「怒りの奥には」を書いていて、ふと思いました。
理解されないことを悲しいと感じるのはエゴの働きだろうか?
怒りで武装するのはエゴの働きだろうか?
諦めて無感情になるのはエゴの働きだろうか?
自分を守るためのエゴの働きだろうか?
どう思います?
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以前、人が死にゆく様を目の前で見たことがあります。
それは、介護現場での出来事でしたが、数分前は元気だった人の、あまりにも突然で、あまりにも呆気ない死でした。
その時は、大変だと慌てはしましたが、割と冷静だったように思います。
今考えると、これまで生きることだけに目を向けていて、死というものに目を向けたことがなかっただけに、その死に納得したというか、腑に落ちたというか。
死があってこその生であれば、限りある生のなかで、どのように生き、どう在りたいのかと、考えるようにもなりました。
そのことに気付かされたのも、ちょうど今頃の季節、花が咲き誇り、木々が葉をつけ、生命が輝く春でした。
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