やっぱり、当日は いや、
5月に入ってから
誕生日の憂鬱は ドカンっとあって…
何も、年を取ることが嫌なんじゃない。
50歳が嫌なのでもない。
自分が生まれた日 に
おめでとう って 言われたい。
それは 誰よりも ワタシを生んでくれた母に
言って欲しい。
その事で、ワタシは 自分がこの世に生まれてきた意味や価値
生きていていいんだな って ようやく認めてもらえるような…
そんな風に思っているのかな。
こんなはずじゃなかった とか
育て方を失敗した とか
いまさら 要らない子だとも言えない、、、とか
もしかしたら 冗談のレベルなのかも?しれないけど
そこは ワタシのASDの特性もあってか
【真っ正直】に受け止め
ワタシは 生まれても 不要な、出来損ないで
生きてる価値もないんやな…
もっとやれるはず もっと頑張れ
やる気が足りない ぐずぐズすんな
何を考えて居るか分からない 気持ち悪い
さっさとして! グズ! 気が利かないね
そんなセリフばっかり 記憶に残して
自分で自分を いつまででも 責めているのかな。
だけど、もう 50年も生きて(笑)
半世紀やん!
いつまででも そんな事に 気持を振り回されててもね~・・・
封印する って感じだと また
溢れ出ちゃうかもしれないので
あえて、押さえこむ事はしないでおきたいけど
また、そんな感情が出てきたら
そうか そうか・・まだ 悲しいんだね・・
辛かったんだね・・
って せめて ワタシ自身では 受け止め 受け入れてやって
でも 今はどう?
大丈夫じゃない?
だれか そんな風に言う人居てる??
って
ちょっと冷静に 俯瞰視して…
あれ、、、?
今は そんな事 言われてないよ?
な~んだ・・・
昔の事を まるで 今!て感じで
感じちゃった 思い出しちゃったんだね~って。
大丈夫。大丈夫。
昨日のお誕生日は
パートナーが 色々考えてくれた。
ここの所 めっちゃ忙しいから
事前に 一緒に 考えて~っては出来なかったけど
そして 特別な事!って 特にはない感じ・・だったけど
それでも お誕生日 を 一緒に過ごしてくれて
おめでとう って 乾杯してくれて
それだけで じゅうぶんに 嬉しいし
幸せなこと。
想定通り、母からも父からも
おめでとうなんてセリフは
メールでも電話でも一切なかったけど
いつものことやん。毎年の事やん。
これが ワタシの普通やろ。
来月の 娘の20才のお誕生日には
ママの子供に生まれてきてくれて
本当にありがとう って 伝えたい。
この先もずっと
息子と娘の誕生日には
おめでとう と ありがとう を
伝えたい。
伝わらなくても
言い続けたい。
直接言えなくても
想っていたい。
よし!
もうこれで 大丈夫。
きっと 来年の5月は
落ち込まずに 過ごせるはず。
ちょ~ど 50歳を区切りにして
いい事 楽しい事 嬉しい事
頑張れること 喜ばれること が
沢山ある生き方
できるといいな。
そしたらきっと
『おめでとう~!』 って
幸せ言葉の シャワーを
素直に いっぱい
受けられるような気がする・・♪
とうとう やってきました・・・
1年で1番 辛くって 悲しくって 空しくって 寂しい日。
今日 5月13日で ワタシは50歳になりました。
お誕生日は 嫌いです。
いつの日か・・
好きな日になるのかなぁ~
さっきから 泣けてきて・・・
後、24時間たてば
今日は終わります。。
24時間 なんとか いつもより早く・・・
過ぎて欲しいです。
今日の記事には
昔の、子供の頃の、辛かった時の事を詳細に書くことになると思います。
人によっては 同じような体験をされた場合
フラッシュバックなどを おこされるかもしれません。
ご自身のご判断によ 読み進めてくださいね。
そして、今 お子さんを育てていらっしゃる方
大変な思いをしながら 試行錯誤されていらっしゃる方…
色んな感じ方を持たれるかもしれません。
でもこれは ワタシ一個人の思考です。
ご了承くださいね。
主に、ASDに関することを書かれている
色々な方のblogを拝読させていただいていると
お子さんの 自閉スペクトラム症候群での
色々な特性を書かれていたり、悩まれていたり
日々 格闘?ともいえるような 大変な試行錯誤をされていたり・・・
なんとも 複雑な気持ちになります。
子供も 親も・・きっととても辛いトンネルの中・・なんだろうなって。
ワタシ自身は 自閉スペクトラム症候群であり
ADHDな部分(不注意・衝動性・数字に極端に弱い)もある という感じで
一応 検査・診断を受けています。
(ワタシの主治医は はっきりと【◎◎です】とはおっしゃっいませんが
お尋ねしたら、そうですね。っという事です)
自閉症にも 様々な種類?特性があることも
最近になってから 少しづつ知りました。
ワタシは恐らく 受動型 に近いのかなって思います。
ASDはもちろん 生まれつき なので
ワタシも 自覚をしたのが 50才前なだけで
子供のころから 持っていた事に間違いはないと思っています。
ただ、ワタシの両親は
ワタシが発達障がい・自閉症 などとは思いもしておらず
あくまでも【定型】として
親の目から見て 他の子供と比較し
ワタシが出来ない部分 に関して
それはそれは 一生懸命(怒鳴り、ヒステリックに、突き放し、姉妹と比較し、さげすみ、、、)
矯正しながら 育てました。
そのお陰様?!にて、
ワタシは 自分自身の本当の姿を封印し
ひたすら 親の思う良い子 として暮らし続けました。
もちろん、その弊害はあらゆる面に現れ
アトピー、爪噛み、抜毛、チック、慢性疲労、自律神経失調症、鬱、片頭痛、腰痛、喘息、胃潰瘍、十二指腸潰瘍、過呼吸、パニック、、、
上げればきりがないですね。
そして人とのコミニュケーションにおいても
本当の自分を 完全に置き去りにした状態で
ある種 全く別の私となり 生きてきたように思います。
全てにおいて ワタシは
親に 抵抗することも、盾着くことも、口答えすることも、自分の意見をもつ事も・・
自分の価値観・感性・思考などを
主張出来る事は 一切ありませんでした。
いわば 親に作られた 人造人間?って感じかも、、ですね~
えっと、
色々 この辺りから波及した形で
書きたい事が 沢山 見えてきましたが、
今回は
子供の頃のワタシになったら・・。
なぜ もっと 自分の気持ちを 声にしなかったのだろう・・
どうして 反抗する という手段に出なかったのだろう・・・
どうして NO が言えなかったのか・・・
とてもじゃなけど
あの 怖い恐い親に
鬼の形相の母親に
違うのよ・・とか ちょっと待って・・とか
それは嫌だ、、とか
言えませんでした。
ADHDの影響だと思いますが
とにかく 片付けが出来なかった。
自分の部屋は 常に 散らかり放題。
物であふれ 足の踏み場もないほど。
『女の子のくせに』
『どうして片付けられないの』
『〇〇ちゃんを見てごらん、ちゃんとやってるでしょ、なんであんたは、、』
『何度言ったらわかるの、どうすれば反省するの、、』
『親の家に住まわせてもらっている間は親の好みに100%合わせなさい。
それが出来ないなら今すぐ出ていけ!』
っと ヒステックに叫ばれながら。
あるとき、ワタシの部屋に入ってきた母親が
机の上の物、部屋の物を
片っ端から ベランダに 放り投げだした。
『もうこんなもの、捨ててしまえばいいのよーーーーーーー!!!!』って
その姿を 私は ただ ただボーっと 眺めていました。
止めて とも言わず。
でも とても大事にしていた 陶器で出来たショートケーキの形の貯金箱。
それを投げられ、粉々になったのを観た時
胸が 心が ズキンズキンと 痛くなって
涙が ハラハラっと ほほを伝っていました。
この光景は
今でもはっきりと カラー映像・動画で
しっかりと 思い出されます。
これだけ ヒステリックに怒られ
大事なものを壊されても、、、
ワタシは 片付けが出来る子 に
なることはありません。
今考えると ま、そうですよね~。。。
脳の障がいだったのだから。
えっと、今日は 何が書きたかったかと言うと
*親に 口ごたえしたかったな~
*反抗的な態度を とってみたかったな~
*汚い言葉とか 暴言をはいてみたかったな~
*嫌な事、辛いことがあった時、思い切り暴れてみたかったな~
*学校、休みたかったな、、、
*友達と仲良くしているふり せず、1人で居たかったな~
*お母さん大嫌い!って言ってみたかったな~
*家出してみたかったな~
*引きこもりになりたかったな~
順番は ぐちゃぐちゃだけど・・
こんな感じの事をね、
思うのです。
50歳を前にした 今さら、、ですけどね。
もし そういうことを 子供の頃にしていたら
今 どうなているのかな~
変わらないかもしれないし
その事で 後悔?をもっているのかもしれないし・・・
ない物ねだり というのか
やらなかった、やれなかったからこそ
思うのかもしれないけど
あまりにも 子供の頃の自分が
自分を抑えすぎてしまっているので
なんとか 解放してあげたかったな~なんて
思うのです・・・
でもね、
実際 今 お子さんから
上記のような事を されていらっしゃる 親御さんも沢山いらして
そんな記事を読ませて頂いていると
やりたかったな~って思う自分の考えを
あかんあかん、こんなに 親は困ってしまうんだ。
こんなに 悩ませるんだ。
こんなに 悲しい思いをすることになるんだ・・って。
そう 思ったりもするのです。
う~ん。
何が書きたかったのかな…
時代 ってこともあったのかもしれないけど
ワタシは 小学校の頃も、中学校の頃も、高校の頃も
友達と上手くやっていけず、
学校に行きたくなかった。
お弁当を食べる時間は 特に苦痛。
一緒に食べる友達なんていないから
お弁当をもって 非常階段の一番上に上がって
ちょっとだけ食べて 後はゴミ箱に。
5時間目が始まる直前まで そこで時間をつぶして
教室に戻る。
陰湿ないじめもあったし
もう 学校に行く事は 地獄へ行く事のようにも感じていたけど
親は
『学校を休むと あんたは負けになるんや! 這ってでも行きなさい!』
っと言われ 引きずりだされた。
今思えば・・・
負け たら あかんの?
ええやん。負けで。
勝たないとあかんの?
なんで??
って思う。
でも そんな事 言えなかったな~
喉に何か 大きな石みたいなのが詰まった感じになって
唾さえ呑み込めない感じになって
発声できなくなって
ただ 涙が出るだけ。
すぐ泣くな
うっとおしい
グジグジ ナメクジみたいに、、
目ざわり。
そういわれながら
半分 意識を どこかにやって
学校 という場所へ 身を置いて
時間が過ぎるのを待って。。。
あの頃、ワタシの事を 心底理解してくれている人は
1人もいなかったな。。
ワタシが親になった時
もし 子供に 何かあっても
色んな事が起こっても
ただ、ひたすらに
『どんなことがあっても ママはあなたの味方だからね。』
『最後まで絶対に見捨てたりしないよ』
って 言おうって思った。
実際 息子の反抗期にも
娘の 不登校の時にも
そんな風に 子供には話して
大丈夫やで って 伝えた。
ワタシに出来る事は そのくらい。
ワタシが 子供のころ欲しかったのは
それだけ。だから。
立場も、状況も、症状も、特性も
みんな 千差万別だから
一概に何も言えないけど
もし ワタシが 子供の頃に戻ったら・・
って
最近 ちょこちょこ 考えてしまう。
なので・・
ちょっと 書いてみました。
