「引き際」について考える。 | Mr.ROYALの徒然日記 PartⅡ

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ブログタイトルそのまま、「徒然なるままに」書きたいことを書いていこうと思っております。

 

 

 今年もMLBを長年支えてきたスーパースターたちが何人かユニフォームを脱ぎました。

 

 アレックス・ロドリゲス。

 

 マーク・テシェーラ。

 

 プリンス・フィルダー。

 

 シーズン途中で事故死したホゼ・フェルナンデスも考えようによってはその仲間に入るでしょうし、現役引退表明はしていないものの力の衰えが顕著であるライアン・ハワードジョシュ・ハミルトンマット・ホリデイあたりも他球団との再契約状況ではユニフォームを脱ぐ事態になりかねない。そう考えると日本で現役生活に別れを告げた黒田博樹もその仲間の1人に加えてもいいでしょう。

 

 

 ここに名前を挙げた選手以外にもひょっとするとこれからユニフォームを脱ぐ選手が出てくるかもしれませんが、これはこの後の話。

 

 

 今シーズン現役引退の選手についてここまで書いてきましたが、今年のMLBでは何といってもこの選手。

 

 

 「ビッグ・パピ」デービッド・オティーズ

 

 

 シーズン前に今シーズン限りの現役引退を表明していたオティーズは今年40歳。MLB屈指のスラッガーとして君臨し続けたとはいえ、さすがに力の衰えは隠せない、と思いきや、

 

 

 …打率.315、38HR、127打点で打点王に輝き、OPS1位という引退間近の選手とは思えない個人成績。最後の打ち上げ花火、と揶揄するどころかまだまだ大輪の花を咲かせられる、と言っても誰もが納得する。

 

 

 所属するボストン・レッドソックスも地区優勝を果たしたことから、MVP受賞の可能性さえあるオティーズ。現役引退を撤回して来シーズンもプレーしても誰も文句を言わないでしょうし、レッドソックスがオティーズの年俸1720万ドルの来季オプションを行使したのもオティーズが現役引退を撤回してFAになった場合のことを想定してのことでしょう。

 

 

 その一方でこう考えることもできる。

 

 

 オティーズの驚異的な成績は本人が今年で最後、と決めたからには悔いが残らないよう自分にできる精一杯のことをし、その結果として生まれた、というもの。こう考えると今シーズンで目いっぱい自分の力を出し切った、と見れなくはない。

 

 

 いずれにせよ、オティーズはファンから惜しまれつつユニフォームを脱いだ。

 

 

 マリアーノ・リベラデレック・ジーターもシーズン途中からヤンキースタジアムどころか遠征先でも観客から暖かく迎えられ、まるで引退興行さながらの雰囲気ではありましたが、彼らもまたファンに愛され、惜しまれつつ去っていった。

 

 

 黒田の場合は引退発表こそ日本シリーズ開幕前という時期でしたが、ファンは薄々黒田が今シーズン限りで現役引退を考えていることに気づいていたでしょう。そして彼もまだまだ先発ローテーションを守れるだけの力を残しながらも自分のイメージした通りのプレーができない、と言ってこれまた惜しまれつつグラウンドを去った。

 

 

 その一方でボロボロになるまで現役続行にこだわる選手、というのも存在する。あえて名前は挙げませんが、現役続行にこだわることで至る所から批判を浴びている選手がいますが、

 

 

 …そもそも「引き際」なんて誰が決めるのか。

 

 

 典型的な実力社会であるプロスポーツ界においてオティーズや黒田のようにファンに愛され、惜しまれつつ去っていくことができる選手なんてほんの一握り。9割以上の選手は新しく入ってきた選手に押し出される形で選手生活に別れを告げる。そんな中、自分で進退を決められる、というのはいかに贅沢なことなのか。

 

 

 惜しまれつつ辞める人間。

 

 

 石もて追われて辞めていく人間。

 

 

 そして辞めろ、と言われながらしぶとく生き続ける人間。

 

 

 実はオティーズもレッドソックスに移籍する前、ミネソタ・ツインズで中軸を打っていながら守れない走れない、若くしてDH専門のバッターに高額年俸は払えない、という理由でツインズから契約更新を拒否され、レッドソックスに拾われたいきさつがあります。いわば「石もて追われた人間」であります。そんな選手がレッドソックス移籍の年に宿敵ニューヨーク・ヤンキースを地獄に突き落とし、その後口うるさいことで有名なボストンのファンに誰からもで好かれる人気選手になろうとは予想すらしなかったでしょう。

 

 

 そしてその後もレッドソックスの主砲として君臨し、最後は「惜しまれつつやめる人間」の仲間入りをした。

 

 

 そんな彼らの行動に私たちは心から拍手を贈る。

 

 

 ひょっとしたらそれだけのことなのかもしれません