今朝、まとめて投稿したツイートです。文字数に制限があるため、こんな、分割投稿になりました。(文章力の鍛錬には、なったかもしれません)がんばった文章なので、ここに再録したくなりました。
① 15年戦争の総括が不十分なことが、戦後の日本と日本人にとっての不幸だと思っている。戦時中の官僚や高級将校の一部が戦後政治の中枢に居座ったことで、あの戦争を正当化したがる勢力を温存し、再生産する道を確保したからだ。その再生産世代が今の権力中枢を占拠している。
② あの戦争を正当化し、美化したがる勢力は、略奪・虐殺・凌辱などは存在しなかったかのような幻想を振りまこうと躍起になってきた。なぜ、そんなことが通用したか。事実を知る人々が固く口をつぐんできたからに他ならない。語れないほどの悲惨だったのだ。
③ 兵士たちが語れなかっただけでなく、原爆被爆者や戦争孤児など被害者もまた「戦後から戦争が始まった」と言われるような差別と偏見に虐げられた。だが、「このままでは真実が葬り去られてしまう」と、生き証人となる人々が、口を開き始めた。
④ 沖縄戦の悲惨はもとより、原爆被爆者の間にも戦後50年頃から「被爆の実相を語る」運動が広がり始めた。慰安婦問題もまた、元・兵士の間からも証言が生まれ始めている。
⑤ 保守反動が「(靖国だの慰安婦だの)騒ぎだしたのは最近になってから」と苛立っているのは、中国や韓国に対してばかりでなく、国内でのそうした動きの広がりに対してでもある。墓場まで持って行きたかった過去を、口にし始めた年配者の勇気に、耳を傾けるべきだろう。
⑥ 「侵略だったかどうかは将来の歴史研究に委ねたい」とホンネを隠し続けてきた政府に対峙する証言や検証こそ重要だ。
戦争証言アーカイブス⇒ http://www.nhk.or.jp/shogenarchives/
日本軍「慰安婦」――忘却への抵抗・未来の責任⇒ http://fightforjustice.info
たとえば、権力中枢に居座った官僚とは岸信介とか中曽根康弘、高級将校とは源田実などです。
また、官僚、将校のほかに、旧財閥として麻生の名をあげることもできます。
内閣支持率低下の一番の理由が経済政策への失望だそうです。一番の売りにしてきた政策が一番の不評。原発再稼働は58%もの人が反対だとも。 http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/news/CK2013072402000134.html
7/24 8:27
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公党の幹部と言えば、その肩書きで威圧感というか重量感を漂わせようとするものだが、今度の選挙で前代未聞だったのは、共産党の副委員長だろう。
「おい、小池っ」「また、小池かよ」と、ニコニコ動画でミソクソな扱いの投稿を受けながら「生放送!とことん共産党」のメインを務めていた小池晃・副委員長である。簡単に言えば、とことん「いじられキャラ」をやっていた。
でも、この小池さん、どうして共産党の幹部なのかと言えば、経歴は立派なもので、国立大学の医学部出身で、学生時代には医学連再建を果たしたり全学連の幹部も経験しているし、共産党の理論研究組織(今、あの不破哲三さんが所長の党中央委員会付属・社会科学研究所)のメンバーでもある。
昔、共産党と言えば、「宮本顕治・来たる」とか「不破哲三・来県」など、党幹部が地元の演説会に来るというだけで大事件で、歴史に名を残すほどの人じゃないか、と、野次馬を含めて、ものすごい集客力のある人たちだった。晩年、共産党副委員長を務めた沖縄の瀬長亀次郎さんだったら、どんなに弾圧されてもアメリカ帝国主義に屈服しなかった戦後沖縄の英雄そのものだった。街頭演説でも「瀬長さん」というだけで、人だかりが膨れ上がるほどだった。
共産党の副委員長と言えば、それくらいの存在感があった。
ところが、あのニコ動で、小池さんは、まあ、言いたい放題にいじられて、なおかつ、画面を流れる投稿の数々にケナゲに応じていたのだから、すっかり様変わりした。で、共産党幹部のイメージのその変わりようが、とても楽しく、嬉しくもあった。
これが、共産党らしさじゃないだろうか、と。
19世紀のヨーロッパで労働者協会とか共産党など共産主義者が本格的に組織され始めた頃、男女対等な気風とか文化を創りあげ、旧来のモラルを徹底的に批判し、未来的な人間関係を産みだした。それが、今では当たり前のような男女同権の社会につながった。それでも、いまだに、女性差別は温存され続けているからこそ、「共産党って女が強いわよ。男に媚びないでビビらせるほど強い」(と、ニコ動に出演した人たち=候補者たちも言ってました)。
そんな伝統を振り返ってみると、世間の旧来の常識とか慣習とか、固定化されたイメージを打ち破ってきたのが共産主義者であり、男性も女性も社会参加して当たり前の世の中を作ってきたと思う。
共産主義者は頑固で融通の効かない連中、というのは、まったくの思い違いで、男女の人間関係をはじめとして、社会の変革につながる数々の先駆けとなってきた、というのが真実である。
ニコ動の「生放送!とことん共産党」で頼りなげな風情だった小池さんというのは、呼び捨てにされるほど親近感をあふれさせ、はじける女子力のはざまで、その辺のおじさんっぽい軽さに違和感がなかった。たぶん、他のどの政党にも出来ない芸当だっただろう。
前代未聞の副委員長の姿に、共産党らしさの面目躍如、という思いがした。
生放送!とことん共産党 ⇒ http://www.jcp.or.jp/web_tokusyu/2013/03/post-10.html
「おい、小池っ」「また、小池かよ」と、ニコニコ動画でミソクソな扱いの投稿を受けながら「生放送!とことん共産党」のメインを務めていた小池晃・副委員長である。簡単に言えば、とことん「いじられキャラ」をやっていた。
でも、この小池さん、どうして共産党の幹部なのかと言えば、経歴は立派なもので、国立大学の医学部出身で、学生時代には医学連再建を果たしたり全学連の幹部も経験しているし、共産党の理論研究組織(今、あの不破哲三さんが所長の党中央委員会付属・社会科学研究所)のメンバーでもある。
昔、共産党と言えば、「宮本顕治・来たる」とか「不破哲三・来県」など、党幹部が地元の演説会に来るというだけで大事件で、歴史に名を残すほどの人じゃないか、と、野次馬を含めて、ものすごい集客力のある人たちだった。晩年、共産党副委員長を務めた沖縄の瀬長亀次郎さんだったら、どんなに弾圧されてもアメリカ帝国主義に屈服しなかった戦後沖縄の英雄そのものだった。街頭演説でも「瀬長さん」というだけで、人だかりが膨れ上がるほどだった。
共産党の副委員長と言えば、それくらいの存在感があった。
ところが、あのニコ動で、小池さんは、まあ、言いたい放題にいじられて、なおかつ、画面を流れる投稿の数々にケナゲに応じていたのだから、すっかり様変わりした。で、共産党幹部のイメージのその変わりようが、とても楽しく、嬉しくもあった。
これが、共産党らしさじゃないだろうか、と。
19世紀のヨーロッパで労働者協会とか共産党など共産主義者が本格的に組織され始めた頃、男女対等な気風とか文化を創りあげ、旧来のモラルを徹底的に批判し、未来的な人間関係を産みだした。それが、今では当たり前のような男女同権の社会につながった。それでも、いまだに、女性差別は温存され続けているからこそ、「共産党って女が強いわよ。男に媚びないでビビらせるほど強い」(と、ニコ動に出演した人たち=候補者たちも言ってました)。
そんな伝統を振り返ってみると、世間の旧来の常識とか慣習とか、固定化されたイメージを打ち破ってきたのが共産主義者であり、男性も女性も社会参加して当たり前の世の中を作ってきたと思う。
共産主義者は頑固で融通の効かない連中、というのは、まったくの思い違いで、男女の人間関係をはじめとして、社会の変革につながる数々の先駆けとなってきた、というのが真実である。
ニコ動の「生放送!とことん共産党」で頼りなげな風情だった小池さんというのは、呼び捨てにされるほど親近感をあふれさせ、はじける女子力のはざまで、その辺のおじさんっぽい軽さに違和感がなかった。たぶん、他のどの政党にも出来ない芸当だっただろう。
前代未聞の副委員長の姿に、共産党らしさの面目躍如、という思いがした。
生放送!とことん共産党 ⇒ http://www.jcp.or.jp/web_tokusyu/2013/03/post-10.html
こういう意識の諸君が、政権与党の幹部で、ホント、日本は大丈夫なのか??? http://www.asahi.com/politics/update/0723/TKY201307220616.html
7/23 15:48
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ウォール・ストリート・ジャーナルの記事です。 http://jp.wsj.com/article/SB10001424127887323809104578616871515742846.html?mod=rss_jwsj_latest
7/20 16:16
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助成金という美名で、国民の税金を勝手に山分けするタカリでしかないことに腹が立ちます。利権のしがらみがないなどとウソをつく政党はじめ、腐敗政党どもは、カネ返せっ!! https://twitter.com/sasakikensho/status/358054714761416706
7/19 12:14
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政府の大臣経験者をはじめ、年齢を重ねるにつれて醜悪な表情になっていく国会議員が少なくないのは、権力闘争の過程で
経験したライバル競争や他党を陥れる駆け引きや謀略、あるいは国民に対するウソや言い逃れなどの積み重ねの結果に
ほかならない。
最も代表的で重大なのは「解釈改憲」を繰り返した自民党だった。憲法の条文に手をつけることができないことから条文解釈の内容をすりかえることで違憲とされた軍事組織を合憲だと強弁するとともに、その行動範囲を「解釈」の変更によって拡大し続けてきた。
最近でも、「防衛」の解釈をすりかえる発言が閣僚から相次いでいて、敵地への先制攻撃も防衛だとして、他国にミサイルを撃ち込むことも現在の憲法や法律の範囲で可能だと言い始めている。しかも、アメリカの海兵隊のような組織が必要だとまで言い始めているのだから、他国に上陸して戦闘を行なうことも「防衛」の一環なのだということになる。
今だったら、敵として想定している相手が相手だから、国民世論の支持も得られるだろう、という計算によるものだが、ひとたび、この論が通用してしまったら、いつでも一般化されてしまうことになり、ほかの国に対しても先制攻撃、上陸攻撃ができることにしてしまうのは、あまりにも露骨な筋書きだ。
この解釈のすり替えで違法、違憲なものを合法化、合憲化してしまうやり方が、この日本の政府の典型的なウソのつき方である。
もうひとつ、典型的なウソのつき方がある。これは、日本の政府に限った話ではなく、国民をごまかさなければならない政府や与党の常套手段でもある。
だからこそ、昔は、共産主義者にとって議会とは「暴露の演壇」であって、出来レースの議会ぐるみのウソを暴くための闘いが目標だった。それによって世論の覚醒の一端を担うことを目標としたのである。(議会軽視・無視の急進派とか左翼小児病の諸君が議会闘争を重視する共産主義者を「体制内政党に取り込まれた裏切り者」と非難し、冒険的な武装化とか内乱の挑発を繰り返したこととは、ここで、一線を画している。)
さて、そのウソとは、どういうことかと言えば、事実とは反対の事柄を美名に包み込んで、善意の法律であるかのように描き出すことだ。
たとえば、有名な事例の一つが「就学免除」という法律だった。日本国民は教育を受ける権利とこれを担う義務があるのだが、心身に障害を抱えている子の場合は「就学免除」する、というものだ。
「免除」といえば負担の軽減のような印象を与え、恩恵を受けるかのような印象を与える聞こえのいい言葉だが、実は、障害者を教育から排除し、社会から排除することにほかならない。生産性合理主義、競争原理至上主義の資本主義日本では足手まといな存在は排除する。これがホンネなのだった。
同じようなタイプは、小泉純一郎の内閣の時にも「障害者自立支援」という美名で、障害者を社会から排除する法律をつくったことが有名である。「自立支援」と言えば、聞こえはいいが、実は、職業訓練の場にもなっていた福祉事業所に通いたければカネを払え、という内容だった。働くことで社会参加の自負心を育て、収入を得ることで労働意欲も目標も立てられるはずだった事業所に通うために、逆に、カネを払わなければならなくなる法律。これが「自立支援」の内実だった。
(あ、公明党は、小泉内閣の時も連立与党だった。)
さて、こうした美名を弄する悪法の数々が、いま、不安定雇用、首切り自由を拡大する大問題として浮上している。最も話題になっているのが「限定正社員」だろう。
転勤できない、したくない、という人を、条件付きで正社員として認めよう、という法案である。
正社員になれるのだから、いい法案なのかな、と、思わせておいて、悲惨な労働環境を作り出そうとしているのがこの法案なのだ。
(あ、公明党は、安倍内閣でも連立与党だ。)
さらには、沈黙を貫くことで、国民にことの本質を気付かせず、スル―させよう、という手もある。原発の安全性をめぐる問題では、新しく決められた安全基準を以て原発再稼働を認めるかどうかの判断基準ができたとうそぶいているが、この新基準が抜け道だらけのザルだということにはダンマリを決め込んでいるのが今の政府だ。TPPをめぐる諸問題でも、似たような沈黙作戦は少なくない。
(あ、小さな声を聞く公明党は、大きな声は聞かないらしい。)
ついでに、最も稚拙な、あけすけのウソもある。
政府と与党は、安倍政権になってから雇用は60万人も増えたと大宣伝を図っているが、「冗談じゃない!!」と最初に反論した共産党は、「60万人増えたという中身は、不安定雇用100万人の増加、正社員40万人の減少の差し引きの数字じゃないか」と猛反発している。不安定雇用層ばかり増やしておいて、なにが、国民生活の向上なのか、ウソのつき方にもほどがある。
さて、政権与党ばかりではない謀略的な足の引っ張り合いもある。これは、言った者勝ちを狙ったもので、そのウソの裏側には、誰を最もライバル視しているかが浮き彫りになる。
たとえば、民主党や「みんなの党」が政見放送や街頭演説などで強調するのが「われわれは、なんでも反対の党ではなくて・・・」というフレーズである。
もう何十年も前から言い古されたネガティブ・キャンペーンに「なんでも反対、共産党」「くるくる変わる、公明党」という連呼がある。選挙終盤に接戦になればなるほど、対立陣営が持ち出す方法だ。
そんな中で、公明党は維新の会でさえ学会票をいただける裏の選挙対策を仕掛けることで貸しを作る形で非難キャンペーンを黙らせてきた。大阪府知事選でも市長選でも、表向きは維新の会と闘うふりをしながら裏では組織票の取引で恩を売る形で権力に擦り寄ってきたのが公明党である。いまの自民・公明の連立などは、どの国政選挙でも自民票が30%台に落ち込み始めた20年以上も前からの選挙協力のなれの果てである。(まあ、学会員にとっては「どうして維新の会に投票しなければならないのか」納得いかなくても、上の指示だから従うしかない割り切れない思いを抱えることになるだけの話で、いずれ、造反も起こりうる話だが。)
それに、多くの政党が自分自身で「くるくる変わる」政党なのだから、このネガキャンは、使えない事情もあった。
残るは、誰とも裏取引をしないバカ正直な共産党だけである。この党だけは、叩き潰さなければならない、と、「なんでも反対、共産党」という連呼だけが生き残った。
ところで、共産党単独与党の自治体がどれほどあっただろうか。「憲法を暮らしに生かそう」と憲法が掲げる健康で文化的な生活の実現のために努力した自治体は、京都府の蜷川知事の7選をはじめ、長野の山中町(ただし、昭和天皇死去の際に弔意を表明したことで町長は共産党を除名された。昭和天皇の時代に数多くの共産党員が殺されたのだから。)、つい最近までの東京の狛江市などなど、1期では終わらなかった知事、市長、町長の数々の経験がある。去年の統一地方選でも、伊豆大島の大島村は共産党籍の村長を選んだ。
1期、2期で見放される首長だったら、それは、たしかに「なんでも反対」の党だったかもしれない。議会では少数与党だったにもかかわらず長期の信任を得た共産党籍の首長たちと党議員団が、いかに、民意に沿った自治体運営を行なってきたかは、そうした実績が物語っていると思う。それに、共産党の首長だということで、これを引きずり降ろそうとする凄まじい妨害と攻撃に切り返しながらの話だから、ただの首長とは違う試練にさらされ続け、いくつかの自治体で、敗北を余儀なくされたのだ。
みんなの党、公明党などなど、少数議席であろうと単独与党になってでも奮闘した首長の自治体って、あったかな?
自民、民主のほかには維新の会など、多数議席を得た時のいっときくらいだろう。だが、それらの自治体でも1期、2期で市民から見放された首長が少なくないことも覚えておきたい。民主党などは、いま、全国どこでも、ズタボロ状態だ。大阪でさえ、維新の会はすっかり色あせた存在になり始めている。
ということで、解釈改憲、美辞麗句、沈黙、あけすけのウソ、言った者勝ちのネガティブ・キャンペーン、これらを乗り越えて、あの「瑞穂の国」とかいう情緒・情念のごまかしに立ち向かおうではないか。
最も代表的で重大なのは「解釈改憲」を繰り返した自民党だった。憲法の条文に手をつけることができないことから条文解釈の内容をすりかえることで違憲とされた軍事組織を合憲だと強弁するとともに、その行動範囲を「解釈」の変更によって拡大し続けてきた。
最近でも、「防衛」の解釈をすりかえる発言が閣僚から相次いでいて、敵地への先制攻撃も防衛だとして、他国にミサイルを撃ち込むことも現在の憲法や法律の範囲で可能だと言い始めている。しかも、アメリカの海兵隊のような組織が必要だとまで言い始めているのだから、他国に上陸して戦闘を行なうことも「防衛」の一環なのだということになる。
今だったら、敵として想定している相手が相手だから、国民世論の支持も得られるだろう、という計算によるものだが、ひとたび、この論が通用してしまったら、いつでも一般化されてしまうことになり、ほかの国に対しても先制攻撃、上陸攻撃ができることにしてしまうのは、あまりにも露骨な筋書きだ。
この解釈のすり替えで違法、違憲なものを合法化、合憲化してしまうやり方が、この日本の政府の典型的なウソのつき方である。
もうひとつ、典型的なウソのつき方がある。これは、日本の政府に限った話ではなく、国民をごまかさなければならない政府や与党の常套手段でもある。
だからこそ、昔は、共産主義者にとって議会とは「暴露の演壇」であって、出来レースの議会ぐるみのウソを暴くための闘いが目標だった。それによって世論の覚醒の一端を担うことを目標としたのである。(議会軽視・無視の急進派とか左翼小児病の諸君が議会闘争を重視する共産主義者を「体制内政党に取り込まれた裏切り者」と非難し、冒険的な武装化とか内乱の挑発を繰り返したこととは、ここで、一線を画している。)
さて、そのウソとは、どういうことかと言えば、事実とは反対の事柄を美名に包み込んで、善意の法律であるかのように描き出すことだ。
たとえば、有名な事例の一つが「就学免除」という法律だった。日本国民は教育を受ける権利とこれを担う義務があるのだが、心身に障害を抱えている子の場合は「就学免除」する、というものだ。
「免除」といえば負担の軽減のような印象を与え、恩恵を受けるかのような印象を与える聞こえのいい言葉だが、実は、障害者を教育から排除し、社会から排除することにほかならない。生産性合理主義、競争原理至上主義の資本主義日本では足手まといな存在は排除する。これがホンネなのだった。
同じようなタイプは、小泉純一郎の内閣の時にも「障害者自立支援」という美名で、障害者を社会から排除する法律をつくったことが有名である。「自立支援」と言えば、聞こえはいいが、実は、職業訓練の場にもなっていた福祉事業所に通いたければカネを払え、という内容だった。働くことで社会参加の自負心を育て、収入を得ることで労働意欲も目標も立てられるはずだった事業所に通うために、逆に、カネを払わなければならなくなる法律。これが「自立支援」の内実だった。
(あ、公明党は、小泉内閣の時も連立与党だった。)
さて、こうした美名を弄する悪法の数々が、いま、不安定雇用、首切り自由を拡大する大問題として浮上している。最も話題になっているのが「限定正社員」だろう。
転勤できない、したくない、という人を、条件付きで正社員として認めよう、という法案である。
正社員になれるのだから、いい法案なのかな、と、思わせておいて、悲惨な労働環境を作り出そうとしているのがこの法案なのだ。
(あ、公明党は、安倍内閣でも連立与党だ。)
さらには、沈黙を貫くことで、国民にことの本質を気付かせず、スル―させよう、という手もある。原発の安全性をめぐる問題では、新しく決められた安全基準を以て原発再稼働を認めるかどうかの判断基準ができたとうそぶいているが、この新基準が抜け道だらけのザルだということにはダンマリを決め込んでいるのが今の政府だ。TPPをめぐる諸問題でも、似たような沈黙作戦は少なくない。
(あ、小さな声を聞く公明党は、大きな声は聞かないらしい。)
ついでに、最も稚拙な、あけすけのウソもある。
政府と与党は、安倍政権になってから雇用は60万人も増えたと大宣伝を図っているが、「冗談じゃない!!」と最初に反論した共産党は、「60万人増えたという中身は、不安定雇用100万人の増加、正社員40万人の減少の差し引きの数字じゃないか」と猛反発している。不安定雇用層ばかり増やしておいて、なにが、国民生活の向上なのか、ウソのつき方にもほどがある。
さて、政権与党ばかりではない謀略的な足の引っ張り合いもある。これは、言った者勝ちを狙ったもので、そのウソの裏側には、誰を最もライバル視しているかが浮き彫りになる。
たとえば、民主党や「みんなの党」が政見放送や街頭演説などで強調するのが「われわれは、なんでも反対の党ではなくて・・・」というフレーズである。
もう何十年も前から言い古されたネガティブ・キャンペーンに「なんでも反対、共産党」「くるくる変わる、公明党」という連呼がある。選挙終盤に接戦になればなるほど、対立陣営が持ち出す方法だ。
そんな中で、公明党は維新の会でさえ学会票をいただける裏の選挙対策を仕掛けることで貸しを作る形で非難キャンペーンを黙らせてきた。大阪府知事選でも市長選でも、表向きは維新の会と闘うふりをしながら裏では組織票の取引で恩を売る形で権力に擦り寄ってきたのが公明党である。いまの自民・公明の連立などは、どの国政選挙でも自民票が30%台に落ち込み始めた20年以上も前からの選挙協力のなれの果てである。(まあ、学会員にとっては「どうして維新の会に投票しなければならないのか」納得いかなくても、上の指示だから従うしかない割り切れない思いを抱えることになるだけの話で、いずれ、造反も起こりうる話だが。)
それに、多くの政党が自分自身で「くるくる変わる」政党なのだから、このネガキャンは、使えない事情もあった。
残るは、誰とも裏取引をしないバカ正直な共産党だけである。この党だけは、叩き潰さなければならない、と、「なんでも反対、共産党」という連呼だけが生き残った。
ところで、共産党単独与党の自治体がどれほどあっただろうか。「憲法を暮らしに生かそう」と憲法が掲げる健康で文化的な生活の実現のために努力した自治体は、京都府の蜷川知事の7選をはじめ、長野の山中町(ただし、昭和天皇死去の際に弔意を表明したことで町長は共産党を除名された。昭和天皇の時代に数多くの共産党員が殺されたのだから。)、つい最近までの東京の狛江市などなど、1期では終わらなかった知事、市長、町長の数々の経験がある。去年の統一地方選でも、伊豆大島の大島村は共産党籍の村長を選んだ。
1期、2期で見放される首長だったら、それは、たしかに「なんでも反対」の党だったかもしれない。議会では少数与党だったにもかかわらず長期の信任を得た共産党籍の首長たちと党議員団が、いかに、民意に沿った自治体運営を行なってきたかは、そうした実績が物語っていると思う。それに、共産党の首長だということで、これを引きずり降ろそうとする凄まじい妨害と攻撃に切り返しながらの話だから、ただの首長とは違う試練にさらされ続け、いくつかの自治体で、敗北を余儀なくされたのだ。
みんなの党、公明党などなど、少数議席であろうと単独与党になってでも奮闘した首長の自治体って、あったかな?
自民、民主のほかには維新の会など、多数議席を得た時のいっときくらいだろう。だが、それらの自治体でも1期、2期で市民から見放された首長が少なくないことも覚えておきたい。民主党などは、いま、全国どこでも、ズタボロ状態だ。大阪でさえ、維新の会はすっかり色あせた存在になり始めている。
ということで、解釈改憲、美辞麗句、沈黙、あけすけのウソ、言った者勝ちのネガティブ・キャンペーン、これらを乗り越えて、あの「瑞穂の国」とかいう情緒・情念のごまかしに立ち向かおうではないか。
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