ショーゲキのタイトルですが(笑)

 

波動機器で自分のチャクラの詳細を見てみると

 

 

「贈り物を受け取ることを感情的な脅迫とすら思っている」

 

 

というフレーズが

まあまあの割合で出てきていた時期がありました(笑)

 

 

ほかにも

 

「2度3度とお返しをしたくなります」

 

というフレーズも。。。

 

 

 

 

要するに

 

「受け取り下手」

 

という意味です。笑

 

 

 

(最近はほとんど出てきませんが

たま〜〜〜に出てくることがあります)

 

 

 

 

子どものころから

「何かもらったらお礼を言いなさい」

と、親に教育されたとか

(お金の場合は特にありがたがらないといけない)、

 

 

親がお祝い金などをくれたときは

その後、しばらくは会うたびに何度もお礼を言わないと

「恩知らず」扱いされてしまったりすることがありました。

 

 

 

そのことが、お皿を洗っていたとき浮かんできて

 

「『脅迫』とは、このことだわ!!」

とひらめいたので

忘れないうちにこうして書いています(笑)

 

 

 

「人になにかいただいたらお礼を伝える」

というのは、常識やマナーとして一般的なので

一見、何がいけないのかな?と感じられるかもしれません。

 

 

この一文だけ見たら、それは別におかしなことではありません。

 

 

問題は、それを「強要する」ということです。

(または、強要されていると感じてしまうことです)

 

 

お礼を言わなかったことを、叱ったり責めたりすると

「ありのままの自分でいてはいけない」と思うようになったり、

 

 

一度その場でお礼を言っただけでは「充分ではない」と判断されてしまう場合、

常に親の顔色を伺ったり、

何かと比べられる(いい子と悪い子)恐怖に晒されます。

 

 

 

「受け取ったらお礼をいう」

ということに必要以上に緊張がでてきてしまうと

誰かが何かを渡そうとしたときに

「あっ、ちゃんとお礼を言わなくちゃ」と

いただく前から体が緊張してしまいます(笑)

 

つまり、受け取ることに対して身構えるので、

自然体でいられなくなり、

自然体で受け取れなくなってしまうのです。

 

 

そのようなことを日常的に体験しているこどもは

家の中が、リラックスできる安心安全の場ではなく

「正しい行いをしているかどうかをジャッジされる場」になり

落ち着きません。

 

受け取ることに対していいイメージが抱けなくなっても

おかしくありませんよね。

(特に繊細な人ほどこういう環境に育つと

「正しい」「間違い」を氣にするようになる傾向があると思います)

 

 

でもこれが「悪い」と言いたいのではありません。

(当時の親を悪者にするために書いているのではありません)

 

 

どういうことでしょう?

 

 

 

もう少しお話を続けますね。

 

 

 

 

親の立場になるとわかるのです。

 

 

親は、「みんなに愛される社会的常識をもつ子」

「感謝の氣持ちを持つ子」

を育てたいと思っているのです。

 

そういう子になったらその子が幸せになれるという信念があるから。

 

 

親としては、子どもに幸せになってほしいのです。

 

 

 

「お金は今の社会では大切なもので、

その大切なものを、あなたにくださったのだから

大切に扱いなさいよ。

 

あなたのことを大事に思ってくれる、

相手のその氣持ちを蔑ろにしてはいけないよ」

 

 

ということを伝えたかったのだと思います。

 

 

 

でも 教育の方法によっては

受け手(子ども)の感受性によっては

(個人差があると言う意味です)

「受け取り下手」になってしまうので

 

「お金」や「愛」というジャンルにおいては

実は逆効果になってしまうことがあるのです。

 


ただシンプルに

自然な愛の交流として伝わればいいのに

伝え方や子どもの感受性によっては

「取引(の仕方)」のように感じられてしまうのです。。

 

 

ではどうすればよかったのかというと

ただ、親の背中を見せてあげていれば

よかったのではないかと思います。

 

 

子どものころに

親が人から何かをいただくシーンを見ることが

結構あると思うのですが

 

その時に親自身がちゃんとお礼を伝えていたり、

喜びを表現していたりすれば、それでよいのです。


つまりシンプルな愛の交流の様子を

見せたらいいってことですね😊


 

「先日は〇〇をもらって、どうもありがとうね」

とその人に次回会った時に

お礼を言うのを見ているだけで、

子どもはそれを自然と学びます。

 


「いいものもらってよかったね、ありがたいね」

って、こどもに話をすれば、自然と伝わります。

 

 

反対に、もらった時はいい顔をしても

本人がいないところで

「こんなものもらって迷惑だわ」

なんて言ってしまったら、子どもは混乱してしまいます。

 

 

かといって、

なんでもありがたく受け取らなければならないとすると、

「氣に入らないものでもありがたがらなければならない」

という自分を偽る思考になるので、それもまた苦しいですよね。

 

 

贈り物を受け取ることに氣が重くなると、

贈り物が「感情的な脅迫」になってしまいかねないので

親自身が自分に正直なありかた(自然体、ニュートラル)でいることが

大事になってくると思います。

 

 

「お氣持ちは嬉しいけれど、うちでは使わないから他の人に使ってもらって」

というふうにお断りすることもできるだろうし

 

お断りするのが心苦しかったら

「氣持ちはすごく嬉しいけど、うちでは必要ないからどうしようねえ?

あ、〇〇さんにあげたらきっとよろこばれるかも!」

という感じで

おうちで子どもとお話しするのもいいのかもしれません。

 

 

「まったく氣の利かない贈り物ね」

なんて、親自身が裏表のある発言をすれば

子どももそういう思考になっても何も不思議ではありません。

 



わたしは自分自身の経験から

子どもにはお礼を強要したくありませんが

やはり子どもにしては大金だと感じる金額をいただいたときや

渡してくれた相手がチコリータイプの場合

「ちゃんとお礼を伝えた?」

と確認してしまいます。笑

 

なぜならアンバランスな状態のチコリータイプは

お礼をされると満足し

そうでないと不満を感じるからです。

 

チコリータイプは、何度もお礼をされる方が、より満足します(笑)

(これは、チコリーの度合いによると思います)

 

(チコリーとは、バッチフラワーレメディの中のお花の一つです)

 

 

 

なので、受け取り下手を自覚している方は

幼いころや現在、このような経験がなかったか、

 

そして、お子さんを受け取り下手にしたくない場合は

自分自身がそのようなことをしていないか

 

振り返ってみるのもいいかもしれません。

 

 

 

ちなみに、親という存在は、

大体において「チコリー」です。

もちろんわたしもチコリーを受け継いでいました(笑)

 

 

重ねていいますが、

それが「悪い」という話ではありません。

 


その態度、その発言は、どのような思考回路からくるのか、

相手のことをより知ることで、

相手が「悪氣がない」ということがわかるので

ニュートラルにみられるようになりますし

どのように接したらいいかもわかります。

 

 

 

チコリータイプは

ネガティブであれば条件付きの愛(見返りを求める)を、

プラスになると無条件の愛を発揮します。

 

なので、根底においては「無条件の愛の人」なのです。

 

 

あなたも親御さんに根本的には無条件に愛されていたから、

今日まで生きていて

そしてこのブログをご覧いただけているわけです。

 

 

 

誰しもがこの男性性の強い分離の社会を生きているわけですから

当時はそこに則して育てていないと、

生き抜けなかったということもあると思います。

 

そういう意味では処世術を教えられていたようなところもありますね。

 

 

宇宙的にみたら

子どもは親も環境も選んで生まれてきているので

魂の計画としては

それがある意味その人生における「正しい道」でもあったわけです。

 

 

 

 

ただ、これからは違います。

 

もう、親の手は離れたのですから

自分の人生を生きなければ

幸せを感じることはできないでしょう。

 

 

魂の計画的にも

「自分を生きる(統合)」というところを選んでいるから

このような文章にも出会っているのだと思います。

 

 

その時に大切になってくるのが、コントロールを手放すありかた。

 

意識的に女性性を使っていかないと、

 

「自然体で生きる」「自分らしく生きる」

=自分と一致する

という生き方ができません。

 

 

だからこそ

こうしていろんな情報が開示されていってるし

いろんな「観念の書き換え」が行われているわけです

 

 

 

 

 

 

 

🌸 はじめましてのかたへ 🌸

 

 

 

🌸 たいせつなこと まとめ 🌸

 

わたしの思うスピリチュアルの本質

 

「いま」にいる

 

笑顔でいる、明るくすごす

 

これだけ

 

地球での体験