kyottides的 喜怒哀楽 -22ページ目

kyottides的 喜怒哀楽

一年余りにわたって 開店休業状態 でしたが、そろそろ、また、あれやこれやと綴ってみようかなと思い始めています。よろしくお願いします。

 音が面白いだけで大人気になった曲を集めてみました。世代を問わずに受けて、誰もが知らず知らず口ずさんでいた、そんな曲です。「ポップコーン」はYMO(イエロー・マジック・オーケストラ)をはじめとしたテクノポップの先駆けのような曲でした。

Johnny Cymbal - Mr. Bass Man


マナ・マナ - デイヴ・ペル・シンガーズ


Muppet Show - Mahna Mahna...m HD 720p bacco... Original!


【スキャットマン】Scatman John Scatman


Hot Butter - "Popcorn" (1972)
 先日、惨めな国政と書き、今の内閣総理大臣の奇人変人ぶりは、歴史的偉人どころか歴史的ペテン師として評されることになるだろうという話をしました。

 昨日の「総会」は、ある意味、今の日本を象徴したイベントだったと思います。

 株式会社の株主総会というのは、それを主催する役員会の総意を反映するものであって、株主のための民主主義の場ではありません。出資者の金額に応じてその利益のために行動するのが役員会であり、少額の株主が経営上の問題について何をわめこうが騒ごうが、過半数の株主の意向と利益に沿ってさえいればいいのです。
 ですから、株主総会というのは、役員会にとっては、また、大株主にとっては、総会の前にあらかじめ結論が用意されていなければなりません。というのも、経営の安定性とか継続性という会社の存亡に関わる問題がいちいち揺らぐようでは大金を出資している大株主にとって元も子もなくなってしまうからです。

 30年ほど前、資本の自由化が進んで以降、M&A(合併および買収)が活発になり、大株主とその意向を反映する経営陣にとっては会社の奪い合いという闘いがクローズアップされることとなりました。それだけに、株主総会は、事前のシナリオ作りが大切になり、役員会が提案する議題を通すためにあらかじめ株主の多数派を確保しておくことに特に神経を使うこととなりました。
 株主総会に何千人出席しようとも、あらかじめ用意されている結論が揺らぐことがあってはならないわけです。それこそが、役員会にとっては、大株主のために死守すべき使命なのです。

 その意味で、きのうの東京電力の株主総会は、次の役員人事も経営方針も無事に通したことで、役員会が使命を全うしたことになります。彼らは、第一生命をはじめとした大株主のために、きちんと働いたわけです。

 以前は、公害企業との闘いの戦術として「一株株主運動」という方法を取る人々がいましたが、それによって公害企業の経営に影響を与えることができたわけではなく、せいぜいニュースに取り上げられて、話題を提供することで世論に働きかける効果しか得られませんでした。今回の東電の株主総会でも、確かにニュースになるという効果はあったと思いますが、これによって東電の姿勢が変わるわけでもなんでもないこともまた、明らかになったと思います。
 「一株株主運動」は、無駄だとまでは言いませんが、勝ち取ることができる効果は、せいぜい一過性の世論喚起くらいだろうと思っています。あまり大きな期待はしない方がいいように思っています。

 株主総会に広範な株主の意向を反映させるためには、つまり、株主総会を民主化するためには、所有できる株式の上限を大幅に引き下げることでしょう。例えば、株式会社として成立するためには、株式所有は発行済み株式の5%までしか認めない、というくらいに支配権を制限するような制度にしなければならないでしょう。しかし、そうなれば、経営の継続性は失われ、看板や暖簾(のれん)は、全く意味を持たなくなって、ブランド・ロイヤリティは失われることになります。しかし、また、逆に、株式を持ち合うグループ企業を細分化することになって、例えば三菱系列とか三井系列、住友系列など、株式持ち合いによる系列化が深まることになるかもしれません。(三菱重工の株を三菱グループの11社で持ち合えば、5%ずつで55%という過半数の株式所有になるという具合に、です。)そういう株式の持ち合いは連結決算の厳格化などを通じて歯止めがかかるようになってはいますが、カムフラージュのアイデアはいくらでも生まれてきます。
 つまり、株式会社にとっては、その運営に民主主義を持ち込もうとするのは企業破壊につながる誤りであり、配当という利益を得るために出資した大株主の意向に沿うことこそが目的であり、最大の任務なのです。制度をどのように改変しようとも株式会社という仕組みは、表向きの「不特定多数の出資による不特定多数のための社会的利益を実現する組織」では、ありえなくなっているわけです。

 というわけで、東京電力は、小口の株主の言い分などはねじ伏せてでも、大株主の意向に沿った役員人事・経営方針を通したのですから、なにはともあれ、役員会は任務を全うしました。

 これに対して民主党の両院議員「総会」とは、何だったのでしょうか。
 組織のトップが途中退席する総会などというものは、見たことも聞いたこともありません。
 普通、総会という場合、その組織の全方針について審議する最高決定機関であるはずで、役員会(株式会社の経営陣、政党、労働組合その他の諸団体の執行委員会)が総会に議題を提案し決定する場であるはずです。それにもかかわらず、トップが「公務」を理由に途中退席するというのは、総会という形式を理解していないか軽視しているかのどちらかでしょう。つまり、民主党の衆参両院の議員たちは、管直人によってコケにされた、ということです。
 自らごり押ししようとしているエネルギー政策は「次の国政選挙の争点」と言ってのけるあたり、(今やったら負けるに決まっている)解散・総選挙をチラつかせるなどとは、管直人にとって自らの民主党の議員、代議士たちは、脅して黙らせる相手のようです。で、言いたいことだけ言って、途中退席した「総会」でした。これでは総会の体をなさないのは誰が見ても明白でしょう。議員の総意としての「総会」決定など、彼にとっては、はじめから仰ぐ必要もない、そういうわけです。

 自民党議員を一本釣りで内閣に入閣させて、与野党間の信義もへったくれもない暴走を始めるなど、やっていることは身内からも見放されるような自分で自分の首を絞めるようなことをしておいて「歴史の審判は、いずれ、評価が下る」などと、自らの正当性をうそぶく神経には、普通の人間関係はもはや考えられない事態だと言えます。ラスプーチンにすがったニコライ二世のような狂気としか言いようがない挙に出ていると思います。

 というか、やっぱり、民主党という政党は、政党の体をなさない「理念なき野合集団」であったことが明白になったと思います。

 組織運営のイロハも、民主主義のイロハも知らず、その暴走に歯止めをかける方策も持たない民主党。これが、今の日本の民主主義の辿り着いた一つの形です。日本国民の民主感覚とは、つまり、こういうバカどもを泳がせる民主感覚なのでした。思い起こせば、ポピュリスト・河村隆、ファシスト・橋下徹、大ファシスト・石原慎太郎を選ぶほどに、とっても民主的な人々の感覚なのでした。 ああ、ニッポン人よ、誉れあれ!! あのNHKの朝ドラ「おひさま」の戦時下の光景の再現をこそ、望んでいるのが、いまの日本国民の「総意」なのです。
 あのファシズムの時代も、今の惨めな政治の時代も、指導部は皆、「我が亡き後に洪水は来たれ」(ポンパドール夫人)という自分さえ良ければいい態度に終始している、そんな共通点が思い起こされます。ポンパドール夫人の次の世代にはフランス革命が勃発してマリー・アントワネットが断頭台の露と消えました。

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 週末のテレビで印象に残ったことです。

 ★ NHK ★
 「ためしてガッテン」とか「鶴瓶の家族にカンパイ」でおなじみの小野文恵アナウンサーが苦手分野と言っているニュースにチャレンジするという触れ込みで始まった「ニュース深読み」という特集番組でのこと。
 今回は、あのお騒がせ社長、奥谷禮子を出演者に選んでいました。この一点だけで、NHKの姿勢が露骨に表れていたし、公共放送としてはあるまじき態度だと思いました。
 NHKは、この女を度々、登場させていますが、この一貫した姿勢によって、奥谷を支持し、激励していることを示しています。

 奥谷禮子の有名な持論は「過労死などというものは、本人の自己責任の問題」であり、「労働基準監督署など必要ない」です。「ハケンの品格」や今放送中の「下流の宴」で知られる脚本家・中園ミホとは犬猿の仲というか、水と油の関係です。
 この奥谷は人材派遣会社を立ち上げてその上前をピンはねしている会社の社長ですが、財界の労務担当団体と言われる経済同友会で初めての女性メンバーの一人であり、これを以って政府関係の様々な諮問委員会などに委員として選ばれるなど、タカ派経営者としての発言を積み重ねています。経済同友会にしてみれば、末端の労働者を男女問わず「甘え」だとか「無能」だと切り捨てたり脅したりしながら、悔しかったら這い上がってこいと言わんばかりのタカ派ぶりを発揮するのですから、頑固で分からず屋に見えるジイサマたちに同じことを言わせるよりもはるかに使いやすいスピーカーなのです。
 しかし、その突出したタカ派ぶりは、国会でもしばしば問題になったほどです。特に死者に鞭打つ「過労死は本人の自己責任」とか、労働基準法にもそぐわない「労基署などいらない」などの挑戦的な発言で、国民の基本的権利さえ否定する憲法無視の感覚・態度で国会相手にいくつもの軋轢(あつれき)を生んできました。

 NHKは、こんな女を出演者として使い続けることで、この女への支持を表明しているわけです。「みなさまのNHK」が聞いて呆れます。基本的人権を否定するような女を支持するのがNHK、そういうことなのです。

 ★ テレビ朝日 ★
 日曜日の昼下がり、プロ野球の中継をしていたテレビ朝日で流れていたコマーシャルは、「アイフル」「プロミス」「アコム」でした。
 サラ金(サラリーマン金融=無担保と引き換えに異常な高金利を課す貸金業)大手の面々です。

 テレ朝にとっては、サラ金各社は、メガバンクの傘下に入った会社でもあるし、上場企業だし、立派に社会的使命を担っている存在のようです。

 しかし、サラ金相手にも暴力団相手にも一歩もひるまず闘い続けている細くて小柄な宇都宮健児弁護士をはじめ、多くの人々が問題視しているのが、サラ金が今の貧困ビジネスを生んだと言われるほど貧困と格差拡大の元凶だという社会問題です。
 遊ぶ金欲しさにサラ金という高利貸に頼ったという事例は、実はそんなに多くはなく、むしろ、住宅ローン、教育ローンなどを抱えた一般家庭の人々が、ワーキング・プアとか病気などを通じて収入が不安定になって「家計の足し」にと、やむなく借りるケースが少なくないと言います。そうした人々が陥るのが貧困の悪循環であり、経済格差の拡大の泥沼です。
 その金利の高さから、多くの自己破産者を生み、しかも、実は、グレーゾーンと呼ばれた高金利によって違法な収益を上げる「悪意の受益者」としての評価がいくつもの最高裁判例でも定着した業界でもあります。(その違法な収益を、借金を払い過ぎた「債務者」に返還せよ、という判決が相次いで、武富士などは倒産に追い込まれています。しかも、武富士のオーナー一家は1000億円をも超える私腹を肥やし、その財産が最高裁によって保全されてしまい、国に対して取り過ぎた相続税を返せとまで、命令を出しました。その額も数百億円にものぼります。)

 アイフルもプロミスもアコムもまた、違法な収益をため込んできた「悪意の受益者」たちであるとして、今、「過払金返還請求」という元・顧客たちからの逆襲に遭い、取り過ぎたカネを返さなくてはならない事態に追い込まれています。

 今では、借金返済の手助けをすると称して法律事務所や行政書士事務所の宣伝が盛んですが、先の宇都宮弁護士などは「宣伝が派手な事務所ほど怪しい」と警戒を呼び掛けています。というのも、サラ金相手に過払金返還の交渉や訴訟をまともに行なわず、適当な金額で和解してしまったり、法外な弁護士料や手数料を取るケースが少なくないからです。金利計算をやり直してみても債務が残っている人は客とも思わず、本人の生活再建の面倒などはみることはありません。

 サラ金にしても悪徳法律家にしても、困窮者を助けるふりをしながら実は食い物にして最後は破産とか自殺、犯罪などに追い込む貧困ビジネスであり、社会的には、あだ花とも呼ぶべき存在だと言えるでしょう。つまり、消滅させるべきビジネスだと言えるでしょう。

 さて、他の民放に比べて、テレビ朝日は、こういうサラ金のCMが際立って多いように思います。CMを流すカネがあったら決算書にも明記せざるを得なくなっている「過払金返還引当金」に回せ、と言いたくなります。テレ朝はそういう時代、そういう世の中に対して、サラ金のお友達でい続けるつもりなのでしょうか。

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 36度台と言えばヒトの体温のことじゃないか、と思うほどですが、夏至の今日は、前橋、伊勢崎、館林など群馬県内各地でこんな笑ってしまうほどの気温を記録しました。
 こんな日は、出来るだけ爽やかな曲で涼を取れないか、と選んでみました。

唱歌・夏の思い出 "NATSUNOOMOIDE"


唱歌 ・ 椰子の実 "YASHINOMI"


浜辺の歌 / 倍賞千恵子


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 いまや人格まで疑われ、過去の不倫騒動(結婚相手も不倫相手も従姉妹という付き合いの狭さ)から息子の行状(ろくな社会人生活を送ったこともないのに税金でメシを喰う政策秘書とかになってることなど)まで論う(あげつらう)者たちが喧しい(かまびすしい)昨今の総理大臣ですが、なぜか、本人にとっては辞任要求の嵐などどこ吹く風で元気いっぱいらしいです。この神経には、さすがに、身内の民主党の幹部や議員・党員たちも唖然とするばかりのようです。

 その彼がドサクサ紛れに強行しようとしているのが「2015年までに消費税10%への引き上げ」です。税と社会福祉構造の抜本改革という政策をごり押ししようとしています。民主党内からも「不景気の時に冷や水を浴びせるようなもの」と反発が生まれているにもかかわらず、内閣提案としてこの増税案を国会に提出しようとしています。

 孫正義の自然エネルギー普及の取り組みに便乗したり、税と社会福祉構造の抜本改革と称する増税を強行しようとしたり、ある意味、開き直りというか破れかぶれになってでも、自分の「功績」を残したくてたまらないという「土俵際の粘り腰」(孫社長)で、暴走を始めているように思います。

 自分こそが正しいのだと思い込む人物というのは、例えば、織田信長とかナポレオン・ボナパルトのように、奇人変人と言われながらも、長い歴史の目で見れば卓越した先見の明があったと評されることがあります。今の管直人は、そういう奇人変人を気取っているのかもしれません。
 しかし、彼の政策というのは、信長やナポレオンのように我が身の危険を顧みずに人生をかけて実現しようとした未来社会の青写真があるわけではありません。その場しのぎの人気取りに終始してきたことは、過去の経歴でも今の政策でもはっきりしています。彼の「思いつき発言」に振り回されてきた例は枚挙にいとまがありません。
 (長い歴史的なビジョンを語るなら、公明党=創価学会の「王仏冥合(おうふつみょうごう)」とか共産党の「民族民主統一戦線から社会主義へ」くらいの展望がないと話になりません。わたし自身は民族民主統一戦線派です。)
 従って、管直人の場合は歴史に残る奇人変人であるよりは、末期のロシア皇帝に寄生したインチキ宗教家、ラスプーチンに例えるのがふさわしいでしょう。この奇人の最期は、殺されてドブに捨てられた姿で発見されました。国民にとって災いをもたらしこそすれ、何の功績と呼べるものも残さなかった、恐るべきペテン師の「怪僧」でした。

 この管直人を引きずり降ろすには、内閣不信任案が否決され、同じ会期の国会では不信任案の二度目の提出はムリという慣例によれば、あとは、大臣たちが次々と辞任することでしょう。総理大臣の指揮下にいるもろもろの大臣が「もう、ついていけません」と辞任していけば、内閣は崩壊することになります。また、与党の民主党でも幹部が辞任すれば、管直人は、党も内閣も動かせなくなります。
 内閣のナンバーツーにいる枝野、民主党のナンバーツーにいる岡田、この二人がどう動くか、これからが見ものです。あの二人は管直人と心中するつもりなのか、自らの政治生命を守ろうとケツをまくるつもりなのか。振り返ってみれば、前原がさっさと外相を辞任したのは、先の先を読んでのことだったかもしれません。とはいえ、いずれにしても、民主党内で、また、その民主党の内閣で、水面下の動きがあるとすれば、それは、どれをとっても各人の保身のための「自己都合」にすぎないことには違いありません。だとしても、自民党あたりは、大臣辞任、党幹部辞任の動きが出れは、「救国の志」と絶賛するでしょうし、御用メディアにも持ち上げられて、本人の政治生命は光り輝くことになります。

 これほどに日本の国政が惨めな内容になってしまったことは、たぶん、戦後初めてのことだろうと思います。つまり、党利党略よりももっと個人的な個利・個略というレベルの政治になってしまったのは初めてでしょう。
 しかし同時に、国民各層に国政への怒りを通じて国政への関心が高まったのも、あの60年安保の時以来のことだろうと思います。60年安保の時は右か左かの対決でした。今の対決は、右・左に関わらず「世のため人のため」なのかどうかとなっている点に国政の迷走の惨めさが浮かび上がります。今でも、支持政党なし、という人々が最大多数ですが、だからと言って政治的無関心を装う人々は減って、政治に怒りを覚える人々が増えていることが、これまでの世論との違いであることを知るべきでしょう。

怪僧ラスプーチン - ボニーM Rasputin - Boney M


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朝日新聞社が滋賀県警に写真提供 大津の殺人で作成のチラシに

 殺人事件の解決のために新聞社が警察に協力することに何の問題があるだろうか。
 そう思う人もいるかもしれません。

 しかし、わたしなどは、警察と新聞との関係がここまで来たのかという驚きを感じました。新聞の使命と言えば、権力の監視役としての「社会の木鐸(ぼくたく)」という存在だったのではないのか、何を好き好んで権力の協力者になんかなるのか、と。

 よくある例で、誘拐事件の際の報道協定というのがあります。事件が解決するか公開せざるを得ない状況になるまでは報道各社は事件に触れないようにする、という自主規制です。
 この場合は、事件にかかわった被害者の人命がかかっていて、危険な事態に陥るのを避けるため、という人道上の理由があって自主規制がふさわしいと、警察・報道の双方の考えが一致するから実施されるのでしょう。

 では、殺人事件の被疑者の写真について、新聞が警察に協力するという事態は、どう考えたらいいでしょうか。
 誘拐事件の報道協定のように、人命にかかわる事態だから協力した、というわけではないでしょう。
 それに、被疑者はあくまでも被疑者であって、もしかしたら、警察の捜査に誤りがあるかもしれません。証拠調べ等を通じて起訴して裁判にかけるべき人物かどうかは、あくまでも警察だけが判断している段階にすぎません。また、被疑者逮捕の上、事件が警察から検察に送られて、その人物が起訴されても有罪になるとは限りません。( とくに、かつてのえん罪事件の再審で無罪判決が出る事例が相次いでいるだけに、警察の捜査に対しては、監視の目を強める必要も意識されるようになっていると思います。 )
 例え、いかに、被疑者が犯人に間違いないと、誰もが思うような状況が生まれていたとしても、最終的には裁判所の判断に委ねる(ゆだねる)べきことには違いありません。捜査する警察や起訴するかどうかを決める検察の言い分を鵜呑みにしてしまうわけにはいかないわけです。
 朝日新聞が、こういう段階で警察に協力したということは、従って、権力を監視する役割を忘れて、権力の協力者になってしまったことを意味します。つまり、朝日は「権力の犬」になり下がった、そういうことなのです。
 やっぱり、御用メディアなのだ、市民・人民のための報道機関などではないのだ、そういうことになるわけです。

 この事例の報道が大きく扱われるのは、そういう性格を持つ事例だからです。
 事件解決のためと称して警察に協力するのは、被害者の人命や名誉にかかわる事例以外は、報道機関は絶対にやってはいけないことなのだと、わたしは思っています。
 警察が言ったりやったりすることに対しては、あくまでも、徹底的に「ホントにそうなのか?」と疑い続けることこそが報道機関の役割でしょう。

 「ミイラ取りがミイラになる」という話はよくあることで、暴力団の取り締まりの任務についていた刑事が暴力団の懐柔に負けて捜査情報を漏らす密告者になったり、薬物の取り締まりに当たっていた刑事がヤクチュウになってしまったり、取り締まるべき相手に取り込まれてしまう例があります。同じように、刑事と記者とが馴れ合ったり恋愛関係(千葉県警の刑事とNHKの女性記者とが不倫関係になってしまった例などがありました)になってしまうなど、警察と報道の間にも、立場を忘れた無自覚な堕落はいくつも生まれています。

 しかし、警察と報道とが利害が一致するような事態になるとしたら、つまり、報道が完全に御用メディアになってしまうとしたら、日本が帝国主義だった明治憲法時代への逆戻りであり、ナチス時代のドイツ、フランコ独裁時代のスペイン、そしてアメリカ帝国主義が支持し続けた北アフリカ・中東諸国、さらには、言論統制の中華人民共和国と同じことになってしまうわけです。

 警察に嫌われてこそ新聞記者だ、政府に嫌われてこそ新聞記者だ、そういう気概は、いつの間に忘れ去られてしまったのでしょうか。

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 井上陽水の曲は、メロディも歌詞も不思議な歌が多いのですが、なぜか、耳になじみやすく、不思議な歌詞も不思議に感じないという不思議さを持っていますね。
 梅雨のうっとおしさを感じる日々、きょうは、そんな中からいくつか選んでみました。
 “YOUSUI TRIBUTE”というアルバムは、10人くらいの有名なミュージシャンが陽水の歌をそれぞれのアレンジで歌ったもので、力作だったと思います。そんな中で、自分なりに、最も印象に残ったのは、ELTの持田香織が歌った「いつのまにか少女は」でした。ほかの人たちは、自分らしさを出していたのですが、この歌だけは、それまでの彼女とは全く違った雰囲気を引き出した作品になったと思います。

井上陽水 傘がない


奥田民生 リバーサイド ホテル
一青 窈 ジェラシー


持田香織(every little thing)  いつのまにか少女は


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 皇室、とくに天皇直系の家族は、国家予算を投じて作り上げた最も模範的な家族であることが求められます。
 上品で知的で優雅で美しい所作と言葉遣いでなければらなりませんね。この家族に欠点などみじんも感じられない。そういう人々として、生まれ・育ち・生活していくわけですよね。
 国民大衆との競争などあり得ませんから受験勉強などは無関係で、入試なしで学校・大学に行くのは当然でしょう。なので国公立の学校・大学に行くわけにはいきません。今の皇太子などは、学力的には東大にも行けたんじゃないのかという風情さえありますが、「試験」されて「選抜」されるのは自らの立場と矛盾します。(いずれ民間人になる予定の娘たちは別で、秋篠宮の長女はお茶大付属に進学しましたけれど。)
 また、万が一、誰かさんではないけれど、学生時代は「おんなに手が早かった」などというやんちゃぶりなどウワサされようものなら、完全にもみ消さなければなりません。国家予算(皇室予算)を投じて。
 今の天皇夫婦もその子どもたち夫婦も、帝国主義時代の戦争責任というダーティさは全くないし、常に冷静だし、常に被災地訪問に情熱的だし、申し分ないと言えるでしょう。宮内庁の古い価値観や習慣との暗闘は見え隠れするものの、総じて時代に合った過ごし方をし、国家の象徴という悲惨な任務を全うしていると思います。(皇帝ではないのだから帝王学を修めるべく親から引き離されるわけではなく、自らの家庭で子育てをするという習慣を勝ち取ったように。)
 この人々を見て、うっとりするのは、まあ、当たり前と言えば当たり前ですよね。政府を挙げて、また、御用メディアを挙げて、美しいニッポンの美しい家族として、最大限に描き出しているのですから。でないと、国内でも海外でも、ニッポンの恥になってしまうのですから。(断じて、チャールズ皇太子のような有名人にしてしまうわけにはいかないわけです。)
 生身の人間を選択の余地のない人生に縛り付けるのは残酷なことのようにも思いますが、本人たちは住宅や教育などの生活設計に悩んだりローンを抱えたりするような生活の不安や苦労はないわけですし、国民の象徴にふさわしい「お手本」を演じようと使命感に燃えているのですから、まんざら不幸でもなく、それを運命として受け入れているようです。

 ところで、天皇の血筋が「一系」であるためには、Y染色体が途絶えない、という必要があります。直系の家族に男子が生まれなければ、天皇を先祖に持つ親戚の誰かのY染色体が必要になります。(従兄弟とかハトコが婿入りさせられることになります。今は天皇の次男に男の子の孫ができましたから、そんなに心配しなくてよくなったらしいですが。)
 でも、人間の染色体は、Xが二つの女子と、XとYが一つずつの男子との組み合わせで受け継がれていくわけですが、Xは合わせて三つのうちの二つまたは一つだけが生き残るため染色体としては大きく元気がいいものが継がれていくそうです。これに比べてY染色体は一貫してひとつだけが受け継がれるため、世代間の遺伝子コピーの間に段々と小さくなっても選手交代できず、遺伝子情報も少なくなってきているそうです。
 ある学者の説では、このままいけば、Y染色体はいずれ消滅するのではないか、すると、人間は女子だけになるんじゃないか、その頃には生殖医療も格段の進歩を遂げているだろうから、人間社会は女子だけで構成されることになるかもしれない、らしいです。それに、哺乳類全体にY染色体の貧弱化の傾向にあるそうです。
 ホモ・サピエンスという人間が誕生してから20万~25万年くらいですから、Y染色体が消滅するには、百万年とか何十万年とか、かかりそうですけど。
 まあ、万世一系の血統は、いずれ、消滅するかも、ですね。たぶん、Y染色体の消滅よりは遥かに近い将来でしょうけれど。

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 前回にも1曲選んだローリング・ストーンズは中学、高校のころに熱中して楽しんだグループの一つでしたが、自分でレコードを買ったのは確か「キサナドゥの伝説」だったように思います。
 しかしこの曲のオリジナル版はデイブ・ディ・グループで、ストーンズの演奏はほとんど丸っきりのコピーという感じでした。それでも、ストーンズの演奏の方が迫力があるように感じていました。
 このメキシカンな色合いたっぷりのロックが日本でヒットしたのは、GS(グループ・サウンズ)の人気グループのひとつザ・ジャガーズによるものでした。「今日の一曲」というタイトルでいろんな曲を探して載せるようになったのは、このジャガーズのボーカル・岡本信さんが亡くなったことがニュースになった時がきっかけでした。ゴールデン・カップス・デイブ平尾、カーナビーツ・アイ高野、モップス・鈴木ヒロミツと、リード・ボーカルだった人々が次々と亡くなって、なんだか一つの時代が終わったように感じて懐メロ気分で始めたのが「今日の一曲」でした。

Dave Dee, Dozy, Beaky, Mick & Tich
The Legend Of Xanadu (TOTP 1968)



ザ・ジャガーズ キサナドゥーの伝説


ザ・ジャガーズ「君に会いたい」
ザ・ゴールデン・カップス 1
  
ザ・カーナビーツ 好きさ好きさ好きさ
たどりついたらいつも雨ふり


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 本人の歌よりも、カバーした人たち(とくにカーペンターズ)の方が売れたんじゃないかと思うのがレオン・ラッセルの曲です。
 “Honky tonk woman”は、ローリング・ストーンズの曲ですが、南部出身の彼の雰囲気がよく出ていると思って選んでみました。

THIS MASQUERADE / LEON RUSSELL


A SONG FOR YOU - Leon Russell & Friends (1971)


Leon Russell & Friends 1971 -Honky Tonk Woman


Rolling Stones Honky tonk woman lyric


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