無法者と強盗と | kyottides的 喜怒哀楽

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一年余りにわたって 開店休業状態 でしたが、そろそろ、また、あれやこれやと綴ってみようかなと思い始めています。よろしくお願いします。

 会社のHPには、連絡先のアドレスとしてinfo@florule.comを載せていますが、これをめがけて毎日、100通以上ものスパム・メールが送りつけられてきます。同じ内容のメールをいくつもの違う発信者アドレスで送りつけるのですから、着信拒否の方法は、事実上ありません。
 そういうスパムで最も多いのがロシア語のメールです。当社に届くスパムでは、おそらく、60%~70%くらいはロシアからのものではないでしょうか。厚かましいにもほどがあります。
 そんなロシアの大統領が、千島を強奪して以来はじめて、国後(くなしり)島を訪問しました。これは、毎日ウンザリしているスパムと同様、あまりに厚かましい歴史上初めての暴挙です。

 第二次世界大戦の末期に開かれたヤルタ会談で、アメリカのルーズベルトは、ソ連のスターリンに、対日参戦を求めました。これに対してスターリンが持ち出したのが、樺太・千島全体をソ連にくれるなら参戦する、というものでした。戦争によって、利権を求め、領土を拡大したのは、第二次大戦では、おそらく、ソ連以外には、ないでしょう。
 すでに敗色濃厚となっていた日本帝国主義に追い打ちをかけただけで、もともと問題のなかった領土を略奪した厚かましさは、最も恥ずべき侵略行為に他なりません。この点では、あのシベリア抑留も同じような問題を含んでいます。つまり、あのスターリン・ソ連は、領土を略奪し、捕虜を奴隷化し、なりふり構わず自国の利益のみを追い求めた点で、第二次大戦後の世界では最も野蛮な態度に終始した、という問題です。
 ソ連がロシアになっても、今のロシア政府は、その当時の対日姿勢を正当化しようとしています。これに対しては、この野蛮な態度の積み重ねを世界に向かって告発すべきでしょう。
 「お願いですから、返して下さい」では、絶対に、話は通りません。むしろ、ソ連(ロシア)の態度がいかに理不尽なものであるか、時代遅れの野蛮な態度であったかを怒りを込めて告発しなければなりません。「おまえら、それで、国際的にも歴史的にもスジが通るのか」と。

 内外のメディアが指摘しているように、今回のメドベージェフの国後訪問は、あの、日中の尖閣諸島問題と絡んでいるし、中国、ロシアが厚かましさを増幅させているのは、日米の軍事同盟のギクシャクが背景にあると、言われています。
 しかし、日米関係の隙をつく形で日本に対する中国、ロシアの傲慢ぶりが説明されるのであれば、それは、日本がアメリカの属国だと言っているようなものです。(事実認識としては、それが正しい、とも言えるかもしれませんが・・・。)
 しかし、日本が本当に独立国として振る舞うのであれば、アメリカの軍事的プレゼンスなどあろうとなかろうと、世界に向かって堂々とものを言う国であるべきでしょう。
 中国にしてもロシアにしても、「君たちの(領土に関する)その言い分、どういう理屈で正当化できるのか、説明してごらん。我々は、その理屈を完膚なきまでに反論して粉砕してあげるから」と、主張するのがスジでしょう。

 国際関係が、スジの通る話の正当性ではなく、既成事実を積み重ねてしまう力関係で決まってしまうことが多いのは、こういう、対中、対ロの問題でも、ありありと、いやというほど見せつけられているわけですが、それだからこそ、こういう旧態依然としたパワーバランスを乗り越える説得力、正当性を世界の新しい秩序として打ち立てる努力が必要なのだと思っています。
 力づくで迫ってくる相手に対して説得力で対抗すること、それが平和外交のスジというものでしょう。
 いたずらに相手を刺激しないようにと、「冷静に」だの「遺憾です」などと低姿勢しかとれないのでは、国際的にも国内的にも通用しないでしょう。日和見主義政党のそういう事なかれ主義は、誰にとってもためにならない、そう思うのです。

 それにしても、著作権も肖像権もお構いなしの無法がまかり通り、世界最多の集客を誇示した万国博覧会のテーマ曲までもが盗作だった(しかも日本の人気アーティストの曲だった)ほどに恥ずかしい身勝手で自己中心的な中国の言い分といい、ソ連の強盗行為を正当化するロシアの言い分といい、ずいぶん昔から“社会帝国主義”などというみっともない単語が生まれてしまったのも道理です。忌々しい限りです。
 資本主義の発達の程度が遅れた国での社会主義は、社会主義としても遅れた水準から出発せざるを得ない、とは、紛れもない真実であり、事実、中国は資本主義経済の経験と教訓を積み重ねることにシフトするあまり最も帝国主義的な外交姿勢にまで陥ってしまっているし、ソ連・東欧はいとも簡単に内部から崩壊した揚句、凄まじい民族紛争へと迷走してしまいました。
 「一人の自由な発展が万人の自由な発展にとっての条件となる社会」(マルクスとエンゲルスによる『共産党宣言』)を目指すには、中国も旧・ソ連も、あまりにも、お粗末にすぎる(た)でしょう。