ガンで死ぬのが理想的? | ☀︎雲の向こうはいつも青空☀︎

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2014年に母がスキルス性胃がんで他界したのをきっかけに、翌2015年から始めたブログ。あれから年月が経ち、今は日常のことをぼちぼち綴っています。


ある人が言いました。


医師に理想的な死に方を尋ねると
「ガンで死にたい」って答える人が多いらしいよ


(ネットか何かで見たようです)



母や身内を何人もガンで亡くしてる私にとってガンは
辛く苦しい闘病によって
本人だけじゃなく家族の身も心も削られ
その果てに命を奪っていく憎いものでしかなくて


そんなガンが理想的な死に方だなんて
聞いた時にはドン引きしました。



医師がガンを理想的な死に方とする理由は


・突然死ぬわけじゃない


・死期が予測しやすく
身辺整理などをする時間がある


・行きたい所に行っておいたり
やりたいことをやっておける


・本当にしんどくなるのは最後の1ヶ月くらいで
それまでは普通に生活できるし食事も摂れる


・痛みのコントロールがしやすいので
のたうち回って死ぬということがほとんどなく
モルヒネで眠るように死ねる



言われてみればたしかにそうかも…


大切な人がガンになるのは耐え難いけど
自分自身の死に方としては悪くないのかな


…と
一瞬納得しかけましたが


でもちょっと待てよ?


たしかにガンは突然死と違って
本人も周りもある程度の覚悟を決める時間がある。


それによって
悔いを残さないよう
やりたいことをやっておけるし
身辺整理などもしやすいのはわかる。



けど私の母は?


母が知っていたのは胃ガンであることだけ。


主治医と父の方針で
余命3ヶ月ということは伝えなかった。


だから母は自分の死期なんてわからないままだったし
生きるつもりでいたから身辺整理なんて考えてもいなかったと思う。


それに母は
ガンだとわかってから少しずつ気分が落ち込んでいって
通院と治療のことで頭がいっぱいな様子で


あれをしておこうとか
あそこに行っておきたいとか
そんなことは一切なかった。


そういう家族はきっと私たち以外にも
たくさんいると思うんだけどな…


それに
母が完全に弱ってしまったのはたしかに最後の1ヶ月ほどだったけど
それまでずっと体調が良かったわけじゃない。


食べられない日やだるくて起きられない日もあったし
食べられたとしたって
神経質なほど食材や調味料に気をつかったし


体のことだけじゃなく
治療にかかるお金や仕事のことを考えたり
家族に迷惑をかけてしまうと気に病んだり
健康な人との違いに辟易したりと
精神的な葛藤もずっと続いた。


母は幸い痛みとは無縁の人だったけど
肝ガンだった伯父は
腫瘍が破裂し痛み止めも効かず
痛みと苦しみでのたうち回りながら亡くなったと聞いた。


とてもじゃないけど
そばで見ていられないほどだったって。


実際に伯父の遺体と対面した時
その顔はあまり穏やかとは言えない
少し苦痛を残したような顔だった。


闘病ブログを読ませていただいても
やっぱり痛みと闘っている人は多いように思うし


薬でコントロールできると言ってもそれは一時的で
完全に楽になれるわけじゃない。


抗がん剤にしろ放射線にしろ
副作用の辛さはつきものだし
ガンと関係のない部位に問題が起こることだってある。


そういうこと全般を踏まえた上で
ガンが理想的だって言うのかな?


いざ自分がガンに侵された時
その辛さに耐えられるって
自信を持って言える人なんているのかな?


中には
ガンであることを真正面から受け止めて
闘病にも前向きで
お金や仕事の心配もなく
悔いのないようにやり切って死のう!


そんな風に生きられる人もいるだろうし
そしたら家族だって救われる部分があるかもしれない。


どこぞの医師が言うガンのメリットって
そういう人には当てはまるだろうけど


みんながみんな
そんなに器用に生きられるわけじゃない。





10年前に亡くなった祖父は
91歳で老衰で
最期は家族や親族に囲まれ
朝陽が昇ると同時に
静かに息を引き取りました。


初めて家族を看取った私は
もちろん悲しかったけど


大きな病気もせず十分に長生きできて良かったね
みんなに見守られながら旅立てて良かったねって
前向きな諦めがついたし


祖父の息子である父でさえ 
そんな気持ちだったみたいだし


なんて綺麗で清々しい最期なんだろうと
感動さえしました。


自分も死ぬ時は祖父のように死にたいとも思ったし
今でもそういう思いがあります。



その5年後
アクティブでパワフルで
明るく元気なのが良いところだった母は


まだ61歳なのに
すっかり痩せこけて
抗がん剤の副作用で髪の毛はなくなったし
大きな声で笑うこともなくなり
まるで別人のように落ち込んで


そのうち食べることもできなくなって
トイレも大好きなお風呂も行けなくなって
寝返りすら自分でできなくなって


入院していながら誰にも気づいてもらえることなく
1人でひっそりと亡くなりました。


私たちが母を見舞い
家に戻ってから
ほんの3時間後のことでした。


死期が予測しやすいって?
たしかにある程度はわかっていたけど
その日に亡くなるなんて
誰にもわからなかった。


そんな母の闘病と死
最期を看取ってあげられなかったことは
残された家族の心に大きな傷を残しました。


闘病中の姿や
最後の日の姿を思い出すだけで
今でも胸がしめつけられて涙が溢れてくる。


祖父の最期とは対照的でギャップが大きすぎた。


祖父は祖父なりに
最後の数年は寝たきりだったこと
家族の世話になって申し訳ないって思ってたかもしれないし


寝たきりでいるのが苦痛で
早く死んでしまいたいと思ったこともあるかもしれない。


それは本人にしかわからないけど
少なくとも家族にとっては
満足で納得のいく見送り方だったと思う。


だからか
祖父と母を比べてしまうと
母の死に方はどうしても悲しく思えてしまう。
理想なんかとは程遠い。



ガンで死ぬのが理想的なんて
どこの医師が言ったか知らないけど


死は自分だけのものじゃない。
残された家族の人生にも大きく関わること。


医師としての医療的な目線だけで
理想的な死なんて語って欲しくない。


ガンになった当事者と
それを支える家族の身にならなければ
本当のところなんてわからないんじゃないのかな。


それはもちろんガンだけじゃなくて
他の病気だったとしても同じだと思う。


理想的な死に方がどれかなんて
医師だからこそ簡単に言って欲しくない。





ある人とのちょっとした会話だったのに
考えれば考えるほど深みにはまって
腹が立って
イライラして


母のことを思い出したら
なんだか泣けてきました。