このところ

ちょっとしたブートキャンプ的に

解放祭りになっております😂

 

 

 

その都度 涙腺崩壊しておりますが

 

 

そこで、思い出しました。

 

 

 

「ああ、わたしって子どもの頃から実は泣き虫で

すぐ涙ぐんだり、すぐ涙が出ちゃったりする子だったな〜」

ということを。

 

 

 

一度そういう繊細モードに入ると

何でもかんでも心が震えて=琴線に触れて

(別にネガティブな理由でなくても)

涙が出てきてしまう…

 

 

そんな個性を持ってきています(笑)

 

 

 

 

でも

そんな繊細すぎる自分を出すのが恥ずかしかったり

 

涙が出ると周りの人が困っちゃうというのを感じて

 

 

「簡単に泣かないようにしなくちゃ」

 

 

と、頑張りだしたんです。

 

 

 

しかしこれが実は

「自分らしさ」から離れていく要因でもあったのを

当時のわたしは知る由もありませんでした。

 

 


 

この個性を出していたら、

この社会では「生きづらい」から

「感じ」ないようにしよう

 

というふうに

個性である感受性を殺して

 

 

それが自分の能力も制限することにつながり

 

その結果

うまくいくものをうまくいかないようにしてしまったり

 

母に誤解されたり

(「可愛げがない子」「頑固な子」と思われていた)

 

かえって人生を拗らせていたのでした。

 

 

 

 

しかし今回

 

 

何十年生きていても

本来のわたしは相変わらず泣き虫で

そこはち〜っとも変わっていない!

 

 

ということを痛感し😂

 

 

 

「ああ、もう自分でいよう

泣き虫のまんまの自分でいいわ。

それが自分だもん」

 

 

と思いました(笑)

 

 

 

 

こういう性質は

「現実(三次元)」を生きるのに

足枷になるから封印しよう

 

 

そんなふうに

子どもの頃のわたしは定義して

実際に封印してしまったわけですが

 

 

「いろんなことを知った今のわたし」が

改めてこの個性についてながめると

 

 

 

「この個性で生きられる道」があるから

この個性を持ってきているわけなので

 

この個性を封印してしまうと、

実は人生がうまくいかなくなる

 

 

本当に自分らしく生きたいなら…

 

人生を最高の流れに乗ってよろこびで生きたいなら…

 

実は、この個性を出していく必要がある

 

 

という真逆の結論に至ります。笑

 

 

 

「この個性を持っていることがわたしにとって完璧」

 

ということなのです。

 

 

 

 

そういえば、20代の頃、

詩人の茨木のり子さんの詩に出会い、

繊細な心のことを生牡蠣にたとえているところが

すごく言い得て妙だなと当時思いました。

 

探したらすぐに出てきたのでご紹介しますね。

 

 

 

゜*・゜*:.。..。.:*・゜*:.。.:*・゜*

 

 

「汲む —Y.Yに—」

 

 

大人になるというのは
すれっからしになるということだと
思い込んでいた少女の頃
立居振舞の美しい
発音の正確な
素敵な女の人と会いました


そのひとは私の背のびを見すかしたように
なにげない話に言いました

初々しさが大切なの
人に対しても世の中に対しても
人を人とも思わなくなったとき
堕落が始まるのね 堕ちてゆくのを
隠そうとしても 隠せなくなった人を何人も見ました

私はどきんとし
そして深く悟りました

大人になってもどぎまぎしたっていいんだな
ぎこちない挨拶 醜く赤くなる
失語症 なめらかでないしぐさ
子どもの悪態にさえ傷ついてしまう
頼りない生牡蠣のような感受性
それらを鍛える必要は少しもなかったのだな
年老いても咲きたての薔薇 柔らかく
外にむかってひらかれるのこそ難しい
あらゆる仕事
すべてのいい仕事の核には
震える弱いアンテナが隠されている きっと……


わたくしもかつてのあの人と同じぐらいの年になりました
たちかえり
今もときどきその意味を
ひっそり汲むことがあるのです

 

 

゜*・゜*:.。..。.:*・゜*:.。.:*・゜*

 

 

 

久しぶりに読みましたが

やっぱりいい詩ですね。

 

 

 

わたしも、三次元的に見たら

大人になりきれない少女のまんま

「いい年」になってます😂

 

 

「自分じゃない人」になろうと

何十年がんばったところで

「結局無理だわ〜(笑)」

と思うので、

 

 

それは「自分の個性」として、

ありのままの自分をさっさと受け入れる方が

よかったのだな

 

 

というのを、改めて

認めることができました。

 

 

 

 

すると、最近ちょっと忘れていた

「楽しく人生を生きるコツ」を思い出しました。

 

 

それは、

 

「ごきげんでいたら勝手にうまくいく」

 

ということ。

 

 

(「ごきげん」というのは「いい氣分」だったり

「ほっとする氣分になることをする」ことも含みます)

 

 

 

それには「アンテナ」が大事なのです。

 

 

自分の感受性を解放していたら

アンテナの感受性も、もっと鋭いはずなのに

使いこなしていなかったのです。

 

 

きっとこの「よわよわな」個性を持ってきているのは

そことも関係があるはずなのに

あんまり大切にしていなかったので

本来のポテンシャルを発揮できなかったのです。

 

 

 

三次元的な「能力」はイマイチかもしれないけれど

ちゃんと、それを補うような別の方法を持ってきていた。

 

 

にもかかわらず

「それ」を満足に使っていなかったから

(三次元的価値観になんとか自分を合わせようとしていたから)

本来の自分の波動と一致せず

不調和が出てしまったりしたのですね。

 

 

 

 

それがわかって

 

「ああ、わたしはやっぱり

自分の個性に沿った生きかたのほうがいいわ〜」

 

 

と思ったので

 

「原点」を思い出して

このブログもちょっとのんびりムードになるかもしれません。

 

 

「現実」を見れば

いろいろあるかもしれないけれど

どの視点から見るか?だし、

シリアスに生きないほうがいいよね(笑)

 

 

 

ではまた〜😊

 

 

 

 

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𖧷

 

 

 

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