「たとえ51対49であっても、多数決で決まったのだから」と、消費税増税の執行部方針をごり押ししようとしているのが民主党です。
「(首長選挙で)圧勝したのだから」と、憲法違反の思想調査まで正当化しようとしているのが大阪維新の会です。
子どもの頃、学級会の討論で、「決をとりたいと思います」の動議に押されて、少数意見が踏みにじられることに憤りを抑えきれなかったことがありました。担任の教師が割って入って「いま採決するっていうのは、どうだろう。もっと意見を言いたい人もいるんじゃないの?」と仕切り直しをして再び喧々諤々(けんけんがくがく)の意見のぶつけ合いの後、採決を採り直したら、さっきまでの多数派が少数派になってしまいました。でも、だからと言って遺恨を残すこともなく、少数派に転落した元の多数派の子たちも納得の表情でもありました。なんだかみんながスッキリした気分だったように思います。
学芸会の演劇の主役を決める話だったか、クラスで飼っていたウサギの世話係の決め方だったか、何の話だったか覚えていませんが、クラス中の子が学級会に熱中して白熱したことだけを覚えています。
あの頃に味わった「民主主義って、こういうことなんだろうな」という感覚とはかけ離れた事態が今の民主党、維新の会の風潮にはびこっていることを感じます。
決まったことは決まったことだ、と多数決を錦の御旗に見立てて批判的意見を圧殺することが、果たして、民主的と言えるのだろうか。議論を尽くすことで多くの人が気付かなかった問題を浮き彫りにするなど、よりよい結論を導き出すことが民主主義の本義ではないのか、そんなふうに思うわけです。
いつの選挙だったか忘れましたが、自民党の幹部だった人物が(小選挙区制導入後に負け続けている共産党について)「民主主義にとっては必要な批判勢力だと思っているだけに残念だ」とコメントしたことがありました。自民党にはハト派もタカ派もいますが、この人の場合は、ハト派の典型的な発言だと印象的でした。共産党を封じ込める国会では大政翼賛会になりかねない、という危惧を表わしていたと思います。
ファシズムというのは、はじめから恐怖政治をもたらした集団ではありません。最初は「国民世論」に答えるものとして登場することで支持を広げています。
ユダヤ人によって富を蝕(むしば)まれたドイツを改革してゲルマン民族の誇りを取り戻そう、というキャンペーンで支持を集めたのがナチスでした。
「満蒙は日本の生命線。大和民族の力で満蒙を“解放”しよう」と煽動したのが大日本帝国の軍隊でした。
そうした「分厚い中間層」に受けそうな“夢”を振りまく一方で、弱者は徹底的に抑圧してスラム化させていったのもまた、ナチスであり大日本帝国軍隊でした。そうした悲惨な犠牲は覆い隠したことで、「中間層」の人々は権力への支持、依存を強めて行ったのでもありました。(売り上げトップだった『毎日新聞』をはじめ、その時代のマスコミもまた、権力に同調して、真実を覆い隠した点で同罪です。)
戦争末期には、防空訓練の茶番ぶりをあざけった論説を書いた『信濃毎日新聞』の桐生悠々が在郷軍人会(兵隊のOBとなった高齢者たち)の“世論”の圧力で同社を追放された事件などのように、“世論”そのものが軍国主義に染まっていました。
多数決で決まったのだから、と、一切合財(いっさいがっさい)、権力の側がごり押しすることが重なれば、一つはファシズムへの道を、もうひとつはフラストレーションがたまった人々の反乱という動乱の道をたどることになるでしょう。いずれにしても、権力が荒っぽくなれば、人民の反応もまた、それに応じて荒っぽくなることは避けられないだろうと思います。
さて、わたしは、といえば、あの子どもの頃に味わったような民主的な空気を懐かしむ思いの日々です。