こちらは 第二次世界大戦前 1937年の ジャック=ベルナールのフランスのドキュメンタリー映画。その頃の世の中の様子が垣間見れるので、フランス語がわからなくっても面白いフイルムです。

 

 

"The Violin d'Ingre"

https://youtu.be/xKQObHkfaS0

 

 

このちょうど10分位を過ぎた辺りのところで、ほんの一瞬ですが、モシェ・フェルデンクライス(1904-1984) が柔道をしている場面が出てきます。

 

当時、パリに滞在していた 嘉納治五郎氏 に、モシェは白兵戦についての自著を持参し、会いにいきます。理論と実際の動きで認められたモシェは、西洋人で初めて黒帯を取得し、パリに柔道クラブを共同で設立しています。幼い頃から 自らの命を守るために、モシェが独学で身につけた護身術。それは 柔道へ、そして この後時を経て、フェルデンクライス の ワークの根っこになっていきます。

 

 

 

 

このドキュメンタリーの中で、モシェの柔道の相手をした後に再度ちらりと登場する男性がいます。キューリー夫人の長女イレーヌ・ジョリオ=キュリーさんの結婚相手、フレデリック・ジョリオ=キュリー氏。そうです、、、ノーベル化学賞を受賞したことでよく知られているご夫婦です。こうした方々に柔道を教えることで収入を得ながら、 パリ ソルボンヌ大学の物理化学博士課程においては、彼らの元で研究をしつつ、発見に深く関わる機械をつくっていたことを知り、びっくりしました。

 

 

フレデリック・ジョリオ=キュリー

 

 

その後、第二次世界大戦が始まったため、ユダヤ人であるモシェは  この時の重要な研究書類をスーツケースに詰め、最後のイギリス行きの船に ぎりぎり乗り込み、寸前のところでナチスの手を逃れ、イギリスへと渡ります。

 

モシェがこの最後のイギリス行きの船に乗れたことで、のちに沢山の脳性麻痺の子供達の人生に 希望がもたらされることが 可能となったわけです。

 

明日からの 座学では、モシェの生涯をかけたワークの背景を、彼の人生と共に辿ってみたいと思います。

 

 

参考文献・動画

Jacques-Bernard Brunius "The Violin d'Ingre" 1937年  

https://youtu.be/xKQObHkfaS0

⑵  『脳はいかに治癒をもたらすか』

ノーマン・ドイジ著  高橋洋訳   紀伊國屋書店