こんにちは、守田のり子です。


 
なかなか気が進みませんが、

いつまでも逃げられないので、書くことにしますあせる


先日の続きです↓

「悪者」



私が3歳になる父が失踪してから、

うちの家族(母・私・弟)と、

おばあちゃん家族(おばあちゃん・叔父夫婦・いとこ)は、

お隣同士で暮らすようになりました。


そこから、ほぼ毎日、

おばあちゃんと接触する生活が始まりました。


おばあちゃんというのは、お母さんのお母さん。

つまり、母のお姑さんではなく、実母です。


とにかく気性の荒い人でした。


小さい時から、“しつけ”と称して、

よく怒られました。


母の前で、

「あんたの躾が悪いから、こんな子になるねん!」

と言われ続けました。


その時のあばあちゃんは、

鬼のような形相で、鬼気迫るものがあり、

母も止められなかったようです。

 
“やいと”(お灸の事)もすえられました。

大人になれば、お灸なんてどうって事ないですが、

小さい頃は、熱いのが恐くて仕方なかったです。

まだ4・5歳でしたから。


叱っているのではなく、いつも

自分の怒りをぶつけているのが

明らかに分かるような怒り方でした。


で、その怒りの対象に、

ハッキリとした「差」があったんです。


おばあちゃんは、

「女が嫌い」で「男が好き」なようでした。


我が娘であるお母さんの事は嫌い。

我が息子である叔父さんの事は好き。


母の娘である私の事は嫌い。

私の弟はまあまあ。

叔父の息子である私のいとこ(男子)は大好き。


叔父さんや、いとこ(男子)には

猫なで声で接していました。


いとこの事は、あまりにも可愛がりすぎて、

いつも自分の傍に置いておきたいがあまり、

外出する事、友達と遊ぶ事を禁じていました。


それが後に、いとこの人格形成に

どれだけの弊害を及ぼしたかは、

容易に想像がつきますよね。

 
で、当然、おばあちゃんの怒りの矛先は、

女である私に向かう事になります。



母が仕事をしていたので、

小学生の頃から、私も家事をしていました。


ある日、部屋の掃除をしていた時。

やっと掃除機をかけ終わったところに、

おばあちゃんがやってきました。


で、何かは忘れましたが、

気に食わない事があったようで、

掃除したての部屋に、ゴミを撒き散らされました。


その時のおばあちゃんの表情、

今でもよく覚えています

ふん!ざまぁ見ろ!

てな顔。



小学生の私は、

なんでそんな事をされないといけないのか、

訳も分からず、ただただ怒りがこみ上げてきました。


でも、おばあちゃんが恐すぎて、

「何で?」と聞くことすら出来ません。


きたいのを我慢しながら、

もう一度掃除したのをよく覚えています。



おばあちゃんの口癖は

「あんたは、

いっつも不足ったらしい顔をしている!」

「あんたは気が利かん子や!」

でした。


だから、

おばあちゃんに対して不満があっても、

私は、決して口にする事が

出来ないようになっていました。

おばあちゃから、この言葉が返って来るのが

嫌で仕方なかったから。

 
可愛がってくれなかった訳ではないんです。

お母さんが忙しいので、

おばあちゃんに連れられて、

お出かけする事もありました。


ある日、デパートに連れて行ってもらい、

食堂でお子様ランチを食べさせてもらいました。

小さい頃って、

このお子様ランチが嬉しかったなぁ。


で、私たちの隣のテーブルに、

身体障がい者の女性が座っておられたんです。

体が不自由なので、ぎこちない動きで

食事をされていました。


それを見たおばあちゃん。

その人を指差しながら、私に言いました。

「あの人、見てみ~」


その時、おばあちゃんの顔には、

その方に対する侮蔑の表情が

ありありと浮かんでいました。


子供ながら、やりきれない気持ちになりました。


コイツ最低。。。

どうしようもないやつや。。。ダウン



こんな思いと共に、

日々おばあちゃんに対する憎しみが

すこしずつ積み重なっていきました。



そんな生活の中。

私が小学校6年生の時、

母は過労がたたって、倒れました。


子宮筋腫と卵巣癌になったのです。



ちょっと辛くなってきたので、

続きは明日でもいいですか?




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