今日は、超・長文になりました。 総理大臣の野田は、民主党内の反対の声の多さに一時たじろいだものの、TPPへの参加に一歩踏み出す意思に変わりがないことを表明し、とうとう、動き出すことに決めてしまいました。
このTPPについて言えることは、USAの言い分、つまり、USAの資本の言い分をオウム返しに自らの言い分だと強弁する者は、USAに洗脳されちゃっているわけですから、そのまま「売国奴」の名が当てはまる性格の者どもである、ということです。それは、日・米ともに、資本の言い分である点で共通していて、両国の資本にとっては、自由競争という弱肉強食のもとで自らが勝者になれるものと信じての主張です。
◆真実を知らせないための「分厚い中間層」というウソ◆ さて、今の民主党執行部は、内閣の総理大臣・野田、与党民主党の政調会長・前原をはじめ、松下幸之助が創設した松下政経塾の出身者が中心メンバーです。松下幸之助は昔のNHKインタビューで「これからは資本主義だの社会主義だのという対立ではなく、その両方のいいところを採り入れた社会になっていくと思います」と語っていました。これは、資本主義の仕組みのもとで「分厚い中間層」(国会演説、記者会見などでの野田の発言)を生みだしていくことで大多数の人間の繁栄を享受できるという考え方ですが、松下でなくとも、社会なんとかグループの考え方と同じように、
修正資本主義と呼ばれる古臭い発想です。
「分厚い中間層」という言葉は、人々に期待を持たせようとする一方で、じつは、貧困層の存在も避けられない、という意味でもあります。
修正資本主義などというものは、USAやUK(ユナイテッド・キングダム=英国連邦)の失業者の多さや極貧層の増大という事実によって、それが幻想であったことが明らかになっていますし、今の問題になっているギリシャのように、ゴマカシの繁栄のツケが回ってくるような社会民主主義者の日和見路線が行き詰まったことによっても、理論的にも実践的にも破綻をきたしています。
結局のところ、「修正」を施そうとしてみても成功することはなく、最後には資本主義を守ること、これしか残らないのが、これまでの修正資本主義の立場であって、とどのつまり、政治的に最も強硬な保守政治とならざるを得ないのが実態です。
野田の言う「分厚い中間層」とは、そういう政治の保守化をごまかすための幻想を振りまこうという方便にすぎません。実際には、英米並みの高い失業率を生むこととなるでしょう。
既に、戦後の制度創設以来最高を記録する200万人余りの人たちが生活保護を受けていて、中には就労に問題のない若い世代も増えていることも明らかになっており、労働意欲の救い難い後退という現象も生まれています。TPPによって今よりももっと露骨な「自由」貿易、「自由」競争が広まれば、この現象はさらに拡大することは目に見えています。
◆真実を知らせたがらない民主党の非民主的宿命◆ だからこそ、野田内閣はTPPについて多くを語ろうとはしないのです。文学的、情緒的な表現に逃げ込むばかり、と野党からも非難されているように、TPP協定によってどのような取り決めが行なわれることになるのか、具体的な見通しはできるだけ伏せようとしてきました。
民主党に言わせると、「自分の手の内を相手国に知られてしまうと交渉にならなくなるから」だそうです。
しかし、ここで思い出すのは、3月の福島原発事故の際の民主党・管内閣の対応です。
空気中の放射性物質は「ただちに人体に影響を及ぼすことはない」とか、海中に放出された放射性物質の汚染水もまた「広い海で拡散されて濃度が薄まる」など、テキトーな説明ばかりを繰り返してきました。ところが、月日がたつにつれて、汚染物質の影響は風の向きや雨によって深刻な広がりを伴っていたことが暴露され、海中の汚染水も拡散どころか滞留していることが明らかになり、また、住民避難の方針や人体への影響の予防措置、また、事故対応のさまざまな局面での指示のまずさも浮かび上がってきました。
管直人は「自分の責任だから」と総理大臣の地位に固執し、圧倒的多数の国民は「管内閣だから責任が果たせない」と主張し、国会内外で話がかみ合わない事態が延々と続きました。
野田内閣もまた、同じ
民主党という名の戦後の政党の中でも最も民主主義に反する政党による内閣です。
国民に真実を知らせない、政治的課題に対してまともな対応ができない、という体質を宿命的に背負っているのは、間違いありません。というのも、鳩山、管の時にもそうでしたが、民主党内閣に決定的に欠如しているのが情報力と判断力だからです。
例えば、日中・日露・日米をはじめとした外交関係でも、水面下の交渉力を持ったパイプ、つまり、人脈とか情報網の欠如をさらけ出したことが、それぞれ、相手国を図に乗らせる弱点となったように、民主党には情報のパイプがないことが致命的な欠陥となっています。
また、鳩山の「CO2の20%削減」「普天間は国外、最低でも県外」とか、管の「原発に依存しない社会」など、党内論議もないままにトップが唐突に宣言してしまったあとで、その根拠と見通しを追及されるとテキトーな答弁に終始したように、思いつきと言わざるを得ない無責任な態度に終始してきたのもまた、民主党です。一つの政党としての意思統一もないままにトップの発言で党内が右往左往すること自体、全く民主の名に値しない非民主的な体質であることをさらけ出しています。今回のTPPをめぐる党内騒動もまた、同じ姿を演じてしまっているみっともない政党です。
情報力の欠如、判断力の欠如、この二つは、野田内閣でもまた、致命的な欠陥となり始めています。
こういう事実の経緯そのものから考えるだけでも、野田内閣が内実を伏せようとしてきたTPPの本質というものは、彼らができるだけ国民に知らせたくないことだらけであることが容易に想像できます。あの言い古された「ただちに影響することはない」と、ウンザリするほど聞かされることになりそうです。
◆自由主義の系譜=規制緩和の際限のない拡大◆ 最近、再び、ものすごい美人の太田弘子がテレビに出る機会が増えました。TPP推進派の論客としての出演です。
彼女は、小泉内閣以降の自民党内閣で民間人閣僚として何度も登用された経済学者です。その主張は、小泉内閣時代の民間人閣僚だった慶応大学の竹中平蔵(のちに国会議員にもなりました)の主張をそのまま受け継いだような内容です。
小泉純一郎の長期政権のもとで規制緩和を推し進めたブレーンが大蔵大臣・竹中でした。自由主義経済の信奉者で、民間経済の競争原理を社会全体の原則にしようとして、不安定雇用層の拡大を促し、高齢者医療の負担増加や、「障害者自立支援」の名で障害者福祉の切り捨てを置き土産にした大臣でした。その結果、レーガン・サッチャー・中曽根のマネタリズム(=貨幣の流通を増やすことで経済を活性化しようとした)時代の再現となり、資本の利益の蓄積のみが進む一方で市民生活の水準は後退を余儀なくされることとなりました。(サッチャー首相の英国では、「イギリス病」と言われたほど若い世代での高失業率が大問題となり、荒れた青年たちはサッカー場で無法を繰り返すフーリガンとして有名になってしまいました。)
にもかかわらず、資本は、この「自由主義」をいまだに渇望しています。というか、資本にとっては自由という名の競争原理しか存続の理由がないのです。それが今、TPP推進の理由となっています。
小泉時代の国内規制緩和が今、野田時代の自由貿易(=国際規制緩和)へと、姿を変えただけの話です。
そこで、本来のブレーンであるはずの竹中平蔵が再びテレビに登場するかと言えば、彼は、先に触れたような置き土産が多すぎて、非難のマトになってしまう人物です。そういうわけで、その後の自民党内閣のブレーンの一人となった太田弘子が再び華々しく登場することとなりました。竹中ほどの敵は作っていないし、弁が立つし、美人できれいな声だし、好感度のとても高い人物なのですから。
◆例えば、コメについて◆○競争力 その太田が言うには「日本のお米は世界一おいしいお米ですから、TPPによって衰退することはありません。むしろ世界に輸出できるお米です」とのことです。
お笑い草もいい加減にしてもらいたい。
おいしいお米と言えばコシヒカリと、誰もが思っているでしょう。でも、わたし自身は長い間ササニシキを炊いていました。おいしさはそん色ないし、値段は安かったからです。(最近は、生産農家から直接分けてもらって、市場価格よりもはるかに安い親類縁者のような“身内価格”で提供してもらっていますので、「ゴロピカリ」という群馬産コシヒカリを炊いています。)
昔、あるテレビ番組で、コシヒカリ生産農家に味見をしてもらう企画がありました。コシヒカリとササニシキの食べ比べのほかに、ひと工夫したお米も加えての味見です。お百姓さんたちは「そりゃ何と言ってもコシヒカリだよ」と言っていたのですが、実際に味見をしてみて一番おいしいと感じたお米は、大半の人たちが、ひと工夫したお米でした。どういうお米だったかと言えばササニシキにもち米を混ぜて炊いたお米でした。
おいしいと感じるお米は、実は、ブレンド米なのです。お寿司屋さんのシャリとかコンビニ弁当がおいしいのは、コメの銘柄によるよりも、米ともち米とのブレンドによるものだということは、誰もが知っていることだと思います。(お米に限らず、ブレンドするとおいしさが高まるのは、例えば一味唐辛子よりも七味唐辛子の方がおいしく感じるとか、ブレンドコーヒーなどのように、さまざまな食材で見られる現象です。)
太田弘子が、国民を欺こうとしているような「世界一おいしいお米の競争力」とか言うものは、はっきり言って、あっけなく崩れてしまう幻(まぼろし)にすぎません。ブレンド米ひとつが登場するだけで、競争力の地位は危うくなります。
それに、アメリカのカリフォルニア米は、日本のコシヒカリが原産です。1俵(=60kg)の値段が日本では1万5千円なのに対してカリフォルニア米は6千円と半額以下です。(日米ともに5kg、10kgの小分け価格ではキロ単価はもっと高いと思いますが。)このカリフォルニア米に「自由のヒカリ」とかいう銘柄でもつければ、よく売れるでしょう、たぶん。同じコシヒカリでも産地によっていろいろな銘柄をつけているのですから。
○主食産業を失った例と将来の予見 また、自由貿易協定(=FTA=フリー・トレード・アグリーメント)で日本に遅れを取ったと焦った韓国が急激にFTA推進に力を入れ、日本がFTAを結んでいる相手よりも大きな市場、つまり、欧米相手のFTAを先行させることとなりました。
その結果どうなったかと言えば、韓国の主要穀物の生産は壊滅状態となり、今、韓国が力を入れている農業はパプリカなどのデコラティブな野菜に限られています。つまり、オシャレな野菜です。そういう収益性の高い野菜でしか経営が成り立たなくなっていきました。
では、主食の米や小麦はどうしているかと言えば、ロシアとかウクライナなどの穀倉地帯の農地を買いあさっています。これは、韓国に限らずほかの多くの国々でも、いわゆるアグリ・ビジネスが同じような動きに出ていて、特に中国、インドのように人口の多い国々が外国の穀倉地帯の農地の買い占め競争に走っていることが韓国などの危機感を煽ることとなっています。
国内での主食の生産が成り立たなくなることで、世界規模での主食=穀物獲得競争が激しくなり、ついに、外国の農地の買い占めにまで立ち至ることとなっています。
日本でも主食が手に入らないかもしれない、となれば、総合商社をはじめ、穀物市場は投機の対象として世界中で金融資本の草刈り場となることは目に見えています。
○戦略物資としての食糧 このほかに、ついでに、自民党にいる右翼などをはじめ、国防が大好きな保守勢力に対して一言付け加えておきたい。
日本の防衛に熱心な人々は、中国やロシアあるいは北朝鮮の脅威をことさらに喧伝(けんでん)して、口を開けば防衛力を強化しなければならないと言いふらしています。その彼らが言うのは、軍備増強のことです。
軍備に裏打ちされた国家の防衛力を国家主権の物差しにしたいのだとすれば、ロジスティックス(=兵站=へいたん。この単語が好きなビジネス界では在庫の適正管理とそのシステム化のことを言います。)についての国家戦略をも含めて国家の独立性を確立していかなければなりません。
このロジスティックスとは、武器・弾薬の量や質の問題ばかりではなく、その輸送能力、つまり、輸送機とか輸送船の整備や道路網などの交通ルートの整備、通信手段の整備など社会資本の整備(インフラストラクチャー)が欠かせません。
また、直接の戦闘能力を支える武装能力やインフラばかりではなく、ロジスティックスに含まれる重要な指標は、兵士たちの衣食住の物資です。特に食料は、戦国時代の昔から兵糧攻めという戦法があるように、敵を飢えさせるだけで戦争に勝てる戦略物資です。だからこそ、昔も今も、自国の主食の生産は、どんなことをしてでも国内で賄う(まかなう)ことが、どこの国にとっても当たり前の国家戦略でもあり、どんなに高い関税をかけてでも国内の主食産業を守ることが当然視されてきたのでした。
国内農業が打撃を受けることを承知の上でTPP参加を主張する者が売国奴だというのは、こういう国防上の戦略物資の位置づけをないがしろにする、という意味からも当てはまる言葉なのでもあります。
右翼諸君には、TPPはいつかは日本が兵糧攻めをこうむる日が来ることを意味しているんだよ、と、言っておきましょう。同じ保守でも、その中にいるTPP推進派は、売国奴として糾弾しようではないか、と、提案しておきましょう。(ただ、右翼をそそのかすと、問題なのは、「金儲けに走る資本家どもに天誅を下す」と、戦前の右翼が財界人の暗殺をいとわなかった、という忌まわしい過去も思い出すことではありますが。)
右翼など足元にも及ばない強烈な民族主義者 日本の共産党は、日本のどの右翼よりも最も先鋭的で戦闘的な民族主義者として知られています。その端的な例が「全千島返還」を主張し続けていることにあります。どんなに過激な右翼でも共産党ほどの主張はできず「北方領土」などとあいまいな表現を使っています。これは、北千島を放棄して南千島だけを返還要求の対象としていることをごまかそうとしているからです。なので、日本の政界のみならずメディアも含めて「北方領土」という言葉を当たり前のように使っています。 千島列島全体を返せ、と言えないのは、日米安保条約を当然視しているように、その源となったサンフランシスコ体制(=ソ連の対日参戦という協力を求めるのと引き換えに、その領土拡張主義を黙認するという、米・中・英・ソのヤルタ会談中の密約を追認する形となった体制)に対して文句が言えないからなのです。 つまり、日本の保守も、その過激な集団としての右翼も、ソ連と密約を結んだUSAに対してものが言えない卑屈な勢力であって、そういう彼らの「愛国心」などというものは「返せ北方領土」という弱腰の表現に象徴されているように、小心者のへっぴり腰でしかないことを、よく覚えておいてほしいと思います。だから、戦後日本は、世界中から「まるでUSAの属国だ」とか「USAの51番目の州だ」などと嘲笑を浴びてきたのでした。 自主独立とか民族自決(=自殺のことではなく、自らの意志にのみ基づいて事を決する、という意味)とは、共産党が常に掲げている主張であって、これは、ロシア=旧ソ連に対しても中国に対しても譲らなかったばかりではなく、対米闘争において最も強硬な態度でも知られているとおりです。 たぶん、日本国内でこれほどに民族主義を強烈に打ち出している政治勢力は他にないだろうと思います。それは、国旗とか国歌によって権力が押し付けようとする「大和魂」とか「愛国心」によるものではなく、日本語という言語と、それに基づいた集団による民俗性(=「民族」と同義ではなく、その主要な要素の一つとしての生活習慣・生活伝承のこと)によって規定される学問上の概念に基づいている点で、自然発生的な感覚に最も近い民族概念だということができます。(例えば、中華人民共和国は単一民族国家ではなく、漢民族とそのほかの民族による多民族国家である、というように、科学的=学問上の概念に基づいた規定と同じ性格の民族概念です。また、民族という概念が人種概念ではないことは、日本民族と朝鮮民族とが人種的には大差がなくても民族としてはまったく異なる民族であることにも示されていますが、だからと言って「大和魂」とか「大和民族」といった民族至上主義を持ち込むような精神主義とは明確に区別されたものでもあります。また、USAや多くの植民地を抱えていた英・仏などが多人種国家ではあっても多民族国家と規定できるわけでもないのでもあります。) |