kyottides的 喜怒哀楽 -16ページ目

kyottides的 喜怒哀楽

一年余りにわたって 開店休業状態 でしたが、そろそろ、また、あれやこれやと綴ってみようかなと思い始めています。よろしくお願いします。

 ちょっと手抜き、とか思いながら、今日は、今年上半期に選んだ「今日の一曲」の中から、飽きずに繰り返し再生していた曲を選んでみました。
 日本の名曲と言うのは、昇る朝日、沈む夕日に感じるようなしんみりとした気持ちが漂っているのが特徴なのか、ジワッと涙ぐみたくなります。「秋田県民歌」は、この機会に初めて知った歌でしたが、何度聴いても名曲だと思います。歌詞もメロディも。国歌だってこんな曲だったら、ジーンとするだろうなと思いました。
 ロックンロールには、二グロの歴史の悲惨さを思い浮かべてしまいます。南部USAでは、奴隷だった二グロたちにとって葬式は明るく陽気なジャズで送り出すものだったそうです。「やっと、この世の苦しみから解放されて、おめでとう」と。たぶん、苦しすぎて笑ってしまう、悲しすぎて笑ってしまうのではないか、とことん落ち込んで底が抜けてしまうと開き直って笑ってしまうしかないのではないか。そんなことを感じてしまうのです。
浜辺の歌 / 倍賞千恵子
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秋田県民歌
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Johnny B. Goode - Chuck Berry
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Long Tall Sally - 1956 "Little Richard"
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 柳ジョージさん逝去。63歳だったそうです。
 ゴールデン・カップス出身。柳ジョージとレイニーウッズの後はソロ。カッコいい一人でした。
 ご冥福を祈ります。 合掌。
YANAGI George & Rainy Wood - Weeping In The Rain

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 さっきのNHKニュース、見ました? 10時のニュース。
 国税庁発表によると、去年の法人税申告企業は276万2千社で、このうち74.8%の206万6千社が赤字で、最高だった一昨年(70%を超えたことでニュースになりました)を上回って最高記録を更新したそうです。利益をあげている企業はとうとう4社に1社となりました。その一方で、法人所得の合計額は、36兆1836億円で、4年ぶりに前年を上回ったとのこと。
 つまり、利益をあげた企業は減り、その利益の合計額は前の年よりも増えた、というのです。日本の国内では、利益と呼べるものは、はますます一層、大企業だけに集中することとなったわけです。

 これでも、大企業だけが優遇されているとは言えないでしょうか。
 これでも、法人税減税をしなければならないのでしょうか。

 日本の保守政党の諸君は、それでも、国際競争力云々という経団連の言い分を鵜呑みにして財界のご機嫌取りを続けるのでしょうか。
 「国民の生活が第一」とは、民主党の選対本部長だった小沢一郎が掲げたスローガンであり、それによって衆議院議員選挙に大勝しました。今も民主党諸君は、言葉の上では、そう言い続けています。しかし、国民大衆には所得税などの増税で大企業には減税で、年金制度についても支給年齢を後退させてもっと歳を取るまで支給しない制度に改悪しようとしています。

 これでまた、大企業はさまざまな名目の「引当金」によって257兆円からさらにまた内部留保(=社内に抱える使いみちの決まっていないカネ)を膨らませることでしょう。「一将功成り万骨枯る」世の中がヒタヒタと足音を忍ばせてくるのを感じるのは、わたしだけではないと思います。

 このニュース、腹が立ってハラが立って、仕方ありませんでした。
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 ちょっと一言の続きで、前回は「バフェット・ルール」に触れました。今回は、日本の政財界の問題について考えてみようと思います。

 先週の震災復興特別委員会や各党の党首会談では、復興のための予算の財源について議論され、与野党の攻防がありました。そんな中で、公務員官舎だの行政の出張所の建設問題など、総額でも数百億円程度の「節約」にしかならない話が多かった中で、何兆円もの規模になる税制見直しや“原発埋蔵金”をとりあげたのが共産党でした。

◆“原発埋蔵金”
 野田内閣も「見直しを検討する」と言わざるを得なかったのが“原発埋蔵金”でした。いくつかの新聞が取り上げたものの、テレビなど大半のメディアのニュースでは、この話題は黙殺しました。
 そのニュースがこちらです。⇒ “原発埋蔵金”を除染・賠償に/志位委員長提案に首相「検討」
 みんなが月々支払っている電気料金の中には、原発関連の引当金が含まれていて、その総額が4兆8000億円にも上っているというのです。その内訳が以下の通りです。
 この中でも、とくに「使用済み核燃料再処理等積立金」とは、高速増殖炉もんじゅに見られるように、あまりに危険で、諸外国でも営業運転にまでは辿り着けず断念する国々が多い核燃料リサイクル計画のための費用です。もんじゅの建設は冷却材に使用するナトリウム漏れなど、たびたびの事故で中断を繰り返し、再開のめども立っていないことから、事実上、計画はとん挫していて、この2兆円余りのカネは宙に浮いたまま使い道がない状態にあります。完成するかどうかも分からないうえ、ナトリウムのような危険性の高い素材を使わざるを得ない施設であるだけに、計画を断念して、今回の原発被害の保障や除染に使うべきだと考えてもおかしくないと思います。
 ほかの2項目も含めて、この金額全てが月々の電気料金から回されている積立金、引当金です。つまり、国民はすでに原発対策費用を支払ってきたのだと言えるわけです。その金額は、1kwh当たり78銭だそうです。一般家庭で月々300kwhくらいは消費していると思いますから、月々230円くらいが原発対策積立・引き当てに回されていることになります。(この全額を福島原発問題に回せとは言いませんが、少なくとも全国の30%以上の世帯をカバーしてきた東京電力の占めている割合は相当な額になるはずです。)

◆株の売買益で支払う税金はわずか10%
 財務省によると株式譲渡益課税の特例が実施されていて、本来なら20%のはずの税金が半額に抑えられたままになっています。もともと2009年から20%のはずだったのに特例の延長となり、今年も6月に「平成25年」までの再延長が決まってしまいました。
 しかし、6月というのは、3・11大震災の後であり、復興財源の確保が求められていた時期でもあります。その渦中にコッソリと再延長を決めてしまったのは、機関投資家、富裕層に対してあまりにも「親切」ではないでしょうか。日本の保守政党が財界に対していかに「甘やかし」を貫いているか、よく分かる事例の一つだと思います。
 国会質問では、この税率を20%に戻すことで、株式譲渡益課税は、10年間で5兆円の増収になるとの指摘がありました。
 ⇒ 復興財源の怪/みんなで負担 ?/庶民には8兆円増税 大企業は11兆円減税

◆「バフェット・ルール」と経団連
 先日も触れた「バフェット・ルール」ですが、この点についても、以下のように指摘されています。 ⇒ この違い なに?/欧米大企業トップ われらに増税を 繁栄分かち合おう/日本経団連 われらに減税を 庶民には増税
 ちなみに、9月14日発表の経団連の言い分はこちらです。 ⇒ 平成24年度税制改正に関する提言
 経団連のこの文書を読めば読むほど、むかつきます。要するに、法人にかかる税金について「純増税を行うことは絶対に容認できない」という一方で、震災復興のためには「例えば、特区制度を通じた所得税、法人税、固定資産税、都市計画税、不動産取得税、登録免許税等の減免、耐震・防災・電力供給不足対策に係る課税の特例等」と、厚かましい要求の言いたい放題です。
 地震の被害のほか、今年は台風などによっても例年にないほどの大災害が相次ぎました。それだけに被災地の復興事業は全国的な課題となっていると思います。そのために経済特区とか特例措置を設けて有効活用することは必要だろうと思います。なにしろろ、目的が目的なのですから被災地限定で検討すればいいと思います。
 しかしだからと言って、何もかも、復興名目に乗じて、企業(それも大企業)だけは優遇措置の恩恵を手放さない、というのは、あまりに都合が良すぎる言い分だろうと思います。
 ところで今までは大企業の内部留保250兆円と言われていましたが、最近は257兆円と言うようになっているらしいです。1年で7兆円も増えています。大企業の場合、経営環境が厳しくなっているとか見通し困難という言い分は、こういう数字によって覆されていると思います。

 さて、・・・。日本にはバフェットさんは、一人も生まれないのでしょうか。
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 『フォーブス』の長者番付でトップ3の常連というほどの巨額の資産を持つ投資家ウォーレン・パフェットが今年8月に「ニューヨーク・タイムズ」に寄稿した“Stop Coddling the Super-Rich”(「大金持ちの甘やかしをやめろ」)が反響を呼んで、オバマ大統領はUSA政府が実施しようと決めた富裕層に対する増税案を「バフェット・ルール」と名付けました。

 そして、この寄稿への賛同を表明する富裕層がアメリカ、ヨーロッパ各地で生まれていることが話題になっています。

 ギリシャの財政破たんに端を発した経済危機のもとで、昨日はついにデクシア(本社・ベルギー、営業拠点・フランス)の経営破たんが決まりました。政府系の銀行で、日本で言えば1990年代のバブル崩壊の際に山一証券とともに姿を消した長銀(日本長期信用銀行)のような存在です。あの頃も4大証券の一角を占めていた大企業の倒産に続いて、長銀の破綻の時も政府系の銀行だから絶対大丈夫と思っていたのに、と、驚いたものですが、今、ヨーロッパで同じような事態が起きているわけです。
 9月にウォール街で始まった「イッツ・アンフェア」の抗議運動は、その後収まるどころか拡大の一途をたどり、“We are 99%”と、若者だけではなくアメリカ各地で広範な人々が参加するようになってきました。アメリカで豊かな富を謳歌しているのは1%しかいない、我々99%の国民はみんな不公平を味わっている、と。

 ヨーロッパのデモとかストライキなどの動きは、実は、アメリカではほとんど報じられてこなかったそうです。この何年もの間、アメリカのメディアは政治情勢、国際情勢などのニュースを避け(つまり扱い時間を短くし)、娯楽番組ばかりを増やそうとしてきたらしいのです。米国愛国者法(このブログでは我々は勝利する=Venceremos=We shall overcomeで触れました)にしても、意図的な政治的無関心への誘導にしても、まるで、ヒットラー・ナチス当時のドイツのようです。
 政治的無関心はファシズムへの道と言われるように、ファシストのような権力基盤の弱い政権が意識的にそうした風潮を蔓延させたがる常道が「(バカな)大衆は浮かれさせておけ」という手法なのです。また、国民の側も暗いニュースとか政界のゴタゴタにうんざりしていて、そういう風潮を受け入れたがる気分が蔓延していることも事実で、権力はそこにつけ込んでくるわけです。(と同時に言論弾圧を強め、知らしむべからず・依よらしむべし、という愚民化政策を取り、また「愛国者」づくりに、つまり、裏を返せば「非国民」づくりによって差別意識を増大させることに血道をあげ、その果てに恐るべき絶対的な権力となってしまうのです。)

 しかし、そこに一石を投じたのがパフェットの寄稿だったと思います。その1カ月後からウォール街での集会が始まったのですから。また、昔と違うのが、インターネットという情報発信の手段を大衆が持っていることでしょう。メディアが報じなくても、無数の人たちからの情報が発信されるのですから。それが、同じような主張の運動を全米に広げたのであって、あの北アフリカ各国の民主化の時と同じように、いわば草の根の情報網が広がるのが現代の特徴でしょう。

 パフェットの寄稿の趣旨は、資本主義という社会は我々のような富裕層にとって有利な条件をつくりだし、甘やかしてきたが、こういう仕組みは間違ってはいないだろうか、富裕層はもっと税金を払って世の中に貢献すべきではないのか、だから、政府は富裕層こそ増税すべきであり、自分自身はもっと税金を払いたい思いがある、ということです。
 彼自身は、亡くなった奥さんの個人資産の大半を慈善団体に寄付したのをはじめ、自分の財産の大半も同じように寄付することにしているそうです。金額でいえば、何兆円もの寄付となる見込みです。その寄贈先の一つには、ビル・ゲイツが設立した慈善団体も含まれているそうです。(親子ほども年齢の違うバフェットとゲイツとは長年の友人だそうで、富の社会還元については、お互いに同じような考えを持っているようです。)

 さて、この日本では、この8月以来の欧米の変化は、どう伝わっているでしょうか。経団連など日本の財界は、バフェット論文に何か反応を示したでしょうか。
 ちなみに、経済専門家による解説がおすすめです。
 ⇒ エコノミスト・浜矩子
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 わたしの場合、ブログでオトコ同士のペタとかアメンバー登録とかは、なんだか気持ち悪いと思っていて、そういうつながりなら絶対に女子に限ると決めつけているのですが、ペタをくれる人の中には、もちろん、男子もいます(でも、ペタは返さないわたしなのです)。
 で、そんな人の中に、毎日ペタをくれる人がいて「この人、どういう人なんだろう」と思って、ブログを読みに行ってみました。

 切ない・・・。あまりに切ない内容に、何だか、同情してしまいました。
 まあ、随分多くの人たちが励ましてあげているようですから、わたしの出る幕でもないだろうと、ただ読んだだけで帰ってきたのですが、励ましてあげたい人がいたら、コメントしてあげてください。
 ⇒ 価値観

 ところで、わたし自身の「結婚観」とか「価値観」については、自分の経験をさらけ出す話になりますが、大学生の頃から5年付き合った人と結婚して15年目に離婚と相成りました。通算20年の付き合いだったわけで、離婚後は、「どうしてこうなっちゃったんだろう」と立ち上がれないくらい悔みながら、また、二人でやり直せる夢を見ては目を覚ますようなことも繰り返していました。夢に見なくなったのは3年くらいたってから、かな。
 二人の間に子どもはできませんでしたから、別れるときは、あっけないほどで、お互いに喧嘩らしい喧嘩にもならず、お互いが「やっぱり、もう、この辺が限界かな」という気持ちがあって、淡々とおカネを精算して無表情なまま、淡々と離婚手続きを済ませてしまいました。
 わたし(たち)の場合は、「結婚」は同志としての繋がりだったと思います。だから、お互いがそれぞれの仕事や労働組合、市民運動などに頑張ることが嬉しかったし、一緒に頑張ろう、という気持ちの夫婦でした。
 でも、40歳前後の頃、わたしが業界新聞を辞めて、出版社などの転職を繰り返すようになり、彼女もまた、潰れそうな私学の教員で、教職員組合の三役の一員などやっていることに将来性のなさに気持ちが曇りはじめ、二人ともそれぞれに自分の人生の組み立てに焦りはじめるようになりました。そういう時には、二人が夫婦でいること自体も、とても空しく感じるようになっていました。二人の間に子どもができなかったこともあって、彼女にしてもわたしにしても「家族」をつくったわけではなかったのだと思うにつけ、それぞれが自分の人生の立て直しをしたい、というような気持ちに傾いていったと思います。

 バブルの頃にもてはやされたDINKsで、二人合わせれば月々の収入は多めだったと思います。DINKs=ダブル・インカム・ノー・キッズ=夫婦の双方が正社員の収入があって、子どもがいない家庭のことで、あの頃の小金持ちのことです。服を買いに行けば二人合わせて50万くらいの買い物をしていたし、海外旅行と言えば一人当たり30万~50万くらいの旅行をしていました。(バリ島旅行は一人当たり12万円くらいでしたけれど。)
 そういう生活が崩れ始めたことも、お互いにとって、このまま夫婦でいても楽しくない、という思いにつながっていったと思います。

 なので、「結婚」って、いったい何なんだと考えてみると、今のわたしにしてみれば、家族をつくることなんだろうなぁと思います。つまり、子どもを産み育てることです。
 今暮らしているこの群馬では、親子3代、4代の大家族が少なくありません。90前後のヒイぱあちゃんと3,4歳のひ孫が同居しているウチが多いのです。まあ、一言で言えば、家族の繁栄とはこういうことなのだと思うような大家族です。何代もの親子がつつがなく健やかに暮らせることの幸せ、というようなものでしょうか。
 自分に子どもがいないから尚更そう思うのかもしれませんが、子どもが育つ姿っていうのは、面白くもあり楽しくもあり、思い切り伸び伸びと生かしてやりたい、というふうに思います。そのために あくせく、毎日働いたり子どもと一緒に風呂に入るなどもまた、楽しいのだろうと思います。
 そういう家族、一族をつくり上げていくことが「結婚」の糧なのではないかと思います。

 もちろん、夫婦となり家族となり、親族に囲まれて「価値観」のすれ違いに悩んだり挫折したりする例も少なくないと思うのですが、その際に、諦めずに家族を形成し、維持していくのは、たぶん、あの大家族のイメージがあるからだろうと思います。身近にそういう家族が何件もあるような、こういう田舎に住んでみると、3代、4代続いている家族を目の当たりにして、我慢して歳をとろう、という気になるように思います。
 歳をとった頃、ヒイじいちゃん、ヒイぱあちゃんになって縁側で日向ぼっこしながら、ちょっかいを出してくるひ孫たちの相手をする姿を見るにつけ、「家族を作り上げてきた幸せ」を感じるのだろうし、子どもたちや孫たちも夫婦や家族のいさかいは、お互い譲ってでも、ああいう、じいちゃん、ばあちゃんになりたいのだろう、と思うわけです。
 それは、たぶん、なんだかんだと言っても、孤独ではない日々を過ごすことに他ならないと思います。子育てもじいちゃん・ばあちゃんの機嫌を取ることも、いちいち煩わしく悩ましい日々だとしても、それが孤独ではないから、多少のことには目をつぶりながら、生き生きと過ごせるのだと思います。
 「価値観」が違っている夫婦だとしても、お互いにどこかで妥協しながら、ああいう年寄りになりたい、という気持ちで、決定的な亀裂には至らずに日々を過ごしたい気持ちに収まっていくのではないかと思います。

 まあ、それでも、神様・仏様を拝み続ける人と、社会の変革だっ革命だっと闘いたい人とでは、ちょっと無理かもしれませんけど。
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 今週は、大きなニュースが多くて、何から話題にしていいか困るほどでした。そんな中から、自分なりに論じてみたいと思ったことは、やはり、政治と経済をめぐる諸問題です。
 例えば、以前にも取り上げたことのある資本主義の成熟化と腐敗化の続編のような内容です。これは、アメリカでの「イッツ・アンフェア」(不公平だっ)という叫びが表面化したように資本主義大国共通の問題に関する話題なのですが、日本ではほとんど報じられていないオバマ大統領の「バフェット・ルール」と関連付けて論じてみたいのと同時に、この「バフェット・ルール」との絡みでは日本の震災復興財源の問題にもつながる話でもあると思っていて、日本の財界と保守政界の厚かましさを論じたいと思っている次第です。

 コンピュータとIT端末の大衆化の革命児、スティーブ・ジョブズについては、プロガーさんの中でも大勢の人たちが取り上げていることだし、敢えてここで話題にしなくてもいいだろうと思っています。
 ただ、個人的に最も印象に残っているのは、経営危機だったアップルにビル・ゲイツのマイクロソフトが出資して支援したことで、熾烈な闘いを演じたこの両巨頭の大局観に「さすが」と唸ったニュースでした。スティーブ・ジョブズのカリスマ性とか哲学にほれ込んでいる人は多いと思いますが、わたし自身はビル・ゲイツの器にも敬服したものでした。同じようにラフな服装でもジョブズのようにおしゃれではなく、マクドナルドのハンバーガーが朝食というダサいゲイツなのですが、WindowsXPの頃までは、市場では圧勝でした。

 小沢一郎のエセ民主主義論は噴飯ものでした。(噴飯もの=メシを吹き出してしまうほど笑えてしまうこと) 語るに落ちるとは、彼のことでしょう。田中角栄、金丸信に仕えた人物にふさわしい疑惑事件だと思っています。

 日本の国会での震災復興のための特別委員会での議論の中で、保守政党の諸君は数百億円程度の財源問題しか取り上げていなかった中、野党らしい野党は何兆円規模もの暴露を演じたことが印象的でした。
 一例をあげれば、有価証券取引税でした。欧米諸国でも20%代後半の税率だというのに本来の税率が20%だという日本は暫定税率10%の延長をこの春に決めてしまったのだそうです。これを20%に戻すだけで民主党が8.2兆円も増税しようとしている同じ10年間で5兆円にも6兆円の増収にもなるというのです。「バフェット・ルール」との絡みで論じたいのは、この不労所得についてです。
 民主党も他の保守政党も足並みをそろえて隠したがっている諸々の財源問題について話題にしたいと思うわけです。

 ということで、今回は「予告編」のようなこととなりました。この連休中にガンバッテ書いてみたいと思っています。
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 どうも変だと思うのは、日本中が「公務員バッシング」で一糸乱れず声を揃えていることです。まるで全体主義国家のようにさえ感じます。公務員宿舎を建てるカネがあったら震災被災者に回せ、というわけですが、この「世論」に足並みをそろえないと“非国民”と言われかねないほどの雰囲気なのです。
 しかし、わたしなどは、こういう風潮に一種の仕組まれた「世論操作」の匂いを感じてしまいます。
 例えれば、国鉄分割民営化が強行された頃の国鉄バッシングや戦後一貫して続けられてきた日教組バッシング、あるいは労働組合敵視のさまざまなキャンペーンなども想起しますし、尖閣諸島問題など中国での反日「官製デモ」なども含めて、「ホントにそんな風潮に乗っかっていいのか?」と疑うわけです。

 まず第一に、「公務員」とひとくくりで言っていますが、キャリア・準キャリア・ノンキャリアでまったく待遇が異なっています。一般社会ではありえないことだと思いますが、公務員の場合は、ノンキャリアの一般職員が「部長」クラスにたどりつくのが定年間近の50代ですが、キャリアは同じ「部長」クラスには30代のうちに就任します。キャリアの場合は事件・事故でもない限り、必ず30代のうちには「部長」クラスからスタートできますが、ノンキャリアの場合は定年まで勤めても「部長」クラスになれる者は限られていて、職歴(中央部署への出向歴など)とか研修歴によって選抜された者だけが昇進できるわけで、準キャリアと呼ばれるわけです。(そういえば、かつて、国鉄だった東京駅で、29歳の助役が誕生したことに驚いたこともありました。駅長に次ぐナンバーツーの役職です。20年、30年と国鉄マンを勤めあげてきた部下たちはどう思ったことだろう、と。)
 当然、月々の収入は同じ年齢でも天と地ほどの差があり、年齢を重ねるにつれてその差は広がり、生涯賃金は最低で見積もっても二倍は違うでしょう。キャリアの中でもトップクラスとなれば、ノンキャリアの何十倍もの収入になります。

 わたしが子どもだったころの親戚は自衛官だの刑務所の刑務官だの制服姿の公務員が多く、祖父は刑務官、父親は法務教官(少年院の教員)でした。(そんな制服組の親戚に囲まれた中で、わたしの兄弟と従兄弟の一人は公務員にはならず、わたしとその従兄弟の二人はいわゆる革新勢力へと向かいました。)
 父親は若いころに結核を患ってサナトリウム生活を過ごしたために、大学中退だったか高卒だったかの身分で少年院勤務となり、結婚して子ども(つまり、わたしのこと)ができて、家族ができた頃に中研(=中央研修所)の選抜に受かって半年くらい法務省の中研で過ごし、それを終了したことで準キャリアのコースに乗ったのでしょう、昇進生活が始まりました。昇進の度に転勤を伴うため、どこに行くにも官舎暮らしでした。
 しかしそれでも、大卒の職員に比べると昇進は転勤2回に1回くらいと遅々としたもので、最後の役職は院長ではなく次長でした。学校でいえば校長にまではなれず教頭で定年を迎えた、というわけです。
 普通は、転勤の内示が1月、辞令が3月、辞令から転勤先に着任までが1週間から10日くらいでしょうか。3年周期くらいで転勤となり、官舎から官舎へと渡り歩く生活でした。ウチの父親の場合は、普通の辞令サイクルではなく、欠員が生じた後の緊急事態の際の転勤が多かったため、5月とか6月に急に辞令が出て急に引っ越し、ということが少なくありませんでした。
 子どもたちにとっては新年度が始まったばかりの時に転校を繰り返すこととなりました。わたしの場合で小学校が二つ、中学も二つでした。一番下の弟は小学校を三つ転校しました。
 街なかに作るわけにもいかない職場でしたから、少年院の職員は全員が敷地内の官舎住まいでした。6畳と4畳半の二間だけで家族5人が暮らしていたこともありました。教務課長になった頃に1部屋多い官舎になりました。院長や次長になった頃には、子どもたちは家を出て大学に行ったり就職とかしていて、一番大きい官舎で4部屋もあるのに夫婦二人きり、というような寂しい住宅になっていました。
 公務員の官舎暮らしというものは、大半がこんなものでしょう。

 さて、わたし自身の体験とか、自衛官の官舎、国鉄職員の官舎などの友だちのウチなどの例を見ても、下っ端の公務員(国鉄職員も国有鉄道社員という公務員でした)はみんな、似たような貧困な住宅事情のもとで、辞令一本でアタフタと転居するような暮らしを繰り返していました。(官舎のお母さんたちの協力ぶりは鮮やかなもので、引っ越しの荷造りの手伝いから出て行く官舎の後片付けや掃除など、お互い同じ境地の人たちだから、みごとなものでした。転勤して出て行ったあとに次の新任家族が入ってくるまでに3日とかからなかったと思います。)
 公務員にとって官舎は必要なものなのか、民間人に比べて住宅の心配がないのは恵まれているのではないのか、という言い方に対しては、官舎がなければ転勤など物理的にムリだと言いたくなります。
 しかも、現在の公務員官舎の多くは1960年代に建てられたもので、50年前後の歳月が経って老朽化した建物が少なくありません。わたしが暮らした頃の木造長屋とかモルタル長屋などは、とうの昔に跡形もなくなっています。建て替えが必要な時期に差し掛かっている官舎と言えば、騒ぎになっている朝霞の官舎地域もそうでしょうが、自衛隊の練馬の官舎などもボロボロです。小平とか武蔵村山の官舎街もかなり悲惨だと思います。
 広い土地を使っていた官舎を高層アパートにすることで土地を節約する例は各地で増えています。新しい住居、高層マンションのような住居だと言っても、実態は、昔ながらの有無を言わせない転勤生活であって、何年住めるか分からない住居です。

 公務員は恵まれている、とは、どこの世界の話なのか。自分自身の経験から、そう思います。恵まれているとすれば、数々の不正行為で私腹を肥やすことができる上級職、すなわち、キャリア組だけでしょう。
 つい半年もしない頃、日本中が自衛隊賛美一色でした。震災の被災地で日夜を分かたず献身的な隊員たちは素晴らしい、と。その隊員たちの大半は練馬のボロボロの官舎とか、朝霞でも高層官舎に入れた者は幸運だったとしても下っ端の隊員は耐用年数ギリギリの官舎住まいです。
 自衛隊を賛美するのもお笑い草でしたが、公務員官舎を敵視するのもまた、お笑い草です。
 公務員叩きをするなら、下っ端の職員ではなく、不正と腐敗にまみれたキャリア層に狙いを定めるべきだろう、わたしは、そう思います。
 意図的に「公務員」全体をひとくくりにしてバッシングするのは、労働者(勤労者)が労働者(勤労者)を敵視するキャンペーン、同じ勤労者の分断のためのキャンペーンだと思えてなりません。
 だから、テレビに登場するキャスターやらコメンテーター諸君の「公務員に対する怒り」に対しては、却って、キャスター、コメンテーターに対して“お前らいい加減にしろよっ”と言いたくなるのです。

コメンテーターなどのバカどもが引き合いに出すのが「民間の生活の苦しさが分かっているのか」という訳知り顔の言い分です。わたしは、だから、そんな連中に言いたい。民間の労働組合を骨抜きにしてきたのは誰なのか、と。民間の生活水準が低いのだとすれば、それは、連合のような御用組合のせいだろう、と。闘う労働組合を狙い撃ちしてきたのが日本の保守政界と財界だろう、と。公務員を「わざと」いっしょくたにして敵視する悪意が見え透いているではないか。民間も公務員も、生活水準をもっともっと引き下げろ、というのだから。そのためにバッシングをしているのだから。

 公務員の賃金で景気に左右されるのは下っ端の低賃金の職員です。経済情勢の後追いの形で賃金が決められるため、好況の時には民間より低い賃金で、不況の時には「優遇だ」と非難されるわけです。みんなが浮かれている頃にはおすそ分けにあずかることができず、みんなが不遇をかこつ頃には、目のかたきにされるわけです。民間の賃金が上がり続けたバブルの頃も、民間賃金が下がり続けたこの20年も、公務員の賃金は人より遅れて上下したのでした。これに対して、上級職のキャリア公務員は、そんなこと、知ったことではなく、景気とは無関係に高収入の恩恵に浴しています。30代の部長クラスが、です。審議官、局長、事務次官クラスともなれば、天下りでの甘い汁も含めて、ノンキャリアの何十倍もの生涯賃金となります。
 「民間の生活の苦しさ」を引き合いに出すのであれば、不安定雇用層を大量に生みだして賃金や年休などの労働条件全体の水準を引き下げるように仕向けたのは誰だったのか、それを「公務員の優遇だ」などとお門違いの方向で勤労者同士をいがみ合わせようとしてきたのは誰なのか。その正体を突き詰めることこそが必要なのではないのか。
 権力はいつの時代も、どこの世界でも、下の者同士をいがみ合わせることで、自らの権力の安泰を図ってきた。今の日本で言えば、その張本人が財界なのだ。そんなことにも気づかないのが、バカなコメンテーターどもなのだ。むしろ、ことの本質を覆い隠すためにバカなコメントを繰り返すのが彼らにとっての使命なのだ。わたしは、そう思うのです。

 事業仕分でいったん凍結した後に「やっぱり建て直さなければ」と民主党内閣に言わせたほど公務員住宅は悲惨な状態にあるにもかかわらず、とくに自衛隊官舎が多い朝霞での今回の騒ぎになって「公務員優遇」だなどと騒ぐ現状を見るにつけ、アホらしくなります。被災地では自衛隊さんありがとう、朝霞では官舎なんか認めない、なのですから。隊員とその家族の戸惑いはどんなものなのでしょうか。
 ちなみに、朝霞基地にはとてもきれいな高層アパートの官舎が2棟建っています。上層階ほど広い間取りで、上級職の隊員家族が住んでいます。で、そのすぐ眼下には、耐用年数ギリギリのボロボロの官舎も並んでいます。そこには独身者とか新婚の年若い隊員が住んでいます。

 公務員を狙い撃ちするなら、「経営責任」「管理・監督責任」のあるキャリア層こそあぶり出して吊るし上げるべきでしょう。それに、公務員バッシングの狙いは、公務員労組の解体=労働者の無力化を狙ったものであって、いずれは、民間企業の従業員にとっても、より一層の労働条件の悪化をもたらすものであることを、よお~く考えておくべきでしょう。
 「民間の苦しさが分かっているのかっ!」とエラソーな口ぶりで吠えている者どもが、実は、その民間の苦しさをさらに一層助長させ、蔓延させる先導役なのだということは、よく覚えておいてほしいと思います。
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 今日のように涼しいというよりも寒いくらいだと、これからは鍋の季節だなぁと思います。
 それで連想したのが「○○胃散」というのも変ですけど・・・。

ショパン/24の前奏曲集 第15番「雨だれ」


ショパン/24の前奏曲 第7番

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「この国は東電OLになった」北原みのり氏が語る、女性のセックス観の変遷

 「東電OL」の例を引いたのはまずかったですねぇ。そう思いました。というのも、女性のセックス観の変遷とは全く違う性格の問題があるのだから。
 この渋谷で殺害された東電OLについては、売春に走っていたキャリアOLという扱いでセンセーショナルに報じられましたが、謀殺(謀略による殺害)説が根深くささやかれ続けています。
 彼女の父親が東電の技術職から上がった幹部であり、原発推進のための理論家だったけれど、安全確保の問題から原発慎重派となり、遂には原発反対という立場に立ったために幹部から追放されました。その娘だったのが殺害されたOLで、父親と同じ意見を持って東電内で原発反対に動こうとしていたところ、会社に睨まれて仕事を干され病的な状態に追い込まれたと言われています。
 この娘が一般職であれば東電もさしたる影響力は心配しなかったと思いますが、総合職のキャリア女性だったために父親の意を汲もうとしたことに警戒を強めていたのでしょう。その彼女がマスコミと繋がりそうだという局面になって、内部告発の矢先の段階で、ついに・・・。という経緯から謀殺説が消えないわけです。
 うつ状態に追い込まれたこと、ガリガリにやせ細った状態での“売春”など病的な行為に走ったこと等々、東電に仕組まれた「緩やかな殺人」だったと言われ、遂には謀略的に殺害されたのだ、というわけです。

 巨大な政治権力とか巨大な企業にとっては、殺人など何でもない業務の一つにすぎない、という感覚かもしれません。
 よく言われる例が、銀行の融資係の30代の若造やせいぜい40代のその上司に土下座するオヤジほども年上の中小企業の社長がクビをくくるという悲惨な事例です。「貸し渋り」「貸しはがし」で、経営が行き詰まることを承知で若い融資係はオヤジ世代を殺すわけです。“不良債権”をつくらずに済んだということで融資係は会社に褒められ、客を平然と殺すことが業績になる、それが銀行業界です。
 しかし、銀行のやっていることなど可愛いもので、もっと巨大な謀殺、暗殺も平然とできるのが権力中枢につながった政界、財界でしょう。なにしろ、武器を売って稼ぎたくてウズウズしているほどだし、根拠もなく「安全神話」をふりまいて巨額プロジェクト(大規模な商売)になる原発を作ってきた勢力なのですから。戦争での人殺しの数に比べたら、謀殺・暗殺など、ものの数のうちにも入らないのでしょう。
 東電OL殺害事件は、ですから、20年ほど前に東電内部から起こり始めた原発への疑問・反対を封じ込める謀略事件だった。と、考えてもおかしくない不可解な事柄が多すぎる事件なのでした。
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