻酔も冷めず彷徨った時に、
思い残す事は何もない・・
そう思いながら再びこの世界に
叩き落され戻ってきました。

変わる位なら死んだ方がマシ!
強い抵抗と死ぬ時に思い残すこと⇒こちら

その後、再び選択する自由な医療と
代替医療の方向にスイッチが入りました。

以下、今までの軌跡・・・・
医療、介護の職種も同時に勤務しておりますが
その流れともリンクしていきます。



幼少の時、私を慰めた、夢にもよく現れた
植物のエネルギーの世界・・・・
3次元の世界に、重なるようにすぐ傍にある
そのエネルギーの見えない世界。
静寂で孤独で・・・・自分にだけで会える神聖な場所。

小さい頃、この世に存在する意味などない
そう思っていた私を慰めたあのエネルギー、
それがフラワーエッセンスと同じエネルギーだった。
今、そのエッセンスを使い表現する仕事をしている。
そのリンクした瞬間、鳥肌がたちました。



━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─

黄色い花2004年 
独立 ホームページ開設 オンラインショップ開始 
盛岡市サンクチュアリ様で前世療法担当
バッチ博士のエッセンス使用しリーディング開始 
霊気ヒーリングセッションスタート
(約12年勤務した精神科単科病院を退職、全員解雇を体験)

黄色い花2005年 
エッセンシャルオイル ヒーリングCD、ストーン等
ヒーリング関連商品取り扱い開始

黄色い花2006年
盛岡市高松に盛岡ルーム移転 前世療法を本格的にスタート 
ホームページに追加
前世療法CD制作 東京都内(護国寺)でのセッション開始
(同時期医療から介護の仕事へ転じる。
この頃は様々な職種も体験したく販売等の派遣も経験。
養護老人ホーム→訪問入浴看護師→
訪問介護のサービス提供責任者とあらゆる職種に)

黄色い花2007年
盛岡ルームが移転(同じく高松)
アラスカンエッセンス、
コルテPHIエッセンス取り扱い開始
フラワーエッセンス販売開始 

黄色い花2008年 
フラワーエッセンス等のワークショップスタート
オーストラリアンブッシュエッセンス、
ヒマラヤンエンハンサー、パシフィックエッセンス、
インディゴエッセンス等取り扱い開始
セッションで扱うエッセンス約650本を使用へ

(この時期に障がい支援相談員へ。
自立支援法による訪問介護事業立ち上げに関わる。
秋には訪問介護サービス提供責任者から介護支援専門員へと
人事異動し新規ディサービスの開設を体験)

黄色い花2009年 
東京永代ルーム開設(門前仲町)
 盛岡ルーム移転(山岸自宅サロンへ)
レインドロップテクニックのメニュー追加 
ヤングリビングオイルと出会いセッションに導入
霊気(海外式)アチューメント開始 
スペースクリアリング(オリジナル)開始

(介護支援専門員と兼務し再び看護師として現場へ。
この頃、勤務先で再度人事移動。
ターミナル期の方との出会いが続き
生きるとは?後悔せずに生きる事を再び考えだす)

黄色い花2010年 
個人セッションメニューを体系化 
独自といわれるスタイルのフラワーエッセンスセッション開始
フラワーエッセンスがメインへと転換
ニューロオリキュラーテクニック(NAT)メニュー追加
盛岡虹と光のフェスタイベントにお誘いを受け
以後東北をメインにイベント出展
東京永代ルーム閉鎖

この年は子宮頸がんの疑い、異形成を認め
再検査を繰り返し、それが消えた後、
沢山の別れと共に、本当に大切な方々と出会いました。

黄色い花2011年
聖書の12オイルセッション開始
盛岡市内、神奈川でのイベント主催
盛岡販売スペース(本町通)終了
都内近郊や神奈川のスペースをお借りしワークショップ再開
この頃よりコラボのWSも開催するようになる
電話対応のフラワーエッセンス遠隔セッション開始
3.11の震災にてエッセンスを東北6県を中心に提供

アクアイグネアボトル、ラブスアルケミー等取扱エッセンス追加
オリジナルセッション 心体魂の統合セッションスタート
軽井沢でエネルギー農業をされている方と出会い
コミュニティ構想にスイッチが入る

2012年
風水とエッセンスのエネルギー調整開始
シルクロードオイルをセッションに使用開始
セッションで扱うエッセンスは約850本へ
アセンションと言われた年だけあり徹底したそぎ落としを体験
この心体魂がシャーマンの如く崩壊していた状態はこちら
ペタルトーンのエッセンスの取り扱い開始

崩壊の年でしたが、それを癒す植物と
山の中で出会い、呼ばれ・・・
エッセンスを始めて作る事にもなりました。
バッチ博士が望んだ自らを癒す植物との出会い
それを現実で体感する。

2013年
心体魂の統合ケア フラワーエッセンススクール開講
(盛岡・東京田町にて基礎講座・アドバンス講座開催)
関東の活動拠点を都内田町へ
使用するエッセンス900本へ

2013年より認知症の父親が歩けなくなり
さらに症状が進む等、親の介護の課題も
浮上しつつ、現役ケアマネジャーとしても
活動をしていました。


2014年
10周年を迎える
10周年企画イベントは東京田町で開催
フラワーエッセンス国際コンファランス参加
そして筋腫により子宮全摘、卵巣片側摘出。
さらに甲状腺にのう胞が見つかり橋本病と診断。

再び病気とは何か?その視点に立ち
医療VS代替医療的な反発するものではなく
選択できる医療の自由・・・・を再度考え出す。
天と地を繋ぐお茶会を開始
ハワイアン等のエッセンス取扱い開始
ツインセッションお話し会スタート


2014年の入院、手術以降
何かをしようという使命感はなくて
魂の赴くままに・・・・
流れてきたものにもろ手を挙げて
飛び乗ってしまおう、ある意味委ねる・・・
そんな感覚になる。

フラワーエッセンスの世界
自然界のように共存する世界を
この生きている世界で表現するとしたら?
その構想を練り始める・・・。


2015年
盛岡山岸ルームイメージチェンジ
エッセンススクール再構築しSkype講座もスタート
あらゆる方向からのコラボレーション企画や
インディゴチルドレン、新次元の視点にも触れた
WSを開催するようになる 取扱いエッセンス950本
アメオのオイルと出会う

2016年
レイエッセンスと出会い、
セッションで使用のエッセンスは1000本へ・・・
娘の大学受験期となり後半は電話、

メールセッションメインで活動

2017年
ツインセッションについて見直し
エッセンスフェスタ仙台にてスピーカーとしてお招き頂く

夏には星座の森にてイベント企画

その頃より、長年実は取り組んでいたが封印していた

ボディケアとエッセンスを組み合わせて形にしだす。

 

娘の県外大学進学と共に一人ののんびりとした生活となるが

一時的な空の巣症候群も体験する。

そのプロセスで、エッセンスとのエネルギー的流れ、

エッセンスの時空的作用の仕方も再考するきっかけとなる。

 

2018年

母が脳出血で急逝、それからフラワーエッセンス、セラピーから

少し離れて、活動しようという気持ちが起きず。

ご依頼のあるセッション、イベントのみ対応させて頂き、

まったく別の方向にシフト中。

今までとは関わりのなかった方々と繋がり、環境をテーマにしたイベント等を手伝う。

 

2019年

2018年と同様ではあるが食、環境など、フラワーエッセンスの世界を社会で表現するなら?

多種多様の方と繋がる中で、食にかかわる方々から刺激を受ける。11月ケアマネの勤務中に転倒、労災にて右足首骨折し休職。

この間、自宅療養しながら、ゆったりとした丁寧な生活に向かう。

 

2020年

足首骨折を機に、14年間勤務した一部上場の介護業界大手の会社を退職。コロナの中、地元での活動、食など、月星座おうし座らしい活動に集中。

 

 

2021年

フラワーエッセンスに関して地道に続けているが、どちらかというと地元のカフェでのイベント手伝い等で環境や自然、食にリアルにかかわっている方との出会いが続く。

介護の仕事では転職先で管理者となり、システムの見直しなど行いながら体制を構築していく事を行う。

 

2022年

春に父を看取り、その後からフラワーエッセンスとは違う

肉体にも響くエネルギーに惹かれ、シンギングボウルを学びに山梨へ。お菓子作りもパティシェの方に学んでいる真っ最中。

10年ぶりに風水、四柱推命を学んだ方と再会し、再度学び直す。

50歳を過ぎ、四柱推命でいう時柱、50歳以降の人生のお役目を

もう一度確認しているような1年。

花×音×スィーツ 移動カフェ企画 シンギングボウルの演奏会をSTART。

 

2023年

シンギングボウル演奏会を定期的に開催。

その時の天空エネルギーをエッセンスで読み、お伝えしながら、

最後は手作りスィーツでほっこりというスタイル定着。

クリスマスイブには花巻市東和町、初開催の夢灯りにて

泣き相撲で知られる熊野神社様で演奏。

珍しくコンサルを受けながら、システムの再構築中。

お菓子作りは製菓理論を学び始める。

 

2024年

20周年を迎えました。

 

 

 


━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─