こんにちは、タロット占い師・守田のり子です。

昨日の続きです↓
「人の事が気になる。。。(2)」

「自分の事より、
自分を認めてあげられない人たちに、
“何かしてあげたい”」という思いが、
日増しに強くなっているというYさん。

そんなYさんから頂いた、
2通目のメールを紹介させて頂きます。


以下、転載↓

前回のメールを書きながら、
私は何故か泣いていました。
仕事の帰りだったので必死で涙をこらえ、
家のドアを開けた途端、号泣しました。
でも、何がこんなに込み上げてきているのか
正直、今でもわかりません。

そして、私の周りには
本当に自分を認めてあげられていない人が
集まっているという事実。

生い立ちを聞くと
本当に壮絶な人生を歩んできている人もいます。
(でも、そんな人ほど、
さらりと笑いながら自分の過去を語るのです)

また、家族から離れられず、
家から出るなんて考えられないという
パラサイトな人もいます。
私からすれば、
愛されて育ったんだろうなと思うのですが、
その人も、どんなに頑張っていても
自分を認めてあげる事が出来ないでいます。

そして、そんな人達とは、
必ずといっていいほど、
初対面から凄く親しみを感じてしまうのです。

今、このメールを書きながらふと、
この行動の意味がわかった気がします。
前回のメールの答えも…。

私は相手に自分を
投影しているのではないでしょうか。
助けてあげたいという込み上げる思いは、
相手に投影した自分自身を助けたいとか…
違うかな(笑)

転載、以上。


違いませんよ、Yさん。
よく、気が付かれましたね。
自分で気づくって、凄い事です。

本当は、“自分は存在してはいけない”
と感じる恐怖から、自分(や人)を助けたいのですよね。


Yさん曰く、
「壮絶な人生を歩んできたという人」も、
「家族から離れられないパラサイトな人」も、
どんなに頑張っても、
自分を認めてあげる事が出来ていない。

Yさんから見れば、
「壮絶な人生を歩んできた人」は、
親に虐待されて育った。
「パラサイトな人」は、愛されて育ったのだと、
感じているのかもしれません。

しかし、これらふたつのケースは、
正反対の幼少期を過ごしているように見えて、
実は同じ事を体験しているのです。
どちらも、親から本当の愛を与えられていない、
つまり、『自己肯定感』を育んでもらっていない
という点では同じなのです。


『自己肯定感』とは、
“何の役にも立たない自分でも存在してよい”
という感覚です。

『自己肯定感』の高い人は、頑張る必要がありません。
頑張らなくても、“生きていていい”ことを知っているから。
そして、何の根拠もなく、
自分が幸せになる事も知っているのです。

逆に、『自己肯定感』の低い人は、
常に頑張らないといけません。
だって、何かの役に立っていないと、
“存在を許されない” と思っているのですから。

そんな人は、頑張っていない自分には、
存在価値がないと信じています。
でも、自己肯定感を育まない限り、
どんなに頑張っても、頑張っても、結局、
自分の価値を認める事が出来ないでしょう。

それでも、“自分には存在価値がない”と
感じるのが怖くて、頑張る事をやめられないのです。


かつての私もそうでした。
私の場合は、自分が怖がっていることにすら、
気が付いていませんでしたが


頑張っている自分(あなた)はOK。
頑張っていないあなた(自分)はNG。

本気でそう思っていたのです。

当然、頑張っていない人を見ると、ムカムカしますね。
だって、そんな人は、
“存在してはいけないはず”だから。


でも、潜在意識は気づいて欲しいのです。
“何かの役に立たなくても、
頑張らなくても、生きていて良い” という事に。

そのことに気づくまでは、
“自分を不愉快にさせる人”や、
“何とかしてあげなくちゃ!と思う人”が、
入れ替わり立ちかわり、自分の目の前に
現れるのです。

つづく。


読者登録してね