他のどの国の国旗も、縦・横の向きが決まっていて、イギリス国旗などを除けば上下も裏表も一目で分かるだけに、見え方によっては、みっともないこともあります。(たとえば、USAの旗を逆さまにして掲げるなどすれば、一目でUSAに抗議する侮辱的態度だと分かります。)
その点、日の丸は、どんな角度から見ても上下も左右も裏表も関係なく日の丸です。たぶん、こういう旗は他に例はないでしょう。誰にとっても分かりやすいし、白地に赤(紅)という、最高に縁起のいい旗でもあります。
だから、日本人にとっては、この日の丸はとても親しみやすいし誇らしく感じるデザインでもあるでしょう。子どものころから日本の国旗だと教えられてみれば、この最高のデザインは、ごく自然に親近感を抱くものとなってきたと思います。オリンピックやワールドカップサッカー、F1など国際舞台で日の丸が掲げられるとき、誇らしく感慨深く感動を覚えるのも自然なことだろうと思います。
その時、感激を覚える人々は、何に感激しているのでしょうか。
例えば、今度の「3.11大震災」の時の世界の評価があります。悲惨な事態に陥ったにもかかわらず自制的で他者への思いやりを忘れない日本人の美徳と、それに比べて、国家機関の対応のまずさとの落差に大きな驚きが生まれています。日本人の多くが感じる日の丸への愛着は、この、世界が驚くほどの美徳を発揮する同胞への思いではないでしょうか。
なぜそういうシンボルになったのかと言えば、おそらく明治政府以来百数十年の間に沁み込まされたシンボルだからだと思います。日本人にとっては、他のシンボルは何も掲げられたことはないのですから。
青天白日旗の国民党と五星紅旗の共産党との内戦を味わった中国の人々は、それぞれの旗に対して全く違う感情を抱くと思います。ところが、日本の場合は、左翼の人間の中にも、オリンピックで日の丸が掲揚されるときには涙してしまう、という人もいるのです。おそらく、日本人にとっては、国家権力の象徴であるよりは同胞の象徴として意識されるからだろうと思います。それほどに、日本では、幼いころから身近に感じるように仕組まれてきた唯一の象徴だと言えます。
しかし、わたしなどは、サッカーの国際試合などで、日の丸が林立する光景を見ると、右翼の集会かと思ってしまうほど、鳥肌が立つ思いがします。あの旗の先に銃剣がくくりつけられているのじゃないかとゾッとしてしまうのです。
ナチスのハーケンクロイツや日本帝国主義の日の丸のように、あの全体主義のイメージが浮かんでしまうだけに、日の丸が掲げられる光景には、嫌悪感を抱いてしまいます。
逆に、わたしの気分が高揚する旗と言えば、やはり、赤旗です。多くの職場の労働組合の旗をはじめ、赤旗が立ち並ぶ光景を見ると、ああ、こんなにもたくさんの仲間たちがいるんだと、気分が高揚するわけです。
とはいえ、日の丸の林立にしても、赤旗の林立にしても、そのいずれもが、自らの力を誇示したいという行為には違いなく、どんな旗を掲げようと、それは、集団的な熱狂の表現に他ならないだろうと思います。それは、他者を威圧することでもあり、右だろうと左だろうと、どちらの場合にも、あまり褒められた行為ではないように思っています。
一番嬉しいのは、赤旗だけではなくて、生協の七色の虹の旗とか民商の旗、あるいは平和委員会の緑の旗、原水協の白と緑の二色の旗などなど、いろんな旗が立ち並ぶ集会とデモ行進の光景です。数え切れないほど様々な旗が立ち並ぶ光景が好きなのです。
民主国家の住民だと思うのであれば、パスポートには菊の紋章ではなく、せめて、日の丸を、と、要求すべきだろうと思いますが、毎年何百万人もの海外渡航者からは、何の疑問も提起されていないように思います。まあ、それほどに、一般の日本人にとっては国家の象徴など、どうでもいいことであるのには違いないと思っています。日の丸も、その程度に仲間意識の象徴にすぎないと思っています。しかし、その一般の意識を利用して国旗・国歌への忠誠を強制しようとするファシストは、泳がせるわけにはいきません。スペインの女闘士だったドローレス・イバルリではないけれど「奴らを通すな」です。
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