kyottides的 喜怒哀楽 -25ページ目

kyottides的 喜怒哀楽

一年余りにわたって 開店休業状態 でしたが、そろそろ、また、あれやこれやと綴ってみようかなと思い始めています。よろしくお願いします。

 アメリカがアルカイダの首謀者、オサマ・ビンラディンを殺害したと、大統領が深夜、緊急の記者発表を行なったニュース。
 アメリカ国民が街頭に出て狂喜乱舞するさまを見て異様な光景だと思った。何度も触れてきたことだが、アメリカにとっての正義とは、こんなにもストレートに異教徒、異民族に対して冷淡なものなのかと、改めて感じないわけにはいかなかった。

 「9.11」という日付がアメリカや資本主義大国にとってはニューヨークのワールド・トレード・センターを破壊したテロ事件の日として記憶されているようだが、中南米やアフリカなどではむしろ、1973年に、アメリカが介入して軍事クーデターを引き起こし、チリのアジェンデ政権を転覆させた日として覚えている国々が多いのである。チリが世界一の銅の産出国だという事情から、反米的な政権に対してはどんな卑劣な手段を講じてでも倒す、というのが、当時のアメリカのやり方だったのであり、その体質は、イラクやアフガニスタンを破壊したり、また、今もなお、石油資源を抱える北アフリカ諸国や中東の抑圧政権と親密だったことにも示されている。
 世界全体からみれば、資本主義大国による資源収奪という反感は強く、中でも「世界の憲兵」とか「世界の警察」を自認し、他国の主権などお構いなしに武力を行使するアメリカに対する反感は強いのだ。
 そのことを理解せずに、あんなに無邪気にお祭り騒ぎができるアメリカ人というものは、好きにもなれないし理解も出来ない。

 ニューヨークの「9.11」で犠牲になった人々の中に、日本人も24名いたという。その中で、銀行員だった息子さんを亡くした父親がテレビのインタビューで「亡くなった息子が帰ってくるわけではないし、今回の件で、気が晴れるわけはない。それよりもむしろ、きちんと裁判にかけて、なぜ、あんなテロを行ったのか説明を求めたかった」と、語っていた。事情はどうであれ、相手がだれであれ、話を聞くべきだったと考える冷静さ、彼のこういう発言が、まっとうな考えだと思うのは自分だけではないと思う。
 でなければ、ビンラディンがイスラム勢力の一部で祭り上げられた事情は、分からないままだろう。もしかしたら、キューバ革命の際の英雄だったチェ・ゲバラのように、また、イスラム革命と称されたイランのホメイニのように、何十年にもわたって神格化されていくことになるかもしれない。(個人的にはこの三人のいずれも支持するものではなく、北朝鮮の金日成や中国の毛沢東のように、建国の父として異様に神格化され、政治的に利用され続ける存在と同類であると思っている。)

 いずれにせよ、アメリカ的な、また、資本主義大国的な正義なるものは、いずれ、世界各地から反撃を受けることになるだろうと思っている。今はイスラム過激派がその先鋭化した勢力となっているかもしれないが、反米勢力は彼らだけではないのだから。

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 あれから、もう、2年が経ちました。
 今日は、忌野清志郎さんの命日です。

スローバラード


HIS - 500mile


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 管内閣は、3月11日の大震災の頃には、外相の前原の辞任に続いて、管直人本人も前原と同様の政治献金問題で窮地に追い込まれていた。ところがこの大震災を天佑として二か月近くもの間、同じ内閣であり続けた。しかしそれもまた、震災対策・原発対策の指導力の欠如が露呈し、身内の民主党内からも“管降ろし”に走る者が出るなど、今や死に体の内閣となりつつある。
 震災後、自らの主導権に固執した管直人は自民党との「大連立」の好機と取り違えて谷垣の入閣を誘ったものの、民主党の党利党略を見透かされて、あっさり断られる失態を演じた。さらにまた、その主導権への執着は諸官庁の動員にも失敗し、首相及び内閣周辺の取り巻き(首相補佐官、内閣参与・顧問など)を膨らませ、指揮系統の不明確な対策本部の乱立という混迷に陥った。

 このブログでは、大震災後に、救命および被災地復興のためには、既に国民の支持を失いつつあった管内閣主導ではなく選挙管理内閣にするか、内閣を継続するのであれば、その行政とは独立して各党対等の実行委員会方式によって災害対策の体制を作るべきだと指摘した。
 これと似た発言としては、国民新党の亀井静香が選管内閣を口にしたことがあったほか、みんなの党の渡辺喜美などによる「(災害)復興院」創設の主張などがある。ただ、渡辺らの復興院構想は、関東大震災の時の後藤新平を思い出しただけの、霞が関の各官庁から選抜するプロジェクトチームであり、官僚依存の体制にすぎない。
 プロジェクトチームについては、各政党による実行委員会である方が、官僚組織による復興院よりも、より国民的な組織として民主的であることを迫られ、また、復興ビジョンの構想力に於いて勝ることは論を待たないだろう。
 4月30日の衆議院で補正予算が全会一致で可決したように、災害対策の組織と運営に関しては管内閣に対する怒りに満ちた批判はあふれていても、対策そのものは、どの党にも異論はない。であるならば、国会の各会派が挙国一致の救国国会となるためには、その組織と運営を改めることだというのは、誰にとっても分かりやすい話だろう。
 管内閣のシモベになるような内閣入りを誘ったり、売名のための取り巻き連中を抱えたりすることなどよりも、世のため人のためを思うならば、主導権にはこだわらないヒト・モノ・カネ・情報の動員力をこそ実現すべきだと考える。今の管内閣にとっては、そういう決断こそが歴史的英断になるはずである。

 そうした例で思い出されるのは、1929年の世界大恐慌後のアメリカで行なわれた「ニューディール政策」がある。
 この場合は、大統領・ルーズベルトの英断と称賛されたものでもあり、また、同時に、それが社会民主主義的な政策だったと批判する独占資本も少なくないが、一言で言えば、資本主義競争のあからさまな自由主義による弱肉強食だったはずのアメリカで一種の計画経済を導入し、公共事業を通じて大量の失業者救済を行なったという、まるで、社会主義のような経済政策だった。
 つまり、ニューディールの場合には、ある種の世論を敵に回してでも、大所高所からの決断として実行されたものだった。

 だがしかし、今の管政権には、これに匹敵するようなビジョンとか実行力は期待できない。そういう頭脳は、彼の周辺にはいないのだから。だから言うのである。彼らの勢力にはアタマがないのだから、より広範な英知を結集する体制を作るべきなのだ、と。そういう体制として救国の選挙管理内閣にするか各党合同の実行委員会を作るかだと。

 政権の座にある者にとっては、自らの政権を維持しようとするのが普通の発想なのかもしれないが、その動機の強さに応じて、世の中の空気は読めなくなるものらしい。フランス革命以来、政権への執着が却って悲惨な末路をたどった歴史の例にあふれている。今の管政権で言えば、自らの取り巻きとして任命したはずの内閣参与から辞表を叩きつけられ、噛みつかれる失態を演じているのが、そうした歴史と重なる悲惨の始まりを象徴するものだと言えるだろう。
 もともとチンピラヤクザのような政治屋が党内の政争で掠め取った政権なのだから、こんな連中は一日も早く、政治の表舞台から退くことが望ましいのだが、そういう連中であるからこそ、彼らは、自らの引き際を見極めることも出来ない。政権にしがみつくほどに管直人とその一派は、国民的な利益に背いた点で、歴史に残るほどの汚名内閣となるだろう。泥沼である。
 また、この4月の統一地方選挙の総括で、自民党の「自らの支持を得たというよりも敵失によるものと見る必要がある」という謙虚さは正しい、だろう。原発の問題をはじめ、今、問題になっている諸事例は、自民党が作った体制によるものなのだから。

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 今日はメーデーでした。
 ニュースでも取り上げられることはなくなり、労働者という言葉も次第に風化していったように感じます。
 しかし、生活の糧を月々の賃金で得ている人々は、ワーカー(worker)でありレイバー(labour)であることに違いはなく、紛れもない労働者です。この階級が自らの力に目覚め、団結して自由を勝ち取るための闘いは、労働者という階級が存在する限り終わることはありません。自らの待遇に怯えながら働かなければならない不安定雇用労働者が増えれば増えるほどなおさら、労働者の闘う組織の必要性も高まっています。
 日本の経済界に媚を売ることを務めとした「連合」のような御用組合のナショナルセンターは、年ごとに、こういう日を形骸化させてきました。その彼らがかついできた神輿の民主党も、今では、その非民主的な体質とともに危機管理のイロハも知らない無力ぶりをさらけ出しています。いっときは国民の人気や支持を掠め取ったかに見えるこうした勢力が一日も早く没落することを願い、真に闘う労働者による民主勢力が力強く成長することを願っています。

世界をつなげ花の輪に

インターナショナル


メーデー歌(聞け万国の労働者)


町から村から工場から


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「I love you & I need you ふくしま」猪苗代湖ズ


 動画に添えられている投稿者の一言
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猪苗代湖ズの『I love you & I need you ふくしま』を、47人で唄いました。
それぞれの故郷を持つ僕たちも、心から応援しています。

この楽曲は、『TOKYO FM 携帯サイト』http://www.tfm.co.jpと、PC用音楽ダウンロードサイト『OTOTOY』http://ototoy.jpで配信しています。

この収益の全額が福島県災害対策本部に寄付されます。
みなさんご協力お願い致します。
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 楽団つながり、真珠つながりで、今日はアルフレッド・ハウゼ楽団を選んでみました。
 タンゴの楽団として有名で、日本びいきでもありました。

真珠採りのタンゴ- Alfred Hause


碧空
ラ・クンパルシータ


宵待草 アルフレッド・ハウゼ楽団(ステレオ)


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 いわゆるイージーリスニングと呼ばれた音楽が人気を集めていたのは70年代までのことかと思います。その代表的な作曲家で指揮者だった一人がポール・モーリアでした。
 昔は、百貨店でも商店街でも、よく、BGM(バック・グラウンド・ミュージック)が流れていたと思うのですが、イージーリスニングの数々がよく使われていたと思います。
 ギターやキーボードなど電子楽器の発達とともに、大勢の楽団員を抱えるポップス・オーケストラやジャズのビッグ・バンドのたぐいは姿を消していきましたが、生楽器の音は、やはり、どこか、ぬくもりを感じます。

恋はみずいろ Love Is Blue  Paul Mauriat


エーゲ海の真珠
マドンナの宝石
 ※ 「マドンナの宝石」は、オペラの楽曲ですが、気に入ったクラシック演奏が見つからず、仕方なく、ポール・モーリアで引用しました。

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 今日、統一地方選の後半戦が行われました。
 併せて、愛知では、衆議院議員の補欠選挙も行なわれ、民主党は候補を立てることも出来ませんでした。その結果、河村たかしの減税ニッポンの候補は敗れ、自民党の元議員が返り咲きとなりました。
 この選挙結果をめぐって、自民党の幹事長、石原伸晃などが「ポピュリズムに勝利した」などと語っています。

 手前味噌、というのは、このポピュリズムという言葉についてです。古くからある単語ではあるけれど、最近の政治情勢についてこの用語を思い出したのは、中央政界よりもこのブログの方が先だっただろう、ということです。 ⇒ ポピュリズム
 特に、石原伸晃の場合は、昨年の尖閣諸島での中国漁船事件の際にも、パトカーに当て逃げするクルマに例えた国会質問を行ないましたが、このときも、「ん?オレのブログ読んでるのか?」と思ったほど、全く同じ例えを持ちだしていました。 ⇒ 管政権の日和見主義

 とまあ、いわば、思い込みというか思い上がりかもしれませんが、少なくとも、自分なりの「ものの見方考え方」は、あながち、誤ってはいないだろうとは思っています。
 ただ、一言添えておきたいのは、「石原クン、ポピュリズムの見本は河村たかしであるよりも小泉純一郎だからね。よおーく、歴史を振り返りたまえ」です。

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原発事故の情報隠蔽? 断固抗議!
 岩上氏のこのブログは、そこに示された事故対策統合本部の資料ともども、日本が自由と民主主義の国だと思っている人々にとって、最も分かりやすい反証となる一例だと思います。
 彼のブログでも危惧しているように、週明けからの福島原発関係の記者会見は、これまでとは、様相を変えることになるでしょう。

 記者クラブが仕切る会見場に一本化されるということは、つまり、取材の自由は奪われることになります。東京電力の記者会見には『しんぶん赤旗』の記者もいたようですが、内閣官房の記者会見だけになるこれからは、出席できなくなるわけです。
 報道倫理の名のもとに、聞かれたくない相手、突っ込まれたくない相手は、こうして排除していくのです。そういった措置には、実は、大手メディア=御用メディアもまた、一枚噛んでいることを忘れないようにしましょう。出来るだけニュース報道の競争相手を増やしたくないのですから。 ⇒ メディアの御用体質

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 初めの頃、この歌は、悲しすぎて好きにはなれませんでした。
 60年代の「たどり着いたらいつも雨ふり」(吉田拓郎)、「春夏秋冬」(泉谷しげる)に比べても、落ち込んで救われない思いのどん底を、こんなにも真っすぐにぶつけてきた歌は、強烈すぎて受け止めきれなかったのだと思います。
 かつて、フォークギターを抱えて歌われたのはプロテスト・ソングであり、メッセージ・ソングであり、社会の矛盾に苛立ち闘う若者たちの心情の象徴でした。しかし70年代を迎えるとともに、そういう闘いの象徴は、次第に政治色を失いメッセージ性を失っていきました。“四畳半ソング”と呼ばれた南こうせつの歌などは、姿形はフォーク風でありながら、内容はすっかり牙を抜かれた弱々しく子供じみたものとなってしまいました。
 そういうフォークの流れに決定的な終止符を打ったのが、たぶん、この「わかれうた」だったろうと思います。サザンオールスターズが生まれ、キャンディーズが終わるころに登場した歌でした。

 こんな歌は嫌いでした。
 ところが、出会いと別れを様ざまに味わい、特に、二度と再会できない別れが積み重ねってみると、こういう歌を思い出すようになっています。落ち込む時は徹底的に落ち込む。これは、今では、臨床心理学などでも、立ち直り方のセオリーとなっていると思います。
 中島みゆきの歌の深さを象徴する歌でもあった。そういう感じ方をするようになっています。

わかれうた

 どうして、この曲を選んだのかと言えば、昨日のニュースで感じた同世代への感慨から、でしょうか。同じ時代を歩んだ人がまた一人いなくなったと寂しくなりました。

 田中好子さん、お疲れさまでした、安らかにおやすみください。ほぼ20年もの間、ガンとの闘いだったと知ってみると、なおさら、お疲れさまでしたという気持ちが強くなります。
 そして、彼女を見送る自分たちにとって、「ヘッドライトテールライト」の“旅はまだ終わらない”が、今は、響くように思います。人は一人ずつ倒れて行くけれど人間社会の旅は終わらないのだから。

ヘッドライトテールライト

 NHKの「プロジェクトX」は、バブル崩壊後、長く続く資本主義経済迷走の時代に、働く意味や人生の在り方を考えさせ励ます番組だったと思います。

プロジェクトXの名言集


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