kyottides的 喜怒哀楽 -26ページ目

kyottides的 喜怒哀楽

一年余りにわたって 開店休業状態 でしたが、そろそろ、また、あれやこれやと綴ってみようかなと思い始めています。よろしくお願いします。

 キャンディーズの「スーちゃん」、田中好子さんが乳がんで亡くなったというニュースに驚きました。まだ、55歳でした。信じられない思いです。
 70年代の人気アイドルで、「普通の女の子に戻りたい」と突然解散したことでも大きな話題になった三人グループでした。真ん中に立っていることが多かった「ランちゃん」(伊藤欄)は、俳優・水谷豊の奥さんになっています。「ミキちゃん」だけは、芸能界から身を引いています。
 最初に芸能界に復帰したのが「スーちゃん」で、その時に相談に乗った相手が確か「欽ちゃん」(萩本欽一)で、彼の看板番組でレギュラーの一員になって復帰したように覚えています。以後は、女優としての道を進み、人気も実力も着実に積み上げたと思います。
 キャンディーズが熱狂的な人気を集めていた頃が、ちょうど、自分の大学時代でもありました。

田中好子さんのご冥福をお祈り申し上げます。

キャンディーズ-春一番


キャンディーズ シングルメドレー


キャンディーズ-微笑がえし(candies)

※ こちらもよろしく!! ⇒ 
 「この期に及んで懲りない民主党の党利党略 == 中国漁船ビデオを思い出す隠ぺい体質・非民主体質」
 このタイトルを掲げたのが3・11から1ヵ月の記事で、それからもう、1週間以上たってしまいました。

 メディア批判官僚主義批判に比べて、この民主党の批判は、正直なところ、材料が多すぎて、もう、ウンザリしている、というのもあります。彼らの本質については、社会的にも、かなりの程度は語り尽くされているようにも思っています。

 それにしても、政治理念や目標を宣言する綱領も持たず、“オレがオレが”の野合集団で、自分さえ良ければいい民主党というのは、呆れ果てた勢力だと思います。どうしてあんなにも党内から“管降ろし”の声が恥ずかしげもなく噴出するのでしょうか。
 このブログでは、管・仙谷一派については、何度も指摘してきたように、もともと党の内外を問わず、人脈の少なさ・人望のなさがみっともない特徴だったし、組織建設も組織運営も軽薄な謀略(?謀略というのは権謀術数に長けた巧妙なもののはずなのですが)と場当たりの人気取りを狙った策しか打ち出せないことを浮き彫りにしてきたつもりです。
 今週の国会でも、冒頭から、震災対策と称して、わけのわからない「本部」を20いくつも作って「いったい、何やってるんだ」という追及から始まっています。
 それに、自民党時代にもほとんど見聞きしなかった首相補佐官や内閣の参与・顧問・特別顧問の数の多さも異様です。国会に選出された諸党派の協力を得るすべも諸官庁を動員するすべもなく、側近とかアヤシイ人物(連合の元代表だのヘンな学者など)を囲い込むばかりです。しかも、そんな連中が揃いも揃って失言事件を起こすことで知名度を上げているのですから、笑えます。例えば「ん?松本健一って何者だ?」と。そういう人選をしている管直人には、腹の中が煮えくり返る思いです。
 管直人が招集した復興構想会議も、はじめから、復興プランの実現性は疑問視されています。実務の担い手となる事務局と言うか手足となるべき人物・組織=諸官庁の官僚がいないからです。「だから、”復興会議”ではなくて“構想”を思い描くだけの会議なんだね」と冷やかしの声が出ているほどです。それに、「学校長がなんで増税論なんか口にできるんだ?」と、国民の代表でもない人物の出過ぎた発言に怒っている人々もいます。(イオキベ氏は、防衛大学校の校長です。この防衛大は、大学ではありませんから、彼は一般に言う学長でも総長でもなく、学校長です。学長や総長は教授会の選挙で選ばれる現場の信任を得た人々ですが、学校長は行政の人事発令で任命されるトップダウンの「まわし者」です。)
 あの有罪議員の辻元清美を補佐官に据えたことなども呆れた人選です。しかも無所属議員の彼女は、国民から見れば何の仕事をするのか不明なまま、「これじゃ仕事ができない」と自分専用の部屋と秘書まで要求したそうですから、「この女、何様のつもり?」と言いたくなります。

 そんな中で、メディアでは誰も指摘していないと思うのが「計画」云々、だと思います。あの「計画停電」、そして「計画的避難」です。これらは、民主党の、しかも、管・仙谷&枝野の一派が好んで使う表現なのではないかと思うのです。つまり、彼らの思いつき・場当たり表現の一つなのではないか、と。
 先月、計画停電のウラを疑うで指摘したのは、計画停電というのは東電の事情であるよりは管直人とその一派がごり押しした思いつきではないのか、そういう策によって、非常事態に対処する民主党のリーダーシップぶりの宣伝材料にしようとした党利党略ではないのかと疑ったものでした。
 福島県の「屋内退避」、「自主的避難」に続いて出てきた「計画的避難」という政府方針に対する怒りと批判は、もう、相当程度に巻き起こっています。一言で言えば、言葉とは裏腹に無計画にもほどがある、と。
 これまでがそうであったように、これからも「計画○○」「計画的○○」は、そういう管直人一派の思いつきであることを示すキーワードになるだろうと思っています。計画云々が出てきたら、あの「計画停電」が散々な不評を買って一週間余りで取りやめになったように、管一派の無計画の象徴ではないのかと疑って、まず、間違いないでしょう。

 あんな「計画」停電のおかげで、妙に異様に「自粛ムード」が蔓延することとなりました。
 わたしなどは、今でも、あの暗ーい東電のコマーシャルにムチャクチャ腹を立てています。暗いだけでなく、えらそーに節電方法までノタマワル神経に対しても「お前らのせいでこんなことになったんじゃないのか。CM流すカネがあったら、もっと他に使え」と言いたくなります。あのCM料金だけでも福島原発で現に働いている人々の食事・睡眠・風呂を抜本的に改め、充実させることができる金額になると思います。
 会長の勝俣は、記者会見の席で、平然と「社員、協力会社の社員の別なく、現場の従業員の安全と健康を最優先で重視しています」などと大ウソをついています。現場の人々は、三度の食事がカップめんやら非常食で、放射性物質を浴びても洗い流す風呂もなく、寝床でさえも防護服を着たまま、などという労働環境に放置されているというのに、です。

 さて、東電は、会長も社長も、早々に辞任するという決意を表明しました。
 管直人は、次の衆議院選挙まで「絶対に解散せず」、「与えられた任務を任期いっぱい全うする」決意です。管内閣の名は、歴史に残る大震災とともに歴史に汚点を記すこととなるでしょう。

※ こちらもよろしく!! ⇒ 
 本当は桜の前、3月ごろが「木蓮」の季節だと思いますが、以前引用したYouTube動画が削除されていたので、改めて探してみました。今回は、絵が動かない動画(?)です。
 また、スタレビ(スターダストレビュー)の代表曲だと思う2曲も引用してみました。
 東京FM系の「カナメのある音楽」をよく聴いていました。FMぐんま では、以前は昼間の放送でしたが、今は夜の番組に異動しています。根本要のトークと音楽が、聴きやすい番組です。

木蓮の涙

オリジナル版

小田和正とのデュエット


夢伝説


今夜だけきっと


※ こちらもよろしく!! ⇒ 


 YouTubeの画面の表示が変わって、あたふた。
 今まであった「埋め込みコード」というボタンが消えてしまって、オブジェクト・タグをコピーすることができなくなってしまいました。
 と、思ったら、
 ややこしいことに、「共有」(share)というボタンを押してから表示されるようになっていました。しかも、「埋め込みコード」の他に、face bookとかAmebaのほかいくつかのブログやTwitter、mixiなどのロゴマークのボタンもついています。
 予告なしに画面の表示が変わるし、そのガイドになる説明もないし、土曜日の夜は消耗の時間が長かった。

 ところで、試しに「共有」(share)ボタンを押してから表示されるAmebaのロゴマークをクリックしてみたら、オブジェクト・タグが挿入済みの「ブログを書く」編集画面が開きました。まあ、それなりに、便利と言えば便利なサービスかな。
 案の定、彼にとっては、最初の試練が始まりました。

 「なんで、勉強の時間ばっかりなの?」
 「そりゃ、おまえ、学校ってのは、勉強するところだからだよ」

 ひらがなもカタカナも読み書きできるようになっているくせに
 「ねぇ、これ、何て読むの?」
 「うん? 読んでごらん」
 「ガリガリクン」
 「なんだよ、読めるじゃん」
 そんなふうに大人をからかうのが好きな彼にとっては、学校の授業というのは、少々つらいようです。

 それに、あのお調子者ですから、さっそく、目を付けられました。
 先生に、ではなく、同級生の体格のいい男の子に、です。
 いよいよ、始まってしまったイジメ。といっても、いまのところは、単純に、存在感を競い合うだけのようですが、彼の場合は、そういう戦闘的な気分は苦手で、ただただ、萎縮してしまうのです。

 それならば、と、聞いてみました。
 「学校には、きれいなおねえさん、いないのか?」
 「いなーい」
 「上の学年の女の子たち、いるんじゃないの?」
 「しらなーい」
 「じゃあ、こんど、休み時間に5年生とか6年生の教室に行ってごらん」
 女好きの彼にとって担任教師は「おばさん」だし、魅力的な女子が、まだ、見つからないらしい。

 いずれにせよ、彼にとっては、学校というのはストレスがたまるばかりの、受け入れがたい環境のようです。
 帰宅してからすぐ、隣にあるうちの会社に遊びに来ては、前よりも駄々っ子ぶりを発揮するようになりました。一種の幼児がえり的な態度です。
 ママも よっちゃんも
 「よっぽど、(学校が)イヤなんだねぇ」
 と、その発散ぶりを、ただ、受け流すしか、すべはありません。

 彼にとっては、ママとおとうさんの他に、「よっちゃん」ママと、「もっもとさん」おとーさんがいて、うちの会社に甘えに来ています。
 しばらくは、甘やかしてあげようかな。

 きのうは、久しぶりに、空飛ぶクリ坊をしてあげました。
 空飛ぶ格好をするクリ坊を抱き上げて、放りあげるのですが、3回も放りあげると、こっちが息をあげてしまって、「終了」でした。・・・いつの間にか、おもたくなったなぁ。
 このタイトルを最初に書いたのが12日のブログでした。
 昨日は、東京電力の清水正孝社長の1ヵ月ぶりの記者会見が報じられました。

 「ベストを尽くしてきた」との社長発言に、会見場のあちこちから、罵声やらたたみ掛ける質問やら、騒然とした光景が報じられるとともに、あくまでもポーカー・フェイスを貫き通した無感情な社長の表情に不気味さを感じた人も少なくないでしょう。
 これこそが、何があってもシラを切り通す官僚主義の頂点に上り詰める人物の表情だとつくづく思いました。

 原子力発電所をめぐる東京電力の事件・事故は、今回が最初ではありません。
 最も有名なのが事故隠し事件(2000年~2002年)、ついで、新潟県中越沖地震で起きた柏崎刈羽原発事故(2007年)だと思っています。
 ただ、原発事故、原発事件をいろいろと調べてみると、東電ばかりでなく、国内だけでも何十件もの事件・事故が発生していたことに驚きました。

 事故隠し事件(原発データ改ざん事件)は、今回の震災事故の舞台となった福島第1、第2原発、それに柏崎刈羽原発が絡む事件でした。
 原子炉の製造元であるGE(ゼネラル・エレクトリック)社の技術者がこの3か所の原発を点検した際、原子炉の亀裂や工具の置き忘れなどを指摘したのですが、これを握りつぶそうとした東電をこの技術者が内部告発した事件です。あまりにも杜撰(ずさん)な原子力管理、発電所運営に驚き、危険すぎるという判断によるものでした。
 2年がかりの政府(原子力安全・保安など)とのすったもんだの挙句、東電は会長、社長など経営トップが辞任に追い込まれることとなりました。
 原子炉に何か所もの傷があっても、それを政府に報告することもなく、むしろ、隠し通そうとしたのですから、恐るべき態度でした。
 今回の震災の際にも、東電は、最初の爆発事故の時から、政府への報告を怠ったことで内閣の怒りを買い、総理大臣が東電に直接乗り込む、という醜態を演じています。

 柏崎刈羽原発事故は、新潟県中越沖地震の際の事故ですが、原子炉の緊急停止の問題とは異なって、変圧器火災への対応をめぐって地元自治体への連絡を怠るなど、事故隠しともみられる経緯が問題となりました。また、IAEAによる調査協力の申し出を日本政府が断ったことに反発した新潟県知事が協力依頼すべきだと発言したなど、東電ばかりではなく、政府も事故隠しに加担している疑いがもたれた事例でもありました。
 これらの点から柏崎市長は、安全性が確認できないとして刈羽原発の稼働を許可しない緊急停止命令を出し、以後、2年半の間、運転できない状態が続きました。
 この事件・事故の時の東電の社長が今の勝俣恒久会長です。彼は、この柏崎刈羽原発事故で引責辞任したはずなのですが、逆に、代表権を持ったまま会長に昇格しています。社長当時も、今回の福島原発でも、勝俣会長は「想定外の事態」と繰り返しています。
 こういう東電の態度については、すでに、多くの批判が聞かれますので、とくに、論じる必要はないかと思います。
 基本的には、以前にも触れた「危機管理」の在り方(無知で遅れた者たち=無恥な者ども)、「ほうれんそう」の在り方(ごまかしと隠ぺい)でも論じたところです。

 では、なぜ、東電は、こうまでして、自らの落ち度とか欠陥を隠し、シラを切る態度を積み重ねているのでしょうか。
 あの清水社長や勝俣会長などの何があっても「ベストを尽くした」と開き直る態度はどこから生まれるのでしょうか。

 それが、すなわち、官僚主義のなせる業(わざ)だと言えます。
 官僚主義とか官僚制というのは、マックス・ウェーバーの規定したビューロクラシーが代表的な研究だと思いますが、一言で言えば、巨大組織での上意下達の支配・管理システムだと言えます。対立概念としてはデモクラシーが当てはまるでしょう。
 徹底した上意下達の仕組みですから、上の階層ほど間違いは存在しないという前提に立っています。組織内では上の言うことは絶対なのです。このため、入社以来一度も過ちを犯したり認めたことがない者だけが昇進昇格できることになります。
 自分の責任範囲ではミスを犯したことがない(または、それを隠ぺいしたり、他の者に転嫁できる能力に優れている)人間が凝縮されて集まっていく仕組みです。そういう種類の人間によって上層部に向けた階層(ヒエラルキー)が積み上げられているわけです。

 官僚主義というのは、巨大組織を動かすために必要とされた組織形態でもあります。強力なリーダーシップのもとに一糸乱れぬ組織的行動を取るのにはふさわしい組織なのです。それが、独占的な大企業であり、そういう規模を持つ“国策会社”であり、そもそもの官僚機構(行政府、軍隊、警察など)なのです。
 しかし、そのために、「上の者に従っているだけだから、責任はない」というモラル・ハザードを生み、上に行くほど「前例に従っているだけだから、自分の責任ではない」という前例主義に陥り、遂には、「想定外の事態だから、我々の責任ではない」というトップにたどりつくのです。そのトップ陣営がどう責任を果たしているかと言えば、絶対に間違いを認めない「ベストを尽くした」発言になる、というわけです。
 彼らは、個人的な責任やリスクを回避することには長じていても、社会的な使命感とか責任感には、全く無神経になってしまうわけです。
 これは、何も東京電力だけの体質ではありません。官僚機構のすべてが、こういう組織原則を貫いています。今は民営化されている政府系の企業も同じです。福知山線事故のJR西日本や証拠改ざん事件の大阪地検など、記憶に新しい事例も少なくないでしょう。いずれの場合も「オレは悪くない」でした。


 絶対間違えないはずの政府=原子力安全・保安院が許可した原発なのだから、その安全性については、東電は「ベストを尽くした」のであって責任はない(=責任は判断基準を決めた政府にある)。原発が壊れてしまったのは「想定外の事態」なのだから、ベストを尽くした我々の責任ではない。会長も社長も「オレは悪くない」。そういう気持ちの表れが、声を荒げる記者たちに対して向けられたあの冷ややかな無表情なのでした。

 さて、そんな中、管内閣の発足以後に、資源エネルギー庁の長官だった石田徹という人物が東京電力の顧問に就任していたことが明らかになって、官房長官の枝野をはじめ、民主党内閣は、自らが官僚を把握・統制できていないことに慌てています。災害復興をはじめ、管内閣では官僚組織を従わせることも活かすことも出来ていないことが、こうした事例からも露呈しているわけです。
 また、御用メディアも、東電とは馴れ合ってきたことが、勝俣会長の発言でバレています。
 ⇒ 東京電力による記者会見「勝俣会長、マスコミとの癒着を認める」

 こういう官僚主義に対抗するために必要なのは、カウンター・パワー(対抗勢力)だと考えています。それには外部からの監視の目も必要でしょうが、基本は、組織内での日常的な活動なのです。経営陣のご機嫌伺いを原則にしている正社員クラブ=御用組合ではなく、闘う労働組合なのだと考えています。そういう闘う勢力を潰すために働き、労働運動に日和見主義を蔓延させたのが、経営側の後押しを得て組織された御用組合=正社員クラブであり、「連合」に結集している諸君でした。そんな勢力ではなく、闘う労働組合を通じて、日常業務の安全管理をはじめとして経営側の政策に対する批判も行なえば現場からの提言を行うこともできるのだと考えています。
 働く人々は、本当に闘う労働組合を作ろう、そういう組合に入ろう、それによって現場で働く仲間たち、危険を顧みず働く仲間たちとつながろう、支えよう。そういう思いが募るのです。
 こういう歌も、この季節に合っているかな、と思って選んでみました。ブレーキランプ5回踏むのを流行らせたあの名曲です。

未来予想図Ⅱ

 ドリカムだったら、どんな曲を選んでもいいと思うほど素晴らしい曲がたくさんあると思いますが、好きなのは、まだ3人だった頃の曲が多いです。変わったメロディだなぁとか、歌声に力があるなぁとか、それまで聞いたことがないような不思議な感覚が印象に残りました。

晴れたらいいね
決戦は金曜日

サンキュ.
 女たらしで、「おなかが減ると、ボク、ちっちゃくなっちゃうよ」のクリ坊がこの四月から小学生になりました。
 前回の桜見物以来一年の間に、呆れるやら感心するやらのエピソードもたくさんあるのですが、まあ、それはさておいて、彼の入学式での「武勇談」。

 何十人もいる新一年生の間で、クリ坊は少しも緊張することもなく伸び伸びしていたようです。
 入学式のセレモニーの一つに交通安全協会のおじさんの「お話」があったそうですが、
 「さあ、みんな、この標識の絵のこと、わかるかな?」
 すかさずクリ坊が「はい、はい、はいっ!!」
 「おっ元気いいね、ボク。この絵のこと分かる?」
 「一時停止に決まってるじゃん。おじちゃん、知らないの?」
 「おおっすごいね、大正解!!」
 「ね、おじちゃん、その絵、貸してぇ」
 「いやいや、これは、貸せないんだよ」
 「ほしいよー」
 「じゃ、入学式の後でね」

 標識マニアというか標識オタク、あるいは、標識博士のクリ坊は交通標識をたくさん覚えていて、そういう絵を集めるのが大好きになっています。
 入学式の終了後、さっきのおじさんのところに走って行って
 「貸してぇ」
 「い、いや、あのね、これは、貸せないんだよ」
 「おわったあとでって、言ったじゃん!!」
 「あ、うん・・・。だ、だけど・・・。」
 ママが助け舟で
 「おじちゃん、次の学校に行かないといけないんだよ。時間がなくなっちゃったんだって」
 なんか納得いかないけれど、以前のように駄々をこねてジタバタすることはなくなったようです。
 大人相手にも、ものおじしない、というか、大人と同じつもりになっている彼は、誰に対してでも「タメグチ」だったり上から目線だったりしています。

 そのママとおとうさん(彼は何故か、「ママ」と「おとうさん」といういい方をします。「パパ」ではないらしい)を慌てさせたのは、式の冒頭でのことでした。
 「さ、校長先生のおはなしです。では、校長先生、どうぞ」
という司会の先生に促されて校長先生が壇上に姿を現わした途端、
 「なぁんだ、おじいちゃんじゃないの!!」。クリ坊の声は、体育館中に響き渡ったのでした。
 おめかしをして出席していた両親は、どうやって身を隠そうか、慌てふためき、うろたえたのは、想像に難くありません。

 こういう子どもを「厄介な子が入ってきた」と思うか「おもしろい子が入ってきた」と思うか、それによって先生たちの態度は、百八十度違ってくるだろうと思います。
 まっすぐ、伸び伸び、育ってほしいと願うばかりです。

 この「クリ坊」の話については、サイドバーにあるブログテーマで「クリ坊」をクリックしてください。

何年か前の、もうちょっと小さかったころの写真
 
 先日、「低濃度」というごまかしに触れましたが、その後、日本の大手メディアが揃って「比較的低濃度の」という表現に統一していったことにゾッとしました。
 福島原発の海水の取水口から政府の基準(たぶん安全基準)に比べて百万倍とか750万倍などという異常に高濃度の放射線汚染の海水が検出されたことに比べれば、基準の100倍の水など「低濃度」だということで、8千トンもの100倍汚染の水を垂れ流しました。この垂れ流しが始まってしばらくしてから(それこそ、このブログでごまかしを指摘した日あたりから)、メディアが「比較的低濃度」という表現に足並みを揃えました。これは、国民に対するごまかしであるとともに国際社会に対してもごまかすものであると言わざるをえません。

 真実を伝えるはずのメディアが、こうしたごまかしの表現に足並みをそろえること自体、東京電力や政府の側ではなくメディアの側が大本営体質に漬かりきっていることを示しています。なぜ、揃いも揃ってこういう同じ表現に統一するのかと言えば、記者クラブ制度があるからです。

 新聞、テレビ等が中継している東電や行政府の会見は、記者クラブ加入社しか出席できません。
 この記者クラブが足並みをそろえることで分かりやすいのは、誘拐報道の時です。誘拐事件が発生した時、警察からの協力要請に応えて、記者クラブ加入のメディアは報道を差し控え、事件の解決後などに初めて報じられます。
 なぜ、こういう記者クラブが生まれたのかと言えば、スクープ合戦の行き過ぎを抑えようということで、取材する側にとっても取材される側にとっても都合のいい馴れ合うための方法でした。また、記者クラブという集団を作ることで、加入できるメディアを選り分けるようなことまで行なっています。このため、夕刊フジとか夕刊ゲンダイなどの夕刊紙や東京スポーツなどのスポーツ紙、それに、すべての週刊誌は、さまざまな理由をつけて記者クラブからは排除されています。もちろん、政党・労組・市民団体の機関紙も“不偏不党”ではありませんから排除です。
 この記者クラブの存在によって、記者たちは、ある意味、お墨付きをいただいた選ばれたメディアだと勘違いした特権意識を持つことになります。同時に、実は、記者クラブの足並みを乱すようなことをしたら排除される、という脅しにも支配されることになっているのです。
 この記者クラブの「申し合わせ」などという合意によって、大事な局面での大事な表現に手かせ足かせがはめられることになるのです。


 その結果、
 「基準値の100倍もの放射線汚染水を8千トンも垂れ流す」とは、言わなくなり、
 「比較的低濃度の水8千トンを排出」と、とても穏やかで、さらりとした表現に足並みをそろえることになったわけです。
 誰かさんの意向に沿って、100倍だの垂れ流しなどと人心を乱すような表現は差し控えようと「申し合わせ」を行なったのでしょう。東電か行政府か知りませんが、「君らのような勝手な表現を使うなら、もう、会見はやめだ」と脅せば、記者クラブなんか簡単に屈するのですから。

 しかし、これによって、日本のメディアは、自分たち自身の手で、日本における報道機関の在り方を大本営体質へとおとしいれてしまっていることを肝に銘じるべきでしょう。つまり、メディアは金太郎あめのような統一行動を取ることで全体主義への道を自らの意志で選び取っているのです。東電のやった垂れ流しを軽いことに思わせる表現に足並みをそろえたことで、無批判で従順な人々はともかくとして、一般国民は、メディアに対して疑い深くなるだけです。

 メディアに対して疑い深いと言えば、日本にいた中国人の行動が如実に物語っています。
 政府だのメディアだのが、「安心だ」と言えば言うほど、それを信用せず、各地の工場や中華街など多くの中国人が、さっさと、帰国してしまいました。特に彼らの場合、一党独裁という自らの母国の政府やメディアの信用ならない体質を味わっていればこその行動です。
 そしてまた、実は、この中国人の行動が世界では例外ではなく、むしろ、普通のことではないでしょうか。政府やそのお墨付きメディアは信用ならない、というのが、民主国家だろうとなんだろうと世界のどの国でも、権力に対する市民感覚だろうと思います。


 新聞をはじめとしたメディアで働こうという人々は、もともとは、「真実を伝える」とか「社会の木鐸(ぼくたく)になる」(つまり、世の中に警鐘を鳴らす、という意味)など、基本的には権力を監視しようという野党的立場を持ち、一種の使命感とか正義感を持った人々だったと思うのですが、今の社員たちは、そうでもないようです。アナウンサーになることはタレントになることと似たような気持ちの子もいれば、「就活で銀行、商社に落ちて新聞に受かったから入社した」たぐいの記者たちも少なくないのが現状のようです。
 入社してから使命感を教えてもらうような社員で構成されたメディアなど、自らが大本営体質になることに何も問題を感じないオメデタイ連中が増殖中だと言うしかないでしょう。それに、社会正義だの木鐸意識だのという“青臭い”志など、経営側にとっては邪魔な意識に過ぎず、中立公平だの不偏不党だなどという骨抜き体質を教え込むわけですから、経営側にとっては好都合な若者が増殖中だとも言えるでしょう。
 ちなみに、フリーのジャーナリストは企業に属さない“自由人”だから、書きたいことが書ける、言いたいことが言えるかと思うと全く違います。自分の記事や論説が売れなければ仕事にならないのですから、メディアの従業員よりももっと不安定な立場で御用メディアの報道姿勢に屈服しているのが現実です。裏を返せば、テレビによく登場するジャーナリストほど、メディアの意向に迎合した「妾(めかけ)商売」と称されるゆえんです。

 さんまの丸焼きに添える大根おろしに、醤油1滴なら、おいしく食べられますが、100滴かけても「比較的低濃度」だと言えてしまう感覚は、わたしには理解できないし、恐ろしい感覚だと思っています。なにしろ、命にかかわる問題でのそういう感覚なのですから。

関連記事
 ・メディアの感性(2011/03/05)
 ・ごまかしと隠ぺい(2011/04/06)
 時々起る現象です。
 ペタは、同じ相手には一日に一回しか出来ませんが、時々、こうして二回分表示されることがあります。どうやらAmebaのプログラムにバグがあるようですが、
二回もペタしてもらえるなんて、嬉しいと思ってしまいます (*^_^*)