二日目の近江の朝は快晴でした。


美味しいホテルの朝食を取りながら、昨日寝るまで続いた気付きや、はらはらと落ちていく私の古いものについて考えていました。


そこへ、朝食で同席した友人が歴史の話をしてくれ、さらに意識が深まりました。


近江の町といえば織田信長。時に冷酷ともとれる彼のやり方に賛否両論あるでしょうけれど、天下統一、争いのない国をつくる、という大きな大きな目標があったわけです。


織田信長氏は、目的のためには手段を選ばなかったといわれていますが、果たして冷酷なだけだったのでしょうか?


大きな望み、「天下布武」にむかって、ぶれることなく進んで行っただけ。途中でいろいろな事が起きても、あきらめず、まっすぐに目標に向かって突き進んでいます。

最後には願望達成を目前に命尽きてしまうわけですが、それすらも嘆いてはいません。まるで、この時に自分が死ぬことも、目的が達成されるためと知っているかのように。自分がという我ではなく、もっと先をみています。


マントを身につけて、素晴らしいリーダーシップをとった織田信長。


宇宙へのオーダーの究極を見せてくれているのではないか?


そう感じたのでした。目の前にある自分の欲も、大きく人々に影響するような望みも、宇宙は、全て、例外なく、送ってくれているのではないのかしら。


例外なくです。


たとえ目の前にやってきたものが気に入らないものだったとしても、それは自分のオーダーしたものなんです。オーダーの仕方を間違えていたのかもしれないしね。エゴにまみれていたとか(笑)。

いずれにしても、やってきたものを目標に向かっていくためのチャンスに変えていくことができるかどうかは、自分次第なんです。


自分の内側と宇宙がひとつになってひっくり返る感じ(内側を追いかけてると思いきや、ペロッとひっくり返って外という感じです。うーん、表現しづらい)を味わいながら、タイミングぴったりと思える感覚で神社へと向かいました。


神社の上空には無数の飛行機雲。





ぐんぐんまっすぐ上に向かって上昇していました。







さっそく、昨日の宣言通り、鏡岩へGO!







岩に頭をくっつけて祈っていたら、はらはらとたくさんの落ち葉が全身に降り注いできました。いらないものをここに置いて行きなさいと、シャワーをかけて頂いた気分です。


この時、ぽちっと頭に枝が落ちてきました。


まるで五本指の龍の手みたい。






手に持っているけど分かりにくいね。(笑)

ほかにもたくさんたくさん気付きがあって、感動の参拝でした。頭でわかったというのではなく、今までの経験も通して全部わかったという感じです。細胞が全部同じ方を向いたような感覚です。全身でわかった。


でも、まだまだ終わらない感じでワクワクがとまりません。


テンションをそのままに、今度は神社横にある八幡山ロープウェイで山頂を目指します。





さて、望んだものはすべて与えて頂いている。だとすると、逆に、無意識に自分がオーダーしたもののチェックもきるんじゃないかな、なんて考えながら昇っていきますと


なんと


到着と同時に、幼稚園児達に遭遇(笑)


「コンニチハー」と挨拶もかわいらしい。引率されている先生らしき人に声をかけると、遠足で総勢80名ほどで来ているとのこと。


私もう爆笑ものでした。

保育園をやめて2カ月。子どもと触れ合いたいなーと、思っていたのですよ、無意識に。


いやもう、ここまでくると、信じるしかない感じ。確信に変わりました。

全て全て、例外なく、自分がオーダーしたんですね。




眼下に広がる近江の町を見下ろしながら、近江の人は、繰り返し繰り返し、宇宙へのオーダーの仕方を学んでこられたんだと感じました。









豊かな土壌と豊富な琵琶湖の恵み。東西どちらに攻め入るにも好都合の近江は、辛い歴史もたくさん持っています。


奪い奪われ、出し抜いてやろうとすれば出し抜かれ、人より抜きんでてやろうとすれば蹴落とされる。それら全ての経験があったからこそ、そうではなく、痛みを伴わない利の方向性に向かうことを選んだ。それが、近江商人の在り方となったのではないでしょうか。


須佐神社でめぐっていた考えが、ここで一気に開花していきました。どんな経験も全て、自分の望みをかなえるために来ているものだと。どんな望みを発信したかを振り返るチャンスも用意されているんですね。


少し時間をかけて消化したいと思っていたら、山頂に瑞龍字というお寺があり、拝観料をお納めすれば見学ができるとのこと。さっそくお邪魔して、山頂のお寺でしばし瞑想。

小鳥のさえずり、風のささやき、おだやかな日差し。心地いい時間でした。







前に進むのが怖いと感じる時があるかもしれません。

思いがけず、誤解を受けてうまくいかなくなる時もあるでしょう。


でも、いつも前を向いて、自分のありたい光の方向を見失わなければ、必ずたどり着けるのです。

必要なものは、いつでも全てそろっています。本当に、無条件にいつでも与えてくれている。降り注ぐ太陽のように。



一瞬一瞬にギフトがあると知って、軽やかに喜びに満ちて過ごすことで、あなたがますます栄え、輝きます。





あなたの一日が、軽やかな輝く日でありますように。